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ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

移ろい

2004年08月18日 23時58分00秒 | 日記
なんてロマンチックな言葉なんでしょう~*(青ハート)*

いつまでも同じものなんて、どこにもありません。
季節は移ろい、夏の日の終わりも近づいて・・・

日がとっぷりと暮れて水やりをしていると、蚊がすごいのです。
ぼくのおかあさんは、肩紐だけのシュミーズみたいなのを着て(夏場はいつもそんなかっこうでうろうろしています)庭に出るものですから、いっぱい蚊に刺されました。

おうちに入ってしばらくすると、なんだか、あちこち、むずむずしてきます。
ありんこが1匹、手に伝って出てきました。
ん、ん*(はてな)*胸のあたりもむずむず。
あわてて服を着替えました。

今年は百日紅がとても生育がよくて、枝がにょきにょき伸びて、おいでおいでをしているのです。その小さな花がこぼれてきました。
ありんこも、それに付いていたようです。
髪の毛について、いやぁ、かわいいなぁ、なんて思っていたものですが、虫はいけません。

早く日がくれるようになって季節の移ろいを感じているおかあさんです~*(シャイ)*


感動

2004年08月15日 00時33分00秒 | 日記
やわらちゃん、すごい気迫でオリンピック2連覇*(日本)*

男子60kg級の野村選手も、これまたすごい、3連覇*(日本)*
一時はもう辞めるつもりで柔道から離れて2年。そこからの復帰ですばらしい感動を見ているものに与えてくれた*(ハート6つ)*

どんな華やかな表舞台でも、かれらの体は満身創痍だという。
ことに、谷選手は7月に全治2ヶ月という重症だった。

人間には、痛い目に遭うと”どうしたの、痛いの?がんばってね”と言ってもらわないと気のすまないタイプと、そんなことをおくびにも出さず、にこにこして”大丈夫です”と平気な顔をして内に闘志を秘めるタイプがあるんだ。
ぼくのおかあさんやおねいちゃんは前者で、一流の選手、一流の人間は後者なんだなぁと思いました。。。*(ラブリー)*


2004年08月13日 16時51分00秒 | 日記
昔(おかあさんの小さい頃までは)13日の夕方に、亡くなったご先祖さんが帰って来やすいように門口で線香を焚いたものです。

今、ご近所で、そんな光景は見られません。せめて伝えたいと、おかあさんは子ども達に”ご先祖さんが帰ってきてはるんよ”と言うくらいです。
ご先祖さまが3泊したあと、お盆のお供えの盆菓子や野菜やくだものを蓮の葉っぱに載せて、近くの畦道に持っていきました。蓮のお箸を焚いて、その煙に乗って、あの世に帰っていかはるのです。

誰かが来るとなるとお掃除をちゃんとしなければ、と思い出させてくれる、いい風習だとも思います。

9日連続で朝早くからお仕事だったおねいちゃんも、きょうから3日間はお盆休みです。
言葉では、しんどい、しんどい、と言っていましたが、よ~くがんばりました*(マル)*


残暑

2004年08月13日 00時17分00秒 | 日記
毎日、ほんとうに暑い日が続いています*(晴れ)*

でも、蝉の鳴き声もだんだん変わってきているし、今だって廊下に出るとクーラーの部屋より涼しいくらいです。
昨夜も涼しかったけど、でも、昼間の予想最高気温はこれからも35℃とか6℃とかいっていました。

でも、でも、秋はきっと忘れずにやってくるでしょう。
2,3日前に、夕方のお散歩のとき、草むらでこおろぎがほそぼそと鳴いているのを聞きました。
どうして秋って、こんなに寂しい気持ちになるのでしょう。
稲の穂がたわわに実り、くだものが熟してくるというのに。。。

とか言って、センチメンタルに耽るのがすきなおかあさんなんだ*(ウインク)*

また、パソコンが再入院してしまいましたが、こんばんは涼しいので、ちょとおさんぽしてみようかな~*(風鈴)*

にいちゃんーーー

2004年08月11日 23時22分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんがまだ小学校に上がるかあがらない頃から、”にいちゃん”の思い出はありました。

たくさんの兄妹の末っ子のおかあさんは、一番好きだった姉(今から7年半前に亡くなってしまいました)のボーイフレンドを”にいちゃん、にいちゃん”と呼んで付き纏っていました。

姉がデートの時は、監視役(?)でつけられていたふしもあります。
どこにでも、くっついて遊びに連れて行ってもらいました。
奈良公園や生駒山遊園地やあやめ池のプールや・・・
姉たちが結婚するまで、纏わりついていたのです。いえ、結婚してからも、しばらくは実家の一部屋にいたし、それから近くのアパートに越してからも、1軒家に越してからも、でした。

彼のお父さんは大きな問屋さんで、手広く商いをしていたのですが戦災で何もかもなくしてしまったのでした。
亡くなった母親の後釜の女衆さんとは、結局、ずっとうまくいかないままでした。

でも、昔の人にしてはとても進歩的でレディファーストに徹していましたから、それに遊ぶことが好きで、おかあさんが高校生のころはダンスやボーリングにも連れて行ってくれたので、おかあさんの”にいちゃん、にいちゃん”はずっと続いていたのでした。

姉が亡くなって3年ほど経った深夜、どこかの誰かさんとデートしての帰りのタクシーが信号無視してきた車と衝突しました。その前から脳梗塞の発作もあったのですが、その事故以来、入退院を繰り返し、とうとう養護老人ホームのような病院で最後を迎えたのでした。

自宅で家族といっしょだったら、あんなに痴呆は進まなかったかもしれない、とか、娘が二人もちゃんといるのに、あまり世話をしていなかった、とか、自分のほうこそ小さい時から纏わりついていたくせに、最後に何のお返しも出来なかったのに、恨みがましく思っているおかあさんなのです。

おかあさんが、自分の家よりも落ち着いたあの家も娘たちは「私たちは嫁に出たのだから」と、1年後には処分をすると言っていました。
もう長い間、空家同然になっていて、これから7日ごとの逮夜や法事があって一回忌までの家です。

そういえば、おかあさんとにいちゃんは17才はなれていますが、にいちゃんの娘とは12才しかはなれていません。
おばさん、なんて呼ばせてないのです。ずっとももねいちゃん”です、今も。

にいちゃん、さようなら。。。