1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart3はBarry Manilowの"Read 'em And Weep"。
最高位は1月7日と14日の第18位。年間チャートは残念ながら圏外でした。
Barry Manilow、ポップスファンの皆さんならばもちろんご存知ですよね、デビューアルバムは1973年リリースの『Barry Manilow』、アルバムは28位まで上がりましたが、そのアルバムからのシングルはヒットせず、Hot100にも入りませんでした。
初めてのシングルヒットはセカンドアルバム『Barry Manilow II』からのシングルカット"Mandy"、その初めてのシングルヒットがなんと1位を記録します。
その後の彼の活躍は凄いもので、1975年の"I Write the Songs"、1977年の"Looks Like We Made It"の合計3曲の全米No.1ヒット、さらに"Copacabana (At the Copa)"など全世界的スーパースタとしての人気を確立します。
80年代に入ってからもNo.1ヒットこそ出ませんでしたが、"I Made It Through the Rain" などコンスタントにシングルヒットが続きます。
そしてこの曲"Read 'em And Weep"ですが、1983年にリリースされた『Greatest Hits Vol. II』に収録された曲です。このベスト盤にはこの曲をはじめ3曲の新曲が含まれていました。
さて"Read 'em And Weep"ですが、Air Supplyの"Making Love Out Of Nothing At All"の時に話題になりましたが、Jim Steinman作詞・作曲、さらにはプロデュースを手掛けた曲です。まあ、聞いただけでJim Steinmanの曲だということはわかりますよね。
元々は1981年にリリースしたMeat Loafのセカンドアルバム『Dead Ringer』に収録されていた曲です。
Meat Loafでもシングルカットされたようですが全くヒットせず、Barry Manilowの方が合っていたのでしょうか、彼のボーカルでヒットに結びつきました。
残念ながらこの曲がBarry Manilowの最後のTop40ヒットになってしまいました。
こちらがMeat Loaf版の"Read 'em And Weep"です。
最高位は1月7日と14日の第18位。年間チャートは残念ながら圏外でした。
Barry Manilow、ポップスファンの皆さんならばもちろんご存知ですよね、デビューアルバムは1973年リリースの『Barry Manilow』、アルバムは28位まで上がりましたが、そのアルバムからのシングルはヒットせず、Hot100にも入りませんでした。
初めてのシングルヒットはセカンドアルバム『Barry Manilow II』からのシングルカット"Mandy"、その初めてのシングルヒットがなんと1位を記録します。
その後の彼の活躍は凄いもので、1975年の"I Write the Songs"、1977年の"Looks Like We Made It"の合計3曲の全米No.1ヒット、さらに"Copacabana (At the Copa)"など全世界的スーパースタとしての人気を確立します。
80年代に入ってからもNo.1ヒットこそ出ませんでしたが、"I Made It Through the Rain" などコンスタントにシングルヒットが続きます。
そしてこの曲"Read 'em And Weep"ですが、1983年にリリースされた『Greatest Hits Vol. II』に収録された曲です。このベスト盤にはこの曲をはじめ3曲の新曲が含まれていました。
さて"Read 'em And Weep"ですが、Air Supplyの"Making Love Out Of Nothing At All"の時に話題になりましたが、Jim Steinman作詞・作曲、さらにはプロデュースを手掛けた曲です。まあ、聞いただけでJim Steinmanの曲だということはわかりますよね。
元々は1981年にリリースしたMeat Loafのセカンドアルバム『Dead Ringer』に収録されていた曲です。
Meat Loafでもシングルカットされたようですが全くヒットせず、Barry Manilowの方が合っていたのでしょうか、彼のボーカルでヒットに結びつきました。
残念ながらこの曲がBarry Manilowの最後のTop40ヒットになってしまいました。
こちらがMeat Loaf版の"Read 'em And Weep"です。
いやいや、私としたことが、太ったボンジョビさんに指摘されてはじめて気が付きました、私のブログにニール・ダイアモンドは登場していませんでした。
"America"っていう曲が良かったな。ほかにも"Hello Again"や"Desiree"など良い曲たくさんありました。
私としては、なんとなくビリー・ジョエルはポップス歌手、ロッドはロック歌手ですね。
やはりBJ以外は70年代のみなさんになりますかね?
BJにしても80年代はロッカーですもんね。
ロッドにしてもちょと違うかなあと…。
最初に書かれていたニールダイヤモンド…この人ほんと分かりませんなのですが、🌟⛴️さんの記事にも出てないですよね?
