徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

祭りの後…

2010-11-09 13:21:00 | 素日記


いろんな意味で祭りのあとの静岡から帰って来たわけですが。

土日は「大道芸ワールドカップ in 静岡2010」。
土曜は到着したのが11時頃で14時からBSでセレッソ戦の中継があるので、七間町と青葉公園のあたりでけん玉師・伊藤佑介さん、バルーンシュウさんを観て実家へ。バルーンは時間の制限があるし、客を飽きさせないためには仕込みが大変だろうし、芸の間口が広いから差別化するのは大変だろうなと思いつつ…あ、次元のバルーン欲しかった。
やっぱり初日の木曜から来るのは無理があるとしても、金曜のナイトパフォーマンスから観て、土日はゆっくり観るというのがベストだったかなァ…。
別の意味で祭りのあと、もしくは後の祭り感が濃厚だったセレッソ戦は別のエントリで。

セレッソ戦でかなり気が重くなった日曜はスタート前の11時頃に市街へ出る。
まあ全部観倒したろ、とは全然思っていないのでストリート中心にぶらぶらと歩く。ド根性フラフープのジプシーゴメス、高速着替えのデビッド&ダニア、筋肉パフォーマンスのパワーボム等など。時節柄、中国からの参加パフォーマーがどうなるのかちょっと心配だったんだけど、何事もなくフツーに観客に囲まれてパフォーマンスが行われていてひと安心。

駿府公園で縁日ぽく観るのもいいんだけど、やっぱし街中でぶらぶらしながら観るのがいいです。しっかり観ようと思ったら遅くとも15分前にはパフォーマンスポイントで待機していなければ観辛い思いをすることになるんだけど、まあ人だかりの後ろから眺めるのも悪くない。こういうイベントで大事なのは街の風景とパフォーマンスの融合すから。大道芸を観ている客の顔がみんな笑顔というのも、セレッソ戦でズタズタの気分だった身としては癒されます。
帰りに青葉おでん横丁のこうたろうにでも久々に寄ろうかと思ったらまだ閉まっていたので断念。実家に帰ったら夕食ががっつりとおでんだったので、まあいいんですけど。呑み屋ならともかく、もう家でまでおでん喰いたくねーよ…。

静岡でここまで大成功したイベントも少ないと思うんだけど、ガンダムや東照宮の国宝認定とか、ここのところ静岡が盛り上がっている。そんなイベントがなくても静岡は日本で一番便利で(←ここ大事)、過ごしやすい土地だと、今は心から思うけどね。それはこの土地を二十数年も離れてわかったことだけれども。
それにストリートの刺激なんてお膳立てしてもらったり与えられたりするものじゃなくて、今の時代は自分のアクセス次第だからね。

来年は大道芸ワールドカップも20周年だそうで、もう来年が楽しみ。

悪い人たち・泣く人たち/「ぼくたちの近代史」

2010-11-06 04:52:17 | Osamu Hashimoto
<僕達はなんでそれが可能だったんだろうっていったら、原っぱがあったからなのね。なんの意味もないただの空き地だったんだけど、僕達がそこにいることによって、そこが僕達の世界に変わってった。だからつまり、世の中がいくらぎゅっと縮まってっても、原っぱさえありさえすれば、そこにいさえすれば、人間って、なんとかなるようなものっていうのは作れるかもしれないと思うのね。だからその、みんなで作ってく混沌を平面に存在させる場所っていう、そういう原っぱっていうのがなくなっちゃ駄目なんだよね。でそれは、原っぱじゃなくても、一つの概念でありさえすればいいと思うのね。>

<真面目なことだけになってしまうと、そのことがプレッシャーになるのね。冗談にもなりうるっていう手を一本打っておかない限り、この先あやういなって思うから。恐怖の大王っていうのが降ってくるらしいですが、甲府の大王と豆腐の大王も降ってくるらしいですよ、ってしとけば、一九九九年までは冗談になりうるな、って。で、冗談になりうるっていう風な手を打っとかないと、これは冗談になる余地はみたいのが全然ないんだっていう悪い人達が、どんどん真面目に悪い方向に持ってってしまうかもしれないから、うん、冗談にしよう、と思って。
“現代”っていうのは近代と地続きになっているのね。だから、近代と地続きになってる部分っていうのは、あんまりやっぱりいいことがないから、あんまりそういうことを喋ってると泣いてしまうのね。ところが“現在”っていうのは現代の中にいて、現代と切れてるからね、現在は何に属してるかっていうと、冗談にしか続かないのね。で、冗談っていうのはやっぱり、一番健康な理性のわがままのような気がする。
(中略)真面目になるのは何の為? 冗談が分かる為じゃないの? 全部蹴っ飛ばすためにあるんですよ。蹴っ飛ばした後に自分があるんだもん>
(橋本治「ぼくたちの近代史」主婦の友社)


ぼくたちの近代史
<本書は、橋本治スーパー6時間講演会「ぼくたちの近代史」(於:池袋コミュニティ・カレッジ,1987年11月15日)の内容に補筆したものです。鬼才橋本治が語り尽くした「近代の検証と行方」の感動の書。>

登録情報
単行本:218ページ
出版社:主婦の友社 (1988/09)
ISBN-10:4079275471
ISBN-13:978-4079275477
発売日:1988/09
商品の寸法:19x13.2x1.6cm

今年も大道芸ワールドカップへ

2010-11-06 04:49:04 | 素日記
明日…というか、今日は朝早めに東京を経って、恒例の大道芸ワールドカップ2010開催中の静岡へ。
去年はナカスの取材もあったし、前夜下見でナイトパフォーマンスを見て回ってから白木と深酒した挙句、仮眠用のネットカフェ探しに体力を使い果たし、取材当日は使い物にならないぐらいぐったりしていたという…いや、それでも取材終了後は白木、大甲君とまた新幹線の最終ぎりぎりまで呑んでたという…ま、とにかくあんまりゆっくり観られなかったので、今回はじっくりと(メイン会場以外を)観たいと思う。
まあ今日はどちらにせよ14時からセレッソ戦をBSで観なくちゃなので、着いたところで軽く見物しつつ、ゲーム後の気分に余裕があれば、ちとストリートのナイトパフォーマンスを観に行くぐらいかな。勝敗は物凄く影響しやす。

大道芸ワールドカップ in 静岡2010は日曜が最終日。
お時間のある方は静岡へどうぞ。

tribeとsociety

2010-11-04 18:40:21 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
以前も書いたことがあるけれども、やはりエスパルスが現在のような極端な状況になると、自分が清水系のフォロワーを積極的にフォローしていない理由を実感してしまう。オレ自身がエスパルスに関してはそんなに甘いことは書かないから気分良くない人もいるだろうけど(まあ、ブログに書いている内容はかなり大甘で感情的なのは自覚しているが)。

やっぱり…例えば自分にとって音楽系のフォロワーはある意味tribeだと思うけど、サポーターという集団はどうしたってsocietyなんだ。
いや、もちろんフォローして頂いている清水サポーターの方は共感できる方が多いので別のリストに入れて読んでいます…いますが、最近のエスパルス関連のタグで大半を占める感情的な意見というのは、もはや2ちゃんと大差ないと感じているのも確かなんだな。
エスパルス(サポーター)がtribeになるにはまだ時間がかかる…。

<フィル・オクス>メモ

2010-11-04 05:27:17 | Music
<そして1975年10月23日、フィルのホームグラウンドのひとつであるグリニッジ・ヴィレッジのガーズ・フォーク・シティのオーナーのマイク・ポルコの誕生日を祝うコンサートで歌ったのを最後に彼は人前で歌うことをやめてしまう・その年の末から始まるボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューにも、フィルはボブに誘われて参加する予定だったが、とても歌える状態ではなかったらしい。
 そして1976年4月9日、フィル・オクスはクィーンズのファー・ロッカウェイにある妹の家で首をつって自殺してしまう。彼は前の年の12月からそこに住んでいたということで、もっぱらの悩みは、声が潰れてしまったことより(※)、言葉が浮かんで来なくて歌が作れなくなったことだった。
 アルコールに溺れての自殺だったという人もいるが、一方ではフィルの死に疑惑を持つ人もいる。彼はどうやらCIAにマークされていたらしく、南米でも、イギリスでも、アイルランドでも、すべて行き先を知られていて、すぐに逮捕されたり、国外追放処分にあっていた。アフリカの事件も、フィル・オクスの“声”を奪おうと誰かが仕組んだものではないかと見ることができ、その疑惑はいまだに晴らされていない。それにニューヨークでの自殺にしても、CIAやFBIは反体制派の人間を自殺へと追い込む謀略手段を持っていて、フィルの死はそれと関係あるのではないかという意見もある。彼の死後にフォークウェイズ・レコードから発売された「インタビューズ・ウィズ・フィル・オクス」というインタビュー・アルバムのライナー・ノーツで、元ブロードサイド誌の編集に携わっていたゴードン・フリーゼンは、「プロテスト・シンガーになるのは危険なことである」と書いている。>
(中川五郎・1990年1月/Phil Ochs「REHEARSALS FOR RETIREMENT」ライナーノーツより)
※1973年、タンザニアの社会主義国家視察の目的でアフリカを訪れたフィルは暴漢に襲われ、声帯をほとんど損傷する大怪我を負った。

・“プロテスト・シンガー”が言葉が浮かんで来ない時代。過去?←→現在
・“それ”が一体音楽である必要はあるのか。
・鮮明なディランとの対比。
・2010年現在、“それ”は今でも音楽でなければならないのか。



合理と非合理/「宗教なんかこわくない!」

2010-11-04 02:01:16 | Osamu Hashimoto
<なんであれ、人は非合理を信じたりはしない。「非合理だから、目をつぶって信じてしまう」のではない。合理的だからこそ、“信じる”ということが可能になるのである。人間はそんなにバカではない。そして、一度信じてしまったら最後、その合理性がご破算になってもまだ信じようとして、「非合理を信じている」という悲惨を迎えるのである。人というものは、そのように愚かな生き物である。
愛情とは、「非合理になってしまったとしても、それをまだ信じていたい」と思う心である。人はそのように、自分が可愛いのである。非合理になったものを愛しているのではない。なくしたくないものは、合理的だと思って信じた、その時の気持である。その時の、「自分と他とが一体になれた」という、至福の記憶である。人間が“頭で考えるだけの生き物”なら話は簡単だが、人間はまた、“心で検証する生き物”なのである。だから、いつの間にか頭が置き去りをくらって、「非合理を信じている浅ましさ」を露呈してしまうのである。>
(橋本治「宗教なんか怖くない!」マドラ出版)


宗教なんかこわくない!
<オウム真理教事件とはなんなのかいや、そもそも宗教とは。緊急出版。悩める若者たちに、会社人間の大人たちに、ワイドショーばかりの主婦たちに。時代を読み解く渾身の書き下ろし440枚。><オウム真理教事件とは、遅れてきた田中角栄信仰とオタク予備軍のしでかした、バブル末期の犯罪である。オウム事件にみる日本のすがた、宗教とは何かを語り、時代を鋭く読み解く。>

登録情報
単行本:307ページ
出版社:マドラ出版 (1995/07)
ISBN-10:4944079052
ISBN-13:978-4944079056
発売日:1995/07
商品の寸法:18.8x12.2x2cm

