浦嶋の子と乙姫と、夫婦の契りを成しき。
巌井崎は、その奇怪なる景観からもと地獄崎と称うが、仙台藩第四代藩主伊達吉村公巡回の際、対岸の大嶋竜舞崎を望みて、浦嶋の子と乙姫が古の物語に感(たけ)りて言祝ぎ、祝崎と改むと言ふ。
そのまま、うとうとと眠りたるが、目ざむるに、乙姫。浦嶋の子を誘ひて、窟の奥、波の寄せる方に進みぬ。海水に入り、まさに窟を出たるとき、身は軽々と中空を飛び、見知らぬ港に着きたり . . . 本文を読む
陸の国、気仙沼の郷は緑なす山地に入り江深く風光明媚を世に知られたるところなり。
かの地に、浦嶋なる村落あり。鮪、鰹、秋刀魚、鮫等数多の水揚げある気仙沼市魚市場の真向かいにして、昆布若布牡蠣等養殖漁業と烏賊釣り、シラス(小女子)掬い網の沿岸漁業を生業にしたるところなり。浦嶋と称うも嶋に非ず。鼎ヶ浦(気仙沼湾の美称なり)に沿い、大島を望む地ゆえに名づくるか。
この地に、昔、男ありけり、名は詳ら . . . 本文を読む
夢は
どこかにある
ここではないどこか
波止場は
どこかにある
夜霧のなか黒い影がうずくまる
古い詩集の一行か
昔の映画のワン・シーンに
鳥が飛ぶ鳥が飛ばない
鳥が飛ぼうとする
夢中で
夢の中で
その鳥は
カモメ
マストのうえに羽を休めるカモメ
江戸の昔の
江戸の港へ
西北のナライの風待ちの
帆掛け船の
昭和の
戦前の
まちを焼く大火の後の
建築の
昭和の
戦後の
安ホテルの
どこにも . . . 本文を読む
これも、平成9年9月、別の地元紙に掲載のもの。・恵みの海流黒潮 黒潮は南の国からやってくる。この季節、気仙沼地方にサンマやカツオをもたらす恵みの海流である。栄養分は、意外なことに親潮の方が豊からしい。サンマもカツオも、黒潮から乗り換えて、太陽のエネルギーと、太平洋の最北端に湧出するミネラル分に育て上げられた親潮のプランクトンによって、脂の乗った三陸沖の海の幸となる。 現在、日本有数の漁業基地・気仙 . . . 本文を読む
昨日の続き。平成9年のものですからお間違いなく。 「強い魔力をもった…魔女ランダは、クリス・ダンス(男たちがトランス=忘我失神状態に入って自ら胸に短剣≪クリス》)を突き立てる舞踊」で知られるバロン劇(バロンは人々の味方をする善なる怪獣の名)をはじめ…舞踊や彫刻に出てくるもので、ただ恐ろしいだけでなく、たいへん魅力ある存在として位置づけられている。」と紹介されているバロン . . . 本文を読む
前に、似たようなエッセイは載せたが、それは2回目の時のもの。これは平成9年9月、最初のときに、地元紙に掲載したもの。(今日は前編) 当地には珍しく、夜になっても蒸し暑い。それにしても、つい一昨日にいた関東の逃げ場のないような湿気と熱とは別と思われる。気仙沼駅のホームに降り立った際の、湿り気の少ない鋭角的な空気は、大学時代の夏の帰省時を思い出させる。 バリ島は、暑さにおいては、もちろん、先日の関東 . . . 本文を読む
人間の一生の中で、不幸ではない期間は長くあるとしても、ああ、この今、私は幸福だと感じられるときというのは、滅多にないだろう。そういうごく短い幸福なときを過ごすことができたのが、12月18日の月曜日だった。仕事しながら、♪きみの心の奥深く きれいに澄んだ空がある♪これらの言葉が、メロディーとともに、浮かんでくるのを押さえることができない。 12月15日(金)~17日(日)、中央公民館ホールにて、気仙 . . . 本文を読む
これは、うを座の第5回公演「鳥の物語」の前に、地元紙に掲載してもらったもの。 われわれスタッフにとって、気仙沼演劇塾うを座の魅力は、舞台の上にのみあるのではない。 気仙沼地域の社会人のボランティア・スタッフが、身の丈に余るような大きな事業を、この五年間支え、続けてきた。美しく華やかな舞台をたくさんの方々にご覧いただき、公演が成功する。そのことなしに、もちろん、活動は続けることができない。 四回まで . . . 本文を読む
ぼくは、霧笛の創始者ではない。創刊号は、西城健一氏と故小野寺仁三郎氏のおふたりでの発行だった。 西城氏に誘われた時、丁度、一冊目の小詩集「湾」を出した後で、(ブックレット1と銘打ち、引き続き、小説やら、詩やら発表するつもりだった。)とりあえずの腰掛、お手伝いぐらいの感覚で、第二号から、参加した。 ちょっと肌合いが違うぞ、とも思った。 お会いしたのは、当時、内ノ脇の踏み切り近くにあった「珈琲館ガトー . . . 本文を読む
ある亡くなった孤高の画家に ひとりの精神のこどもがいる。ひとりの精神の放浪者がいる。かれの色は明るい美しい青紫だ。 その色は、展覧会の会場にある。 かれは、画家であった。 ぼくは、1980年に帰郷して、翌年には、図書館で仕事を始めた。館長室に菅野青顔元館長の肖像画があった。太い画筆のタッチが独特だった。肌の色が独特だった。 画家と、言葉を交わした記憶はない。 本町の杉林の下、大川のS字型に屈曲する . . . 本文を読む
これも、PTA会報の後記から。ちょうど、気仙沼高と鼎ヶ浦高の統合前年のもの。歴史の点描と言っても、記事がないから、どうおもしろいのかは不明だな。写真右の山塊が、実は手長山。海側、というか、街の側からみたもの。熊谷武雄の詠んだ手長山は、むしろ、向こう側二十一地区側なんだろうな。 今回の原稿は、さまざまな年代の先輩、後輩まで幅広くお願いすることができ、77周年の歴史の点描ともいえる、面白いものに仕上が . . . 本文を読む
霧笛のその次の号に載せたもの。この霧笛同人及川良子(ながこ)さんの「一本の牛乳」という詩は、いい詩だ。彼女の最大の傑作かもしれない。 仙台在住の先輩、斉藤克己氏、英文学を専門にされる放送大学客員教授であるが、「やはり、具眼の士はいるものですね。『一本の牛乳』のことです。〝言い果たせてなにかある〟 という問題なのでしょうか。みなさんの論のひろがりが楽しみです。」 詩集「物語」を送っていただいた阿部ひ . . . 本文を読む
前に霧笛(68号)に載せたもの。 ジャーナリストの亀地宏さんから、前号、良子さんの「冒頭の『一本の牛乳』の特に最初の四行が印象に残っています」と書き送っていただいた。 詩誌「回生」の小熊昭広氏も、ホームページで、この詩について触れられている。「その前半部分は、 たった一本の牛乳を 握りしめ 牛乳屋さんが 国道を 横切るというもの。これだけで、すてきな詩になっている。」 同HP . . . 本文を読む