さて、2月8日、リスボンの空港を朝の6時に出発しました。
空港まで20分くらいのホテルだったのですが、どんなに早く起きなければならないか想像しても、普段のおかあさんなら気が遠くなるはずです。
満月に近いお月さんが煌々と、間もなく沈みそう。地上のオレンジ色の光が印象的でした。(スペインもポルトガルも街灯はこの色に統一されているようで、どこもとてもきれいでした)
2時間半後、パリは雪でした。
ちょうど、ヨーロッパに寒波が来ていて、最初のバルセロナではトルコからフランスにかけて大雪のニュースでした。
おかあさんがいたマドリッドは快晴だったのに、翌日のグラナダではテレビで雪の積もっているマドリッドが映っていました。
雪でシャルルドゴール空港で一夜を明かしたという他のツアーと旅の途中に、出会ってもいました。
予定ではパリで乗り継ぎ、関空に向かうはずでした。。
しばらく待たされていたので、もう、お互いとても親しくなっているツアー仲間と、雪のせいかしら、などと話したりして待っていると、ようやく搭乗券の発券手続きを済ませ、、、
でも、その後、ツアーガイドのお兄さんが険しい顔で、みんなの待っているところにやってきて
「予定の関空行きのエアフランス機が飛ばなくなった」*(びっくり2)*
その日、エアフランスでは、4分の1の便で機長のストライキがあったのだそうでした。
アテンダントやほかのスタッフはストが回避になるぎりぎりまでスタンバイしていたのだったそうですが。(だから、搭乗券の発行もしていた)
何時間待っていたか、もう、おかあさんは忘れていますが、ようやくのこと、大韓航空に乗ることが出来ました。
ソウル着、ここではトランジットにまたもや数時間。
インチョン空港は日本の女性がブランド品をお目当てに買い物をするので有名らしいです。
かなり疲れているはずのツアーの仲間たちでしたが、それぞれに、また、お買い物の袋が増えていました。
おかあさんは、といえば、スタバのコーヒーを持って喫煙ルームへ。
もっとも、何時間もあったので、プラダのバッグはリスボンのほうが安かったな、などと、やはり、あちこちは見て回っていたのですよ。
とにかく、12時間ほどは遅れましたが無事関空着となりました。
それでも、20数名の団体をちゃんと日本に連れて帰ってきたくれたツアーガイドさんに感謝です。
ツアーガイドはどんな不測の事態がおころうとも、お客さんを安全に帰国させなければなりません。
おかあさんは40年前、アメリカの大統領として初めて中国を訪問したニクソンさんがグアムの飛行場に着いた時、添乗員をしていたのでした。
空港は全面、数時間の閉鎖。
その日、羽田(成田はもちろん、まだありません)に向けて帰る予定だった団体さん17、8名は大阪まで帰らねばなりませんが、羽田~伊丹の国内線には間に合わなくなってしまいます。
JALではなく、パンナム(これも、今は無く)、英語でどうやって難局を切り抜けるか胸をどきどきさせながら若かったおかあさんは、パンナムのカウンターに向かったのでした。
何のことはない、日本語の話せるアメリカ人の係員がいて、当時出来たての京王プラザホテルを用意してくれたのでした。
自慢しぃのおかあさんの武勇伝でした~
その後も、少しも成長していないおかあさんのおみやげです。
今回の旅行では774枚も写真を撮りました。
一部ですが、フォトフレンドにアルバムを載せていますので、このページの写真をクリックしてご覧ください。
アルハンブラ宮殿のライオン(猫みたいですが)や、グエル公園のタイルのベンチやら、パトカーやら。
旅日記・おしまい。