徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

<完成>した時代と自信喪失/「革命的半ズボン主義宣言」

2010-11-11 17:41:56 | Osamu Hashimoto
<“現代というのは完成した時代です”というのは、実に不思議な一行です。誰もこんなこと思ってやしないのに、そう言われると「そうですねェ」とうなづいてしまうような一行です。
 実は現代というのは別に完成なんかしてやしないのですが、気がつくとどこにも問題意識が公然と入り込む余地がなくなってしまっていたから、それで人は勝手にフィード・バックして、「ああ、自分の知らない内に、もう時代というのは完成してしまっていたのだ」と思い込んでしまうだけなのです。
 完成してしまったものだから、もう時代は先に行きようがない――そのことは決まっている、だから現代というものはとりとめもなく現在という瞬間々々がなんとなく流れていくだけなのだと、平気で思いこめるのです。
 私はそんなものいやだと思っているということは前にお話ししました。その理由は私がまだ若いからだと。
 私はまだ若いから、完成してはいないのです。(中略)
 現代という時代が完成してしまった時代だとして捉えられることの根拠が、“気がつくとどこにも問題意識が公然と入り込む余地がなくなってしまっていたから”だと私は書きましたが、とんでもない、現代に於いての問題意識は“公然と入り込めないかわりに私的にブスブスくすぶっている”という形で公然と存在しているのです。だから誰だって、現代が完成した時代だなんて思わないけれども、よそから“現代というのは完成した時代です”という一行が飛び込んでくればそこにひれ伏してしまうのです。
 これほどあからさまに問題が存在していて――それは常に“私的な問題意識”として存在している――それでなおかく何も問題がなくて、平気で現在をとりとめもなく流していられるなんて、バカとしか言いようがありませんが、実に、現代に於ける人間の自信喪失の根拠がここにあります。(中略)
 妙に自信を持っている他人を見ていると、自分の中では自信のなさが育ち、その自信のなさを検討して行くと明らかに自分の中には他人と比べて欠落した部分が存在するということが分り、自分の自信喪失だけは揺るぎないものになるという、困った確信(!)だけは生まれる――それが現代の更なる完成であったりするのです。>
(橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社1984年)

革命的半ズボン主義宣言

登録情報
単行本:263ページ
出版社:冬樹社 (1984/12)
ASIN:B000J6X1V0
発売日:1984/12

革命的半ズボン主義宣言 (河出文庫)
<「今、日本に幽霊が徘徊している。どうせ徘徊するんなら半ズボンの方がいい」という宣言にはじまり、「来年の夏はみんなで半ズボンを穿かない?」という不思議なアジテートをめぐって、半ズボンを穿くことの正当性をしなやかな論理が獲得して行く、痛快無比のロング・エッセイ。戦後=近代、男と女、マスコミ、都市、日本的心性、江戸…膨大な問題がたった一行に集約される不思議な本。>

登録情報
文庫:256ページ
出版社:河出書房新社 (1991/01)
ISBN-10:4309402976
ISBN-13:978-4309402970
発売日:1991/01
商品の寸法:14.4x10.4x1.2cm