天敵~その後/第28節 FC東京戦

2010-11-02 03:26:13 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
健太「まだまだこれから先のあるチームになったという部分といろんな選手がいろんな形でね、(中略)育って行く過程を見ることができたのもホントに監督としてはしあわせです。(中略)単なるクラブチームではなく、やっぱり静岡、清水の『サッカー王国』のクラブなんだと、そこにどれだけ誇りを持って、戦えるかどうかととうところはまず、選手には訴えて、(中略)それを十分理解した上で選手がこのチームにどれだけ愛着を持って、誇りを持って戦ってくれるか、というところはまず教えてですね、それは非常に十分理解してくれて、まあそういう意味では、そういうハートを持ったね、選手が数多く出てきたということは非常に大きいことではないかなと思っています」(Sの極み 11月1日付)

2日の予定だった公式発表が、反響の大きさだろうか、急遽今日に行われた。
このブログもサッカー専門、エスパルス専門というわけではなくでガンボ状態で書き続けてきたわけだが、健太体制前夜から始め、この6年ほど健太と共に走り(書き)続けた。そして今日の健太のコメントにもあるようにチームが<育っていく過程>というものを実際にスタンドから感じ続けていた。草創期エスパルスの象徴であるノボリが現役引退した2005年年末から翌年元日の天皇杯決勝からは信じるに値するものとして書き続けてきた。
結果的に現時点ではタイトルこそ獲れないでいるが、エスパルスは変われるし、強くなれることが信じられた。
健太エスパルスは愛すべき、若きチームだった。
その航海が6年目にして一旦終わることが宣言された。
健太のインタビュー全文は是非読んでもらいたいほどだが、再開したSの極みで読んでいただきたい。

土曜日、アウスタで東京戦
台風の中、いつもの席に着くとシーチケのご近所さんはものの見事に一人も来ていなかった。台風が来ているとはいえ、こんなことは初めてだった。この日、アウスタに集まった“コアサポ”は7000名弱。ナビスコ予選でも天皇杯緒戦でもあるまいし、この人数である。いつもゴール裏はアウエイ専なんだけれども、あまりにも少ないゴール裏に思わず足が向きそうになった。それぐらい寂しいスタンドだった。
そして相手は降格危機が現実味を帯びてきた天敵東京。

健太「逆にどうだったですか? あのチャンスの数では自分達が意図して崩した数っていうのは間違いなくエスパルスの方が多かったという風に思ってますし、まあもちろんカウンターから危ない場面も何回かありましたけど、そういう意味では『チャレンジ』という部分に関しては、攻撃的な姿勢は最後まで持ってね、戦かってくれたんじゃないかなという風に思ってます」(J'sGOAL 10月30日付

ここ数戦、というか後半戦のゲーム後に呪文のように繰り返された「内容は悪くない」という言葉は、この日も繰り返された。そしてそれはほとんどの場合、間違っていないのだから始末に負えない。結果が伴わないだけであって、内容について極端に手も足も出ないぐらいに押し込まれたという場面、ゲームはこれまでだって数えるほどしかなかったと思うのだ。
ただ、この日のゲームの場合、イチの消極的なプレーに関してはちょっと絶望的な気分になった。大前投入前後から縦に鋭いグラウンダーのパスがたびたび繰り出されるようになった早い展開の中でイチがストップをかけていた場面は少なくなかった。
そして負けた。
誰かがtwitterでも書いていたが、現実的にACL目標と口にしてはいても目標を見失っていたのは確かではないのか。ブーイングはあったのか。風の音か雨の音でかき消されてしまったか。実に寒く(凍えた)、痛々しい敗戦だった。

