しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

小説に描かれた占守島の戦い

2020年06月13日 | 占守島の戦い
「オホーツクわが愛」五十嵐均著 東京書籍 1996年発行  より転記する。

・・・・・・・・・



 午前2時15分、ロパトカ岬を隔てる占守海峡の海上から複数のエンジン音が聞こえて来た。
その音は数を増し次第に高くなって、同20分過ぎには海上を圧するほどの響きになった。
 敵の艦影が見えないうちに、その一隻が陸地に向けて機関銃の連射を始めた。
この瞬間、敵の来襲は疑いのない事実となった。
 旅団本部には旅団長、師団参謀以下が詰めている様子で、間髪を入れずに命令が返ってきた。
「直ちに反撃して、敵を水際で撃砕せよ。本日1600時まで停戦は発効しない。且つまた自衛の戦闘は妨げない」

 「撃ち方、はじめ!」
二門の野砲は上陸用舟艇を直撃した。

 占守島南部、片岡の丘上にある73旅団本部では、師団参謀郡少佐が戦況に、興奮を隠しきれないでいた。
「旅団長、敵は全軍を竹田浜に投入しつつあるものと思われます。
直ちに師団本部に連絡して、パラムシル島所在の友軍を海峡を越えて増援に投入したいと思います」
作戦を彼に任せきっている旅団長杉野少将に、自信をもって意見具申した。
「ソ連軍が、パラムシル島にも上陸してくる可能性はないだろうな」
「はい、兵員数から見て在カムチャッカのほぼ全兵力と思われます。両面作戦の余力はないでしょう」
「よろしい。すぐに師団長殿に増援を依頼しよう」

 17日の時点で占守島の日本軍は全軍の約4割、8.000余人であった。
郡少佐は現有兵力でも自信があったが、なお万全を期した。

 片岡の飛行場から97式艦上攻撃機2機が飛び立った。
敵艦に思うがままの攻撃をした。
次に2機が後を追った。
陸軍機「隼」が3機飛び立った。
隼には、ドイツの技術援助で完成した「タ弾」が搭載されていた。
タ弾は地上数十メートルで炸裂すると、花火の要領で広い範囲に小型徹甲弾をばら撒くのであった。

 ソ連軍の最後の上陸隊が竹田浜に到達したとき、
南側の霧の中から約20両の日本軍戦車が平坦な丘陵上を横一列になって、ソ連軍橋頭堡へ進攻してきた。
戦車第11連隊の隊長車では、丸坊主に口髭の池田連隊長が砲塔から裸の上半身を乗り出し、特大の日章旗をしきりに前の方へ打ち下ろして突進していた。
戦闘は占守島北端の草原を血に染めて日中いっぱい繰り返された。
8月18日の日没ともに日本軍が進撃を中止した。

 夜に入って、旅団本部では参謀の郡少佐と海峡を渡ってきた柳岡参謀長らを中心に作戦会議が開かれた。
「今夜はとくに霧が濃く、互いに仕掛けられない。明日はわが軍は13.000人をもってソ連軍を強圧することになります」
杉野旅団長、柳岡参謀長、それに各部隊の指揮官を前にして、郡少佐は理路整然と開陳した。
同じ参謀の加藤少佐から異議が出た。
「わが国はすでに四国共同声明を受諾して、戦争終結の大方針が定まっております。」
柳岡参謀長が言った。
「本日の日中、二度に亘って竹田浜に軍使を差し向けたが、射殺されるか拘留されたか目的を達していない。
このまま戦線を前に進めて、ソ連の侵略企図を挫くのが妥当だろう」
参謀長の考えに、杉野旅団長からも異論はでなかった。

 「今日は悪天候で敵機の来襲はなかったが、明日はわからない。
無用に命を棄てることのないよう、充分気を付けて行動してください」
杉野旅団長のねぎらいの言葉で、軍議は複雑な空気のうちに終了した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする