徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

2011年の敬老の日/NO NUKES! ALL☆DEMO 2011

2011-09-20 01:20:37 | News
目が覚めたら11時30分を過ぎていた。シャワーも浴びられずに渋谷へ向かう(途中で郵便局に寄って行くつもりだったのに…)。
原宿駅で降りて急いで<NO NUKES! ALL☆DEMO 2011>の集合場所の代々木公園けやき並木に到着すると、すっかり集会会場には後片付けのスタッフがいるだけで焦った。結局PANTAさんも見られなかったし、平野君のスピーチも聞けなかった。が、しばらく急ぎ足で追いかけると公園通りの入口でちょうどデモ隊の最後尾が見えた(最後尾付近に野間さんの姿が見えたので初めて挨拶)。
公園通りを下りながらツイデモ部隊…というか、何となくお馴染みの顔ぶれが、何となく固まっているあたりに、何となく合流。このへんはアバウトでいい。ただしこの集団は声を出す人は多いので気兼ねなくコールはできる。渋谷駅の手前あたりからテンションも上がり始め、バンチョー君が地声でリードを始める(途中で声が潰れた)。平野君もトラメガでコールをリードし始めた。ツイデモでは必ず顔を見かける兄ちゃんも前後に動きながら、いつもと同じように歩行者に呼びかけるように元気に声を出す。相変わらず、皆が(皆で)声を出しやすい雰囲気を作っている。

この日は同時刻に明治公園で<さようなら原発 5万人集会>が行われていたためか、デモ警備はちょっと驚くほど緩かった。通常なら2~3メートルに1人はいる警官が、後方の隊列では下手したら20、30メートルに1人いるかどうかの緩さ。いや、もっといたのかも知れないけれども、街中ではほとんど意識しなかった(そのぶん代々木公園に入ると急に道路がカラーコーンで仕切られ歩きにくくなったのだけれども)。だからといって勿論隊列が大きく乱れるようなことはなかったと思うし、そもそも参加者(スタッフ)が全体を見ながらが前後に動きながら隊列を誘導していた(オレらの近くにいたのは子供オーケストラのリーダーさんだったか)。主催サイドがどういうミーティングをしていたのかはわからないけれども、9.11新宿を受けた自主的な行動ならば素晴らしいことだと思う。実に熱くピースフルなデモになった。
この時点でかなり汗だくだったのだけれども、けやき並木でひと休みしてから表参道へ向かう。


<NO NUKES! ALL☆DEMO 2011>で線路沿いを歩いていたときに、路上に停車している福島からの観光バスを見かけた。
おそらくこれが福島からやって来た<福島隊><会津隊><浜通り隊>等のバスだったのだろうか。その時点で明治公園の参加者がとんでもない数になっていたことはTLで知っていたけれども、表参道の入り口で、立ち並ぶ幟旗が青山通りを曲がってこちらに向かってくる光景を見たときにはちょっと感動してしまった。そして、そのまま<福島隊>の隊列に加わる。いつもならちょっと抵抗感のあるクラシカルなシュプレヒコールも自然と声が出た。
表参道を下りながら、幟を持つおじさんに話しかけてみた。
「大江健三郎さん、先頭歩いているんスか?(先頭の街宣車ではそうアナウンスしていた)」
「最初は歩いていたみたいだけどわかんないですねえ」
「大江さんもお年ですもんね」
「ねえ…」
そんなたわいもない話をしたのだが、しかし、周囲を歩いているのはほとんどが60代以上、おそらく大江さんと同世代の方々も少なくなかったのではないか。そう考えれば、彼らは班目春樹氏と同世代の方々であり、米倉弘昌氏と同世代の方々だっていたはずだ。オレとはまた目線が違う、これは大人対大人のデモなのである。彼らは彼らの目線と立場で原発問題に対峙している。もう、無駄に体力だけはあるオレはおじさんやおばさん以上に声を出す他ない。
これが2011年の敬老の日である。

そして今後、「2011年」を伝えるであろう歴史的一枚@Twitter