1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart11はCharlie Sextonの"Beat's So Lonely"。最高位は3月22日から3週続けた17位。年間チャートは圏外でした。
Charlie Sextonですが、アメリカ・テキサス出身のギタリスト・シンガーソングライター。
1985年にファーストソロアルバム『Pictures for Pleasure』をリリースするのですが、Charlie Sextonは1968年生まれ、ということは、このファーストアルバムリリース時には、なんとまだ17歳。そのファーストアルバムからのシングルカット曲がこの曲"Beat's So Lonely"です。
"Beat's So Lonely"の作者は、Charlie Sexton自身と、イギリスのソングライターのKeith Forseyとの共作。
このアルバムで、Charlie Sextonはボーカルとギターに加え、ベースやピアノ、キーボ-ドも演奏しています。恐るべき17歳だったです。
どんなすごいミュージシャンになるかと思いきや、ソロアルバムは全部で4枚出すものの残念ながらヒットせず、結局Top40ヒットはこの曲1枚の一発屋で終わってしまいました。
ただ、日本ではかなり人気のあるミュージシャンで、ロック雑誌などにはよく登場していたと思います。
また、その後はセッションミュージシャンとして活動していたようです。ボブ・ディランのバックバンドにも参加していたとのことです。
"Beat's So Lonely"ですが、かなりハードなロックでした。この当時でも、これだけのギターギンギンのロックがヒットするのは珍しかったです。PVでは、とても17歳とは思えない風貌ではありました(タバコをぷかぷか吸っていました、いくらアメリカでもダメでしょう、とは思いましたが、気になります)
Charlie Sextonですが、アメリカ・テキサス出身のギタリスト・シンガーソングライター。
1985年にファーストソロアルバム『Pictures for Pleasure』をリリースするのですが、Charlie Sextonは1968年生まれ、ということは、このファーストアルバムリリース時には、なんとまだ17歳。そのファーストアルバムからのシングルカット曲がこの曲"Beat's So Lonely"です。
"Beat's So Lonely"の作者は、Charlie Sexton自身と、イギリスのソングライターのKeith Forseyとの共作。
このアルバムで、Charlie Sextonはボーカルとギターに加え、ベースやピアノ、キーボ-ドも演奏しています。恐るべき17歳だったです。
どんなすごいミュージシャンになるかと思いきや、ソロアルバムは全部で4枚出すものの残念ながらヒットせず、結局Top40ヒットはこの曲1枚の一発屋で終わってしまいました。
ただ、日本ではかなり人気のあるミュージシャンで、ロック雑誌などにはよく登場していたと思います。
また、その後はセッションミュージシャンとして活動していたようです。ボブ・ディランのバックバンドにも参加していたとのことです。
"Beat's So Lonely"ですが、かなりハードなロックでした。この当時でも、これだけのギターギンギンのロックがヒットするのは珍しかったです。PVでは、とても17歳とは思えない風貌ではありました(タバコをぷかぷか吸っていました、いくらアメリカでもダメでしょう、とは思いましたが、気になります)
北茨城の緑川さん、顔がヤ●ザなのに優しいオジサンだったなー、売上げお世話になりました。
んで、加賀ですね。
いつかも書きましたが、73年秋からの「新十郎捕物帖、快刀乱麻」という、坂口安吾作、佐々木守脚本のドラマがありまして、これのフリークでありました。
で、佐々木守さんの実家が能美市とのこと。
そして95年にオリンピック前年の体操の世界選手権がなんと鯖江市で行われております。ここで伝説レベルのロシアのホルキナ、ウクライナのポドコパエワ、ルーマニアのゴジアン、チャイナのモーフィラン、ベラルーシのボギンスカヤ、この辺りの情報はどうなのか?
そして美味しいものを食べるなら富山なのか!