京都戦で覚悟していたとはいえ、今季で退任は決定的だと思った。
そして実際、翌日にはスポーツ紙ではない、朝日新聞に退任の記事が掲載された。
これは目標を見失ったプレーヤーたちに向けたぎりぎりのタイミングでの、これ以上ないカンフル剤だと思った。
さらに今日のスポーツ紙には健太退任と共にテルとイチ、そしてフローデに対して来季の契約を結ばないとの記事が掲載された。
後任監督予想のおまけつきで。
健太への退任勧告はナビスコカップ準決勝、広島戦敗退翌日の10月11日に行われた。つまり京都戦以前には既に満期での退任は決定していたということになる。イチには10月25日、テルにも10月中旬に通告されたという。フロントはこちらの想像以上に現状についてシビアに捉えていた。監督は別として、イチとテルに関しては当然、名古屋、マリノスの淳吾へのオファーが22日にあったことも影響しているだろう。また代理人契約をしていないふたりに対してある程度の時間を与える意味で早めの公表…というか情報流出も理解できないこともない(感情論は別として)。
これらは契約更改、補強についても水面下で進みつつあるという意味なのかどうかはわからない(が、たぶん、関係がないとは思えない)。これらについてはこれから一ヶ月、二ヶ月の間にさらに動く可能性もある。
健太はもちろん、イチ、テルにもある程度の思い入れはある。感情的にならないと言ったら嘘になる。彼らは正真正銘、純粋培養の清水の魂だ。しかし、それはすべてが終わった後に書きたい。
まだ何も終わってはいないのだ。リーグ戦は残り6ゲーム。天皇杯予選もまだ残っている。

一昨日、昨日のフロントの情報流出については憤りも感じたのは確かだが、驚くべき早さで他クラブに先駆けてフロントが動いたということを今の時点ではポジティブに捉えたい。
これは決して失敗の上に下された決断ではなく、明らかに次のタイトルを狙うための行動である。

FC東京あたりとは違うのである。悪いけど。

(追記)
青山の退団も記事になった模様。事情や偏った情報で浮かれる他サポには悪いが、こんなものは「崩壊」なんぞではない。いずれにせよ、CBは整理しなければならない課題だったのだし、遅かれ早かれ2005年組の誰かは移籍する可能性が高かったのだ。
ま、情報流出はいかがなものかと思うが。
こういうときこそ選手層が問われるわけだし、残るプレーヤーがどんな面子になるのか、むしろ楽しみになってきたぜw

しかし…

2010-11-01 05:43:44 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
情報が錯綜している。こういうのが錯綜と言うのか言わないのか、わからない。
ほぼ決まっているのは健太の退任発表が明日、2日に行われる見込みとのこと。
あまりにも後味が悪かった京都戦で腹は決まっていたとはいえ、山形戦で一縷の望みを持っただけに、一昨日の東京戦、そして昨日の朝日朝刊の記事は堪えた。

さらに今日のスポーツ新聞の朝刊には衝撃的なニュースが載っている、らしい。らしいというのも嵐の中、コンビニに行ったのにまだ新聞が届いていないせいで、2ちゃんの速報見出し以外は読めなかったからだ。
今晩のSの極みにはある程度の情報は出てくるだろう。
ということで、一連の情報流出が落ち着いたところで改めて東京戦レポートと併せて今晩書く。

しかし、まだ、どこまで動くかわからない。
そして、リーグはまだ一ヶ月、天皇杯に勝ち残ればまだ二ヶ月闘いは残っているというのに、どんな意図があってここまで情報が流出するのか。
目標を失ったチームに最後のカンフル剤を投入するための健太退任の発表は仕方がない。それは、もうここしかないというタイミングだったのだと思う。残りの闘いはプレーヤーたちに託された。
しかし、なぜ来季の構想までもが流れ出してしまうのか。
twitterで書いている人もいたが、健太はこれまでの5年間を堅守速攻をテーマにチームを構築してきた。そのはずが今季の失点癖は異常事態だった。冷静に考えてもそのすべてが監督が全面的に悪かったとは思えない。しかし、やはりあと一歩タイトルに手が届かなかった責任は、どうしたってチームの最高責任者が取るしかないのは当然だ。健太とフロントの決断に、まあ、文句はない。
しかし、この情報流出の状況が続くのなら穿った見方をせざるを得ない。

それにしても、誰なんだ、リークした奴は。

しかし、それ以前に、清水は降格するチームのように成績が悪くてリセットするのではなく(確かに後半戦は降格ペースなのだが)、タイトルを獲るためにリセットするのだ、という大前提は確認しておきたい。
それでなくちゃ今回の退任報道の意味がない。