徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

歴史は滝になって落っこってる/「橋本治スーパー講演会 正味6時間 ぼくたちの近代史」

2009-07-08 04:02:46 | Osamu Hashimoto
今という時代はよく分かりません。僕にとっての歴史は1980年で終わってるんだから。つまりデータは全部出つくしたってこと。その後はそのデータを使ってどうやって未来を作っていけばいいかだとズーッと思ってた。歴史が終わったってことは、全く別の言い方をすれば、もういつまでも過去に縛られなくていいんだっていうことだけれども。(エエイ、話がめんどくせェ!)
という訳で、今や時間はアッチコッチで氾濫してしまって、レトロ(過去)という名の最新の現在がある。前になんかで「歴史は滝になって落っこってる」って吾妻ひでおのもじりで言ったことがあるけれども、そうそう人間社会は思い切りがよくないやね。という訳で滝壺から落っこちるはずの時間は、ダムになって堰止められている。ごっちゃになった時間流の中に一体何があるんだろう? 勿論この“何”っていうやつは、これから流れ出す現在という、未来へ向かう時間を支える為のロジックであるはずなんだけど。(また難しいこといっちゃったい!)
時代の検証っていうのはそんなことでしかないと思うけどな。
(中略)
多くの人の中で、歴史はもう終わっている。歴史が終わって、廃墟となった外部だけがあって、仕方がないからそれとつきあってて、でも実際は自分の内部しかない。それが内向の時代とかっていうもんだと思うけども、じゃァだとしたら、内向の時代と妄想の時代はどこが違うんだろう? 随分長く続いてるみたいだけども。
(中略)
ところで、外部という材料をアカデミックに処理する方法は一つしかない。それは、決定済みの過去にしてしまうことだ。という訳で80年代の私はただひたすらアカデミックだったのだ。誰もそんな風に思うまいが。
(池袋コミュニティ・カレッジ/1987年11月15日「橋本治スーパー講演会 正味6時間 ぼくたちの近代史」チラシより)

22年前だからといっても、この内容で、このヴォリュームで、受講料は一般2500円ポッキリというのは格安だったと思う。日本人は金持ちになり、貧乏になり、高い入場料だけが残った。

それにしてもあれから22年。あの「89」からも20年。
日本人だけとは言えないけれども、人間、変わるのには時間がかかるよね。
気がつくと変わる前の記憶がすっぽり抜け落ちたように変わるけれども。でも本当に変える意志のある男は執念深く、その時を待っている。良い悪いは別にして、小沢さんみたいにさ。
あれから約20年、ガチガチに固められたダムの時間流から「未来」は零れ落ちるのだろうか。


ぼくたちの近代史
<本書は、橋本治スーパー6時間講演会「ぼくたちの近代史」(於:池袋コミュニティ・カレッジ,1987年11月15日)の内容に補筆したものです。鬼才橋本治が語り尽くした「近代の検証と行方」の感動の書。>

登録情報
単行本:218ページ
出版社:主婦の友社 (1988/09)
ISBN-10:4079275471
ISBN-13:978-4079275477
発売日:1988/09
商品の寸法:19x13.2x1.6cm

補足

2009-07-08 02:31:41 | VIBE RHYME

ビブラの曲にはテレビを題材にしたものが多い。今の時代(注:1995年)、具体的に「敵」とはなにかと問われたら<テレビ>と云うのが一番答に近いのかも知れない。
『vibration+stone 1991→1994。→』近田春夫自身による収録曲解説より)

VIBE RHYMEの作業が進んだのでちと補足。
この数年前のインタビューなのだけれども『ポップス・イン・ジャパン~ロックを超えるミュージシャンたち~』(新潮文庫1992年)あたりを読むとビブラと近田さんがいかにこの時代に燃え上がっていたのかがわかる。

今から15年ほど前(実際にはもっと前)というと、オレ自身もその頃からやはり<テレビ>には興味を失っていた。普段はニュースかスポーツ中継、電波少年ぐらいしか観ていなかったような記憶がある。もしかしたら<敵>だったのかもしれない。
1995年というのはやはり物凄い年だった。そしてテレビは日本人に集団ヒステリーを引き起こし、日本人はその後遺症に苦しみながら、まだ<テレビ>を観ている。

んでもって、<テンイヤーズ~日本人の10年間/LB2005年12月号>というわけなのである。

ビブラストーンの<言葉>は20年経っても(いや、むしろ今だからこそ)まだ充分効く。