徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

本当に「数」ではないのか?/右から考える脱原発ネットワーク in 船橋

2011-09-18 23:15:10 | News

右から考える脱原発ネットワークの船橋デモに参加。9月3日の横浜デモ当日は柏へ行っていたので参加できなかったが、2回目の参加。陽射しは結構強かったのだけれども、湿気もそれほどなく風も強かったので思ったよりも歩きやすい天気になった。集会時の参加者は50名前後とそれほど多くなく、制服組とは別に木陰で煙草を吸っていた黒いズボンのおじさんたちが目立っていた。それでもデモが始まると100名前後には増えたか。
「数ではない」のはその通りなんだが、それでもやはりもう少し増えて欲しいものではある(中1週も影響があったか)。
船橋は政権が発足したばかりの野田総理の地元であり、デモる意義は実に大きい。


彼らのデモはとっても熱く、温かい雰囲気があるけれども、新宿や渋谷で行われているデモとは違い、やはり「楽しく」はない。デモ隊は風船でデコレーションしているとは言え、政治的立場を鮮明にする彼らのシュプレヒコールは愚直なまでのクラシカル調で、どうしたってフリーの参加者に「声を出させ」、歩行者を「巻き込む」にはちょっと辛いものがある(前回も書いたが、“文句を言わせないため”のシュプレヒコールだから仕方がないんだけれども)。オレの前を歩いていた、Twitterデモにも参加しているらしきお兄さんが歩行者やドライバーに笑顔で声をかけていたけれども、やはり「右から」というスタンスがハードルを高くしているのは言うまでもない。
勿論それは仕方のない面もある。左派の“持ち分”と見られていた原発問題を、実際に事故が起こり、いまだに進行中である現在、国民運動として“右派”にアピールするという屈折を彼らの行動は抱えているのだから。しかし、だからこそ横浜から中1週という短いスパンで行われているのも理解できる。「数“だけ”ではない」からこそ、そしてアピールする目標がはっきりしている以上、彼らはフレキシブルに動ける。今は行動すべきだとして、それを立て続けに、「継続の意志」をアピールするために実行する彼らは本物の活動家で、その点において共感できる。


そこで、決して“右”ではないオレがなぜ参加しているのかということをやはり今回も考えてしまった。
「数ではない」というのは一方で参加者の熱い情熱を肯定させるものではあるけれども、もう一方で“国民的運動”を目指すのならば「数がなければ意味がない」というのも真実ではある。フジデモの連中が参加者数を“盛り”まくるのも、あれほど“マス”を憎悪する彼らでさえ数の重要さを動物的な勘で理解しているということである。反原発デモにおいて、それを先週、新宿で実行したのが素人の乱だった。彼らの意図や目論見は「数がなければ意味がない」に他ならず(それは関係者のツイートによる前日までの自己宣伝の激しさで十分に伺える)、だからこそ高円寺、渋谷、新宿で1万人以上の動員を達成し、ある程度の成功を収めた彼らの二度目の新宿行動を警察が牽制したのは容易に想像できる。それほど、やはり、というか当たり前だが「数」は脅威である。それが誰にとって、という問題は別として。

それは「決して数ではない」という生き方をしてきたオレ自身でさえやはり考えてしまう状況で、さまざまなデモに参加して数の重要を痛いほど感じている。だから「右から」デモだって、やはり、まず“数”として参加しているのだろう。
勿論、それを共闘と言い換えてもいいけれども。
既成の主催組織というものに“総結集”という発想が生まれないのならば、個人個人がそれぞれのデモで共闘していくしかない。事態ははっきりしているのだから、目標さえ明確であれば、左や右なんてものは関係なく、ね。
また旧態依然に“権力”との直接対決をアピールするようなイベント方式で万単位の動員を目指すのではなく、組織として共闘できないのならば「右から」のような少人数のデモを各地で多発させる。これこそ「数であって数ではない」やり方じゃないかな…そんな夢想もしてしまう。まあ、結局は「個」に戻っていく問題だとは思うけれども。

明日は脱原発ウィークの最終日、日本全国でデモが同時多発し、東京・渋谷周辺では「数」を問われる集会とデモが行われる。

NO NUKES! ALL☆DEMO 2011
9月19日(月・祝) 雨天決行
時間:12:30~集会 13:30~デモ
集合場所:代々木公園けやき並木

さようなら原発 5万人集会
9月19日(月・祝)
時間:13:00~ライブ 13:30~集会 14:15~パレード
会場:明治公園

そして5度目のTwitterデモは9月24日。
これは今、東京で一番“可能性”のある運動体だと思うし、今回も“広場”になることを期待している。

僕達も凄く嬉しくなっちゃった/第26節 浦和戦

2011-09-18 03:45:28 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
アフシン「両チームにとって非常に挑戦する試合だったと思います。その中での週での3試合目ということもありましたし、グラウンドのコンディションも非常に悪かったです。そして気温と湿度というのも、選手達の助けにはならなかったと思います」

ペトロヴィッチ(浦和)「アフリカでもこれほど酷いフィールドは見たことがないぐらいのコンディションでした」
(以上、Sの極み 9月17日付)

スカパーで浦和戦
テレビで観ていても芝の状態の悪さは明らかで、当然ながら前節の静岡ダービーよりも更に悪化していたように思う。王国のピッチとしては実に恥ずかしい限り。まあ「アフリカでも見たことがない」というのは言い過ぎだとは思うが(またヨーロッパ人らしい表現だと思うが)。清水は前節、このピッチでプレイしていたとはいえ、それほどアドバンテージがあるとも思えず(そもそも清水にとってもアウエイ、つまりこのゲームは“中立地”でのゲームだ)、早い時間から中盤を省略するような大味なゲーム展開になってしまった。
とはいえ、ロングボールに揺さぶられながらマゾーラ、エスクデロといったスピードスターに幾度となく裏を突かれそうになったものの、大事な場面でミスを多発していた浦和と比較して概ね清水がゲームを支配していたのは明らかで、残り10分といったレベルを除けば、シュート数の差とほど(そしてペトロヴィッチが言い張るほど)浦和に押し込まれていた印象はない。
繊細なパスワークが望めない状況である反面、キャラの威力のあるミドルやフレディのスルーパスはまたひとつチームの可能性を見せたと思う。ゲーム勘を取り戻しつつあるのか、辻尾が決勝ゴールのアシストを決めたのも素晴らしい。欲を言えば基本ディフェンスヴで、愚直なまでに直線的な動きしか見せない彼には、フレディと敬輔に怒られながらプレイの幅を拡げて欲しいと願うばかりである。てかポテンシャルはあるんだから(たぶん)、いい加減に拡げてくれ。

ちなみに本日、フレディ初勝ちロコ。

フレディ「今までやっことは無かったんですけど、皆さんが喜んでましたし、僕達もそれによって凄く嬉しくなっちゃったので…ちょっと(足が)痛かったけど、でも踊れて良かったです」
Sの極み 9月17日付)

オレらも嬉しくなっちゃうよ。

ということで、エコパ使用は当分御免だが、日本最高のピッチであるアウスタでタカ、伸二、フレディの揃い踏みを早く観てみたい。今日のフレディは痛み止めを打ちながらのプレイだったようだし、タカの状況を考えれば、やはり大一番となるはずの10月2日の名古屋戦あたりが有力か。

そして前節のエコパでは叶えられなかった無失点での勝利は、アフシンのコメントによって眞田雅則とその家族の方々へ改めて捧げられた。シーズンの残りゲームはすべて眞田に捧げられる。

次節は24日、等々力で川崎戦。
大連敗中だったフロンターレもようやく、何とか勝った。切羽詰まった特攻隊みたいな悲痛なメンタリティで対戦するのは嫌だったので、正直ひと安心なのである。これで思い存分、元祖「俺たちは強い」ゲーフラを生温かく見物しつつ、日本平初黒星の借りを返す。今考えても、あの川崎戦の黒星が0-4の3連敗という屈辱の伏線だったと思うんだよなァ…。