徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ツイッター再び

2009-12-07 04:54:47 | Books
「<他人のむき身の「思考の断片」>が新鮮だった」
「これまでのネットと違ってツイッターは社会と結節したと感じます」
「大学時代にインターネットに触れ、“世の中が変わる”と多くの可能性に期待したけど、社会の根本はあんまり変わらなかった。でもツイッターはいけるかもと……。僕自身の体験からも人を行動へとかりたてる力にはすごい手応えを感じる」
(朝日新聞12月6日付 著者インタビュー『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』津田大介インタビュー)

そんな簡単に、世の中が<根本的>に変わるわけがないと思うんだが。

まあ、まだ本は読んでないんですが。
ツイッターが面白い面白くないは別として、何でインターネットでは駄目なんだろう。何でブログでは駄目なんだろうと思うわけです。結局インターネット教ツイッター派でしかないと思うんだが、何でこういうツイッター礼賛の言葉って伝わってこないんだろうと思う。<世の中が変わる>という試みには興味があるけれども、何か別の意図があるとしか思えないなあ…。

たぶんよくわからないのは津田さんがいう<世の中が変わる>というのは何を指して変わる(変わった)のかということなんですが…同書の例に挙げられているという<ハドソン川の旅客機不時着事故、イランの政治運動、オバマの選挙戦略>は<根本的>というにはあまりにもスペシャルな出来事でないの?
まあ、どう考えてもネットだけでも十分、確実に世の中を変えてますけどね。
ネットだけじゃ(I Can't Get No) Satisfactionてことですか。
それってもしかしてセカイ系とかゼロ年代につながってたりして。
ああ、どんどん話が拡がりそうだ…。

とか何とか言いながら、たぶん今日もツイッターやりますけど。
今日は博多出張です。もうすぐ出発(ツイッター風)。

燃え尽きるまで/最終節名古屋戦

2009-12-07 02:47:11 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10


土曜日。
アウスタでJリーグ最終節、清水対名古屋
12月の雨ということで凍えるほど寒い。
しかし照明が入った、雨の日本平のピッチは美しい。

6節前に勝ち点50で首位に立ったものの、5節を消化した時点で勝ち点はそのまま50、順位も7位まで落ちた。一気に落ちた。最終節のドローで勝ち点1を積み上げたものの、最終的な勝ち点は51。首位になってから勝ち点1しか積み重ねることができなかったわけである。
これはいくらなんでも信じ難い展開で、ここ3年ほどは終盤、確実に勝ち点を積み重ねてきた清水にとっては異常事態である。堅守速攻のチームでレギュラーのCB2人が揃って負傷し、前線で身体を張っていたフローデも調子落ちというスクランブルがあったとはいえ、ここまでの崩壊は、ちょっと、記憶にない。
最終節の名古屋戦でも前半、駿は前線でまるでボールを収めることができず、CBはケネディの高さにことごとく負けていた。かつて清水は高さをストロングポイントのひとつにしていたはずなのに、ちょっとどうなのよというぐらい競り負けていた。まあ、岩下が無事に出場していたら対ケネディとのガチ空中戦でカード必至という感じもしないでもないが。

何人かのプレーヤーは明らかにこの状況に動揺していた(しかもひとりは、平均年齢24歳台の若いチームの中では確実に実績もあるベテランのはずなのに、である)。自らゲームを動かさなければならない立場なのにチームを引っ張るどころか、リスク回避に走っているように見えてとても悲しくなった。ケネディに競り負けている後輩を気遣ってバランスを取る気持ちもわからないでもないけれども。
S極の大場氏もよく書いているけれども、エスパルスというチームはとても真面目なんだろう。真面目で誠実なのに、ファンの罵声を浴びるなんて理不尽に思うかもしれないけれども、プロスポーツがエンタテインメントで、彼らの戦場がサッカーというゲームの中である限り、単純に<結果がすべて>のアマチュアではないんだからリスクを負ってエンタテインメントするのは当然の仕事である。リスクを負ったチャレンジの向こうにエンタテインメントとエスパルスのヴィジョンがある。サッカー用語に言い換えればスペクタクルである。チャレンジしなければエンタテインメントもないし、スペクタクルもない。そしてエスパルスの未来もない。

そのチャレンジのひとつがシュートだろうと思う。
スリッピーなピッチ状態もあったのだろうけれども、最終節の清水は実によくシュートを打った(全チーム中3位…だったかな)。精度が足りなくても、威力がなくてもゴールに向かうシュートを打たなきゃ何も変わらない。
もちろん、どんなにゴールを外していてもオレはすべてのシュートに拍手した。
シュートはプレーヤーの自己表現だから。
チャレンジする自己表現には拍手を送るべきだろうと思う。
高さで競り負けていたとはいえそれほど悪くなかった前半を折り返して、後半に入るとぐんと内容は良くなった。誰の目にもチーム状態の復調気配は明らかだったと思う。まあ、それでも勝てないのが連敗地獄の地獄たる所以なのだろうけど。
これで最終節ながら名古屋戦のドローでリーグ戦の連敗地獄はストップした。だが、勝っていないんだから来年の開幕戦まで連敗地獄は持ち越しという見方もある。

が、しかし。
調子がいい時にリーグ中断が入ったり、悪いときに連戦、一番大事な最終盤に連敗というように今年のエスパルスの間の悪さと言ったらなかったが、幸か不幸か、リーグ戦は終わってしまったが、復調気配の中で今シーズンの戦いはまだ続く。

ゲーム終了後、シーズン終了のセレモニーで最後の健太の挨拶で野次を飛ばしていたオヤジは何なんだろうと思う。
まだチームは道半ばだってのに。志半ばだってのに。
野次るならすべてが終わったあとに野次ればいいのである。まだ今シーズンは終わってないし、健太のチームはまだまだ終わらないし。
次は今週土曜、12日にアウスタで天皇杯準々決勝、新潟戦(チケット発売中)。

不完全燃焼だったリーグ戦を完全燃焼させるまで戦い切って欲しいのである。


(高森朝雄・ちばてつや『あしたのジョー』14巻/講談社)

負けたら今年は終わりなんだから真っ白になるまで、最後まで燃え尽きようぜ(野次オヤジは言い訳だらけのうどん野郎、マンモス西に認定して差し上げる)。

あ、あと今年最後の『王者の旗』の寒々しさってなかったな(あとやけっぱち気味の花火の連射)。
まあ通常は勝ったときにしか歌わない歌だから仕方ないって言えばそうなんだけれども、大事な歌をあんなに粗末に扱っちゃうと惨めなBGMにしか聴こえない。
エスパルスの人間にしか歌えない、みんなの歌なんだから粗末に扱っちゃいけない(まあ、あの歌はファミリー向けだけど)。
チャントもそうだけど、スタンドで歌う歌ってのはサポーターの口から出る魂ですよ。
フロントはもう一度、本気で演出方法を考え直した方がいいと思う。