1982年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart4はPaul Davisの"Cool Night"。
最高位は2月6日と13日の11位。年間チャートは52位でした。
Paul Davis、1977年最高位7位を記録した"I Go Crazy"で有名です。
この"I Go Crazy"、最近こそロングセラーヒットが多くなりましたが、当時はHot100に20週間以上滞在するヒット曲も少ない時代の中で、この曲はHot100に40週間滞在する記録を持つロングセラーヒット曲でした。最高位の7位まで到達するのにも30週もかかりました。
そしてこの曲"Cool Night"は"I Go Crazy"以来の大ヒットとなった曲で、彼の優しいボーカルによる極上のポップス。
彼の曲はじわじわと良さがわかってくる曲なのでロングセラーのヒットが多いのでしょう。
2008年、残念ながら彼は60歳の若さで突然この世を去ってしまいます。
最高位は2月6日と13日の11位。年間チャートは52位でした。
Paul Davis、1977年最高位7位を記録した"I Go Crazy"で有名です。
この"I Go Crazy"、最近こそロングセラーヒットが多くなりましたが、当時はHot100に20週間以上滞在するヒット曲も少ない時代の中で、この曲はHot100に40週間滞在する記録を持つロングセラーヒット曲でした。最高位の7位まで到達するのにも30週もかかりました。
そしてこの曲"Cool Night"は"I Go Crazy"以来の大ヒットとなった曲で、彼の優しいボーカルによる極上のポップス。
彼の曲はじわじわと良さがわかってくる曲なのでロングセラーのヒットが多いのでしょう。
2008年、残念ながら彼は60歳の若さで突然この世を去ってしまいます。
"アイ・ゴー・クレイジー"をはじめポール・デイビスの穏やかで優しい極上のポップスがチャートを上がってくるといつも応援していました。
日本ではポップスというよりは無理やりおしゃれなAORとして売ろうとしていたようでしたが本質は違うような気がしていました。
"’65 Love Affair"も良い曲でしたよね。
ポール・デイビスの歌を初めて聴いたのは「アイゴー・クレイジー」でしたが、私もFENではよく聴きました。超ロングセラーで長期間ヒットしていましたのでラジオでは長い期間流れていて、聴けば聞くほど良さがわかってくる、じわじわとチャートを上がってきた理由がよくわかります。
彼の優しい声が大好きでした。
全く♪I Go Crazy♪は日本では変な売られ方をして、ミーハー達の知ったかぶりにされた曲でしたね。
本当にいい曲で超ロングセラーなので残念でした。
その後の♪Cool Night♪でしたが、どんな売られ方されるのだろう、と思っていましたが、やっぱりミーハー向けの売られ方でしたね。
この曲と♪65 Love Affair♪もAORの名曲です。
2008年に亡くなっていたんですね。
亡くなった当時、比較的リアルタイムに訃報を知り、拙ブログでも記事にさせて頂いてました。
洋楽聴き始めの頃、「Cool Night」が流行っていましたが、記憶に残っていたのは「65 Love Affair」の方でした。間奏のドゥーワップ調のアカペラが、AORのイメージとは程遠く、でもポップスが大好きだった私には、そっちの曲の方が好みでした。でもポールって、もともとはカントリー系の方だったんですよね。
ポール・デイビスの「I Go Crazy」とこの「Cool Night」、とても印象深い曲でした。
田舎者の私は大人っぽくてお洒落な曲だなあ~と思ったものでした♪
当時はどんな人が歌っているのかわからなかったな。亡くなっているとは以前めったさんのところで知りました、残念です・・。落ち着いた声もメロディーにぴったりで、今聞いても実に良い素敵な曲ですね。
この頃のチャートではオリビア長期政権とフォリナーの確執(?!)があったなどなど
TOP40リスナーさん達のお話はとても面白いですね!
"I Go Crazy"も"Cool Night"も地味ながら彼の実力あるボーカルが聞ける素晴らしい曲でした。実力派だけども地味なボーカリストなので日本で売るにはAORを前面に出すしかなかったのでしょうか。それはそれで映画の主題歌に使われたりしてラジオなどで聞く機会が増えましたのは良かったです。
"65 Love Affair"は良い曲でした。それまでの彼の曲とはちょっと違う傾向の曲だったですが、彼のボーカルの素晴らしさがよくわかる曲でしたね。
80年代中ごろ以降もMarie OsmondとのデュエットでカントリーチャートのNo.1になっていました。
ポール・デイビスはしっとりとした優しいボーカルの極上のポップスを歌ってくれる素晴らしいボーカリストでした。
AORっぽく売られた当時は結構違和感がありましたね。本当は実力派ボーカリストでした。
当時日本でビルボードチャートを聴いていた人のほとんどはフォリナーを応援していたのではないでしょうか。