休みがとれたらこの3県を訪ねてみたいです。
いやー、またまた勝手でごめんなさい😫😫😫
おお!宗像市、宗像大社ですね。で、宗像コーチ、いや宗方コーチですな。
そういえば、金沢に行った時には「加賀のお蘭」を思い出しましたよ。
バブリーの時代のテニスにスキー、良い時代でしたな。
そーでしたかー、私は中学時代は軟庭部、ジャストミートで再放送やってましたよー。
仕事で福岡の宗像市に行ったときも思い出しましたな。
あと得意先の課長が藤堂さんで、名前に憧れたもんだス。
ぇ?テニスの腕前ですか?いやぁ~、まーいーじゃないですか、ホント、ねえー、楽しかったですよ、いろいろと…
女子部の同級生とは10年前ごろから、町の中では、モテるジャイアンてヤツの音頭で頻繁に呑みをやってもらってます。私は単なる賑やかしマンなのですが、ノスタルジックに楽しいです。
しかしコロナで…、そろそろ久しぶりに飲み会ヤりたいっス。
またもや勝手でごめんなさい😫😫
少女漫画はですねー、家にあったのしか読んでないので、偏ってはいるのですよ。
弓月光先生の『ボクの初体験』は特に名作でしたねー。いつもドキドキしながら読んでましたよ^^
「岡!エースをねらえ!」の山本鈴美香先生をご存知ないとは、困りましたねー。土田よしこ先生の「つる姫じゃ〜っ!」も名作中の名作ではありました。
すみません、チャーリーさんとは関係ありませんでした。
弓月光…今でも現役、可愛らしさと嫌らしさを書けるお爺様
土田よしこ…ギャグでしたっけ?さくらももこよりガチッぽかッたですかね?
一条ゆかり…フランシス・ナタリー・フランシス、ミルフィー可哀想
山本鈴美香…ダメっス、分かりませぬぅ
池田理代子…名前だけは…ごめんなさい😫
いやー、女子漫画にもハマっていたという恥部をあらわにして、ちょっと気持ちイイですかも…。お世話になりましたですです。
ごめんよチャーリー、キミを見て思い出したのはレイフギャレットじゃなくてシドビシャスなんですよ。最初からアイドル扱いされちゃカリスマにはなれないスよね?
売り方…どうだったんでしょうか?まぁ17歳じゃ業界にタテつけないですもんね、未成年とは思えない声色も良かったのになぁ。
でも伸びなかった一番の理由は曲がイマイチだったからのような気がします、ごめんなさい😫😫😫
80年代も後半になると、70年代に活躍していたミュージシャンとはだいぶ傾向も変わりました。それでも、いい曲が続けて出てきています。改めて80年代の曲も追っていると、良い曲もたくさんあります。
和訳拝見しました。「Beat's」の意味、いろいろあって奥が深いですね。ありがとうございました。
この曲は、ロックアイドル人気がありすぎて、かえって敬遠していたところもありましたが、後々のセッションミュージシャンとしての実力ある活躍もあり、今回この曲の意味も教えていただきました。新たにこの曲のファンになりました^^
Debby Booneの"You Light Up My Life"は、Top40ファンにとっては忘れられないビッグヒットでした。1956年生まれとのこと、このヒットの時には21歳ですか。ヒットはこの1曲だけで、史上最高の一発屋ではありましたが、今でも幸せに暮らしながら活動しているようです。
最初にラジオで聴いたとき、日本のDJが彼の名前について小さい「ッ」を入れて紹介していたので、ちょっと“エッ”(゚д゚)!と思ってしまいました。中性的なセクシー路線で売ろうとしたロックアーティストなのかと…。調べてみたら“Sexton”という語には教会の管理人とか墓守という宗教的な割と厳かな言葉なんですね。無知でした(^_^;)。
星船さん、“Beat's So Lonely”のあとの歌詞が“lonely at the top”と続くので、“Beat”になにか特別な意味があるのかな?と考え、解釈に時間がかかりました。自分なりの勝手な解釈となりますが、お時間あるときに和訳記事をご覧ください!
