ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

にいちゃんーーー

2004年08月11日 23時22分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんがまだ小学校に上がるかあがらない頃から、”にいちゃん”の思い出はありました。

たくさんの兄妹の末っ子のおかあさんは、一番好きだった姉(今から7年半前に亡くなってしまいました)のボーイフレンドを”にいちゃん、にいちゃん”と呼んで付き纏っていました。

姉がデートの時は、監視役(?)でつけられていたふしもあります。
どこにでも、くっついて遊びに連れて行ってもらいました。
奈良公園や生駒山遊園地やあやめ池のプールや・・・
姉たちが結婚するまで、纏わりついていたのです。いえ、結婚してからも、しばらくは実家の一部屋にいたし、それから近くのアパートに越してからも、1軒家に越してからも、でした。

彼のお父さんは大きな問屋さんで、手広く商いをしていたのですが戦災で何もかもなくしてしまったのでした。
亡くなった母親の後釜の女衆さんとは、結局、ずっとうまくいかないままでした。

でも、昔の人にしてはとても進歩的でレディファーストに徹していましたから、それに遊ぶことが好きで、おかあさんが高校生のころはダンスやボーリングにも連れて行ってくれたので、おかあさんの”にいちゃん、にいちゃん”はずっと続いていたのでした。

姉が亡くなって3年ほど経った深夜、どこかの誰かさんとデートしての帰りのタクシーが信号無視してきた車と衝突しました。その前から脳梗塞の発作もあったのですが、その事故以来、入退院を繰り返し、とうとう養護老人ホームのような病院で最後を迎えたのでした。

自宅で家族といっしょだったら、あんなに痴呆は進まなかったかもしれない、とか、娘が二人もちゃんといるのに、あまり世話をしていなかった、とか、自分のほうこそ小さい時から纏わりついていたくせに、最後に何のお返しも出来なかったのに、恨みがましく思っているおかあさんなのです。

おかあさんが、自分の家よりも落ち着いたあの家も娘たちは「私たちは嫁に出たのだから」と、1年後には処分をすると言っていました。
もう長い間、空家同然になっていて、これから7日ごとの逮夜や法事があって一回忌までの家です。

そういえば、おかあさんとにいちゃんは17才はなれていますが、にいちゃんの娘とは12才しかはなれていません。
おばさん、なんて呼ばせてないのです。ずっとももねいちゃん”です、今も。

にいちゃん、さようなら。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする