しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

最後の日ソ戦・・・その6・~千島南部~

2020年06月16日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。

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8月18日、ワシレフスキー総司令官は、
「8月19日から9月1日までに釧路市から留萌市に至る線より北の北海道半分、千島列島南部を占領すること」を命令した。

ソ連軍は、これらの島々の敵がどれだけの兵力や陣地を持ち、好適な楊陸地がどこか知らず、正確な地図も持っていなかった。
8月22日、
スターリンはトルーマンが拒否した北海道占領を諦め、トルーマンに返書を送った。

ソ連軍は択捉・国後に上陸しなかった。
「択捉・国後はアメリカ軍がやってくるはずだ」
ソ連軍の前線の認識では、南千島はソ連軍の占領すべき範囲でなく、極めて慎重だったことがわかる。

8月28日、択捉島に上陸。
9月1日、国後島に上陸。
9月4日、歯舞諸島に到着。
9月4日、札幌と千島・樺太の交信は途絶えた。日本側に状況がわからなくなる。

ソ連は、千島南部で20.000人。千島全部で50.000人を樺太経由でシベリアに移送した。


一般住民はヤルタ協定など知らず、占領は一時的と思っていた。しかし将来への不安から北海道へ脱出した。


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最後の日ソ戦・・・その5・占守島・戦闘停止~武器引渡

2020年06月16日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。



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8月20日早朝、
ソ連艦隊が幌筵海峡北口、片岡湾に接近してきた。
海軍は高角砲でその進路前方に射撃を加え警告を発した。
ソ連は一斉に砲撃を開始した。10分後反転して去った。
ソ連艦隊の片岡湾への進入は、
19日に杉野旅団長らが調印した文書に記載された条件であったならば、日本側の対応に問題がある。
師団長は、師団の安全を確保する決心し、21日6時をもって攻撃を再開する旨命令した。

第五方面軍は、
ソ連の北海道進攻を危惧して南部樺太死守を指導し、20日にはソ連軍の真岡上陸など緊張の中にあったが、
北千島に対しては樺太よりも早く「戦闘行動を停止」の、大本営指示に基づく命令を与えた。
第91師団が20日に接受したが、時刻は明確でない。
柳岡参謀長は20日夕に帰還した。

8月21日、
ソ連艦上で日本側は堤師団長、柳岡参謀長、水津参謀ら、ソ連側はグネチコ司令官らが会同し、降伏文書の正式調印が行われた。
同日、師団長は一切の戦闘行為の完全停止を命令した。

その後、
ソ連軍は比較的紳士的に対応したようである。
8月24日夕、武器引き渡しは完了した。
この後、
通信遮断によって、北千島の状況は一切不明になる。
満洲・樺太と同様、1.000人単位の作業隊に編成され、シベリア方面に抑留されることになる。

北千島における善戦はソ連軍の千島全体の占領を遅延させ、
ひいてはソ連軍の北海道占領作戦断念にも貢献した可能性が考えられる。


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最後の日ソ戦・・・その4・占守島積極戦闘の停止

2020年06月16日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。

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8月18日15時、長島厚大尉ほか10名の軍使が大観台を出発した。
師団長の意図は、まず現在線において両軍とも停戦し、武器引き渡しを交渉することにあった。
その夜、長島大尉は帰還しなかった。
ソ連軍は夜になっても攻撃を続行してきた。
18日20時、上陸司令官グネチコ少将は、
「19日の日没までに全島を占領する」命令をした。

8月19日、
互いに時々撃ちあった。
日魯漁業の女子従業員400~500名が独航船26隻に分乗して島を出発、全員北海道へ到着。
朝、杉野旅団長は山田大尉ほか3名を軍使として派遣。
その日、15時竹田浜で「正式な軍使」と会うことが決まった。
師団長は、杉野旅団長に停戦交渉に当たるよう命じた。
杉野旅団長は、
師団参謀長柳岡大佐、防空隊長木村大佐、砲兵加瀬谷中佐を軍使として出発した。
海岸の天幕で交渉に入った。
ソ連側は高圧的で、直ちに武装解除を要求するとし、日本側は、停戦はするが武装解除の返事は直ちにできぬとやりあった。
無用の損害をださぬため、結局承諾した。
ソ連側は正式な降伏と解釈した。
軍使として大観台に帰還した杉野旅団長は、幌筵島を出て占守島の千歳台に進出していた堤師団長に電話で報告したところ、
本人の回想によればえらく叱られたという。
停戦はよいが、武装解除等の条件は許可していないといって承認しなかったのである。
師団長は柳岡参謀長に再度の交渉を命じた。

8月20日朝、
柳岡参謀長は日魯漁業の通訳一人だけ伴いソ連側に向かった。



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レナウンが経営破綻

2020年06月16日 | 昭和41年~50年
アランドロンと言えば、世界を代表する二枚目の大スターだった。
そのアランドロンがなんと、
日本で、
”ダーバン”という背広のテレビCMに出演した。
そのCMは毎日テレビで流れた。
女性服で人気のレナウンが、男性の市場へ進出したのがダーバンだった。
当時、独身貴族だった管理人も百貨店でダーバンの茶色の背広を買った。
身体にフィットし着心地もよく、自分のお気に入りの一着だった。


・・・


姉の同級生(男)で、”ただっちゃん”という、愛されキャラ兼優等生がいた。
同級生の誰からも”ただっちゃん”、と呼ばれる人気者だった。
ただっちゃんは、
笠岡商に進学し、卒業して就職した。
そこまでは知っていたが
姉によれば笠商から「レナウン」に就職したそうだ。
レナウン時代に会ったことがあるそうだが、もう定年からだいぶ経っている。
有名企業だったレナウンは今年倒産した。


※本日(2020.6.16)上場廃止される、と新聞に載っている。

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