なんと懐かしい、S.キャシディやL.ギャレットが話題になっています。
77年にS.キャシディは♪モーニング・ガール♪や♪ダドゥロンロン♪が№1、L.ギャレットも79年に♪I Was Made For Dancin'♪がTop10ヒットでした。
何れも10代でした。
そして77年のビッグヒット♪You Light Up My Life♪のD.Boone。
この若手3人は何れもWarner Bros. Curbレーベルでした。
Shaun Cassidyとは懐かしいー!ベイシティローラーズに続く超アイドルポップシンガーでした。"Da Doo Ron Ron"はNo.1ソングになりました。お兄さんDavid Cassidyはアイドルの走りだったでしょうか。
テレンス・トレント・ダービーですね。80年代後半に急に人気が出て、急に消えてしまいました。でも一時期の人気は物凄かったですよ。20位どころか、"Wishing Well"はNo.1ソングでした。
チャーリー・セクストンさん、残念ながらアメリカでのヒット曲はこの曲だけでした、なので、ヒットチャート専門の私としては、その後のチャーリー・セクストンさんのとこはほとんど知らないのですが、日本での人気はまずまず継続していたようですね。日本のミュージシャンとも交流があったような。
「くらもちふさこ先生」?聞いたことあるかなぁ?残念ながらしっかりとは思い出せませんです^^;
弓月光、土田よしこ、一条ゆかり、山本鈴美香、池田理代子の各先生ならよーく知ってます。
「ホフス嬢」というと、あのバングルスですか?もうすぐ出てくる予定ですよ。
そうだったですか、スヌーピー今泉恵子さんの押しがあったとは、覚えていませんでした。日本ではアイドル的な人気があるロックミュージシャンではありました。実力があったのですね。今も活躍しているようです。
レイフ・ギャレットは懐かしいですね。
関係ありませんがショーン・キャシディの「すてきなロックンロール」は売れましたね。ミュージックライフやロックショウは人気の洋楽アイドルが良く取り上げていました。自分の世代ですとJAPAN、ポールハンプシャーとか日本のみ人気アーティストも多かったですね。
この系統の若くて才能あるのになかなかヒットに恵まれなかったアーティストは、88年の今頃話題になったT.T.Darbyが居ました。
♪Wishing Well♪はTop20ヒットになったような記憶ですが、その後はどうなったでしょうか。
「チャリ坊」、懐かしい。同い年なので、よく覚えてます。テキサス州出身のチャーリー、デビューはストレートなロックでしたが、地元ファンからはブルースなんかを望む声があったようですね。
日本ではBOOWYが大人気で、そのサウンドと似ていること、かつアイドル並みのルックスから、ちょっとアイドル的に扱われてしまいました。
でも元々ミュージシャンシップに溢れる方だったので、後にボブ・ディランのバックを務めた話を聞いて、非常に嬉しかった記憶があります。
ある意味、見事な復活だと思いました。
アイ ズメイッフォデーシン!オッオッオッ オナッロオオン♪若いポップスとしてはチャリ様より分かりやすいだすね。
でもチャリ様は私が好きな少女漫画のくらもちふさこ先生も取りあげていたくらいなので、外タレ好きのレデーたちにはチャリ様がドンピシャだったのかな?
一方で我々もこの時まさにホフス嬢にキュイン!いや、キュン❤️でしたな、多分ポップスファンの男の7割はホフスさんに屠られたでしょ、スケベですね。
C.Sexton、若くしてマルチな才能で当時全米Top40でもかなり話題になっていました。
特にスヌーピー今泉恵子さんイチ押しだったと思います。
Princeが♪I Wanna Be Your Lover♪でデビューした時を思い出しましたが、意外にも大ヒットには恵まれませんでした。
セッションミュージシャンで活躍していたんですね。
あれ?「チャリ坊」っていうのは聞いたことがあります。チャーリー・セクストンさんのことだったのですね。日本では人気のギタリストでした。
Arc Angelsというのは知りませんでしたので、これから聞いてみます。最近再結成したみたいですね。
チャーリー・セクストンさん、もちろん私よりも年下で、今でもまだ53歳です。当時活躍しているミュージシャンたちは、軒並み70歳台になってしまっていますから、高齢者でない貴重な現役ミュージシャンです。
ちなみに、Leif Garrettは1961年生まれでした。"I Was Made for Dancin'"が10位になった時は78年でしたから、やっぱり17歳、あんまり若いうちに人気が出るとヒットが続かなくなってしまいますね。
その昔、デビュー当時はミュージックライフ誌などで「チャリ坊」などアダ名を付けられてアイドル扱いでした。
しかし1990年にクラプトンのツアーメンバーとして知名度も出てきたギターリスト、ドイル・ブラムホール2世とチャーリー・セクストンと組んだバンド、Arc Angelsがとても良いです。
サザンロックと少しサイケもあり、古さを感じさせずに聴けます。スティーブ・レイ・ヴォーンのバック、ダブルトラブルがベテランのリズムセクションがしっかり支えてくれて、プロデュースはあのリトル・スティーブンが担当。
元々各種楽器が出来る方なのでボブ・ディランにも重宝されている気がいたします。
ソロもなかなかでしたがArc Angelsは素晴らしいバンドです。
デビーギブソンとティファニーも10代だったと思いますが、あちらはなんとなく理解しておりました。
チャリさんの場合はアーハと同じくらいの人だと思っておりました。
もしかして白人男の若すぎるミュージシャンはブレークの後は意外と売れないとかありませんかね?
レイフギャレットのメモライズユアナンバーなんか良かったのに日本でさえ売れなかったもんなあ。あやレイフはもぅオジサンだったのかな?