ロックス、アメリカ、ハートライト…若者向けでないかな?ハートライトはちょっと好きでしたけど…黒人と思っていました…おゆるしをばをば。
(人´ з`*)トゥナンヨハッライーッ♪
現在紹介中の翌年85年のバリーの来日公演ですか!脂の乗り切った時期のバリー、素晴らしい公演だったでしょう。そんな時期のバリーの公演を見ることができたなんて、うらやましい!
バリーのバラードポップスはやっぱり最高ですよね。
そういえばポップス歌手でバリー系の白人男性というのは、女性ポップス歌手よりも少ないかもしれません。
一番に思いつくのはニール・ダイアモンド、続くところがビリー・ジョエル、クリフ・リチャード、エリック・カルメン、アル・スチュワートなどでしょうか。
バリー・マニロウ、85年の公演を見に行きました。いつくか聞きたい曲が有った
くらいの気持ちで何気なく行ったのですが、素晴らしかった。
大仰な感じありますが、ニコニコと本当に楽しそうに歌ってくれて、サービス精神に満ちていて、そのボーカルにも感動しました。さすがの本物のエンターテイナーだと思いました。
何だかすごく得した気分になった、印象的な公演のひとつです。
以来、ひとかど有名な人にはやはり理由があって、公演には行っとくべきだと思いました。
私も有名な「Copacabana」より、こんな曲や「Mandy」や「Memory」、「Looks Like We Made It」みたいなバラード曲が好きです、歌い上げるボーカルが際立っていると思います。
星船さん、今年84年の曲紹介も楽しみにしています(^^♪
にしても、白人のソロでバリーくらいの位置にいるポップ寄りのシンガーてそんな居ませんよねえ?
ソロの人はみんなだいたいロック寄りですもんね?
ポール・サイモンくらいかな?
と、不勉強ながらのたまってみました。
この曲以降、シングルヒットこそ出なくなりましたが、その後もアルバムはずっと作り続けていました。最近でもアルバムチャートに顔を出していました。シングルも2000年代に入ってからもACチャートにはチャートインしていました。やっぱり素晴らしい歌手ですね。
そうですね、湯川れい子さんが全米Top40でアルバムリリースの度に特集されていましたね。
湯川れい子さんも絶賛されるほどのボーカリストでした。
これが最後のTop40ヒット、時代の流れでしょうか。
私はロック以外にもポップスもよく聴いていましたので、バリーの曲はいつもチェックしていました。
歌のうまさではピカ一だと思います。
この曲の大仰なところが彼のボーカルにはぴったりでした。
Top10ヒット10曲以上、1位3曲は立派ですよね。ポップス界のスーパースターです。女性受けするのは外見ではなくやっぱり声が良いからなのでしょうか。湯川れい子さんがいつもほめていました。
もちろんこれからもレアな情報をたくさん載せてきますのでよろしくお願いします。
ハイエストデビューというと何のことかと思いましたが、11月19日付53位初登場のことだったですね。この週を見てみたら初登場した曲に大ヒットした曲はありませんでした。
ジム・スタインマンは、やっぱり長くて、くどくて、大仰じゃなくっちゃあ。そうでなければ彼の曲じゃないですよ。
そうでした、私も聞き始めたのは同じころ、バリー・マニロウは"I Write the Songs"がヒットしていて、1位になりました。その時から歌うまいなぁ!と思っていました。湯川れい子さん一押しでしたよね。
バリーマニロウといえばバラード・ポップスだったので、"Copacabana"がヒットした時には、バリーもこんな曲歌うんだ!とびっくりしました。
ご婦人向け歌手のB・マニロウは僕はあまり得意じゃない!?(笑)
でも10曲以上TOP10HITSを出しているのは立派ですよね。
そんなんで「The Manilow Collection Twenty Classic Hits」という20曲入りコンピレーション盤所有してます。この曲も入ってました!1985年編集だからヒット曲中心の収集であればこれで事足ります。
今回、星船さんとこで邦題が「涙のラスト・レター」とかオリジナルがMeatLoafだったという情報も知ることができためになりました。これからも更新よろしくお願いいたします。
ハイエストデビューだったと思うし、なにしろ「君は恋フレンド」と「君はルッキンホット」がテンポ良くて好きでしたので。
しかしリクエストコーナーで録音しながら聴いていて「…長えな…」でありました。
ジムスタだとそのとき知らず、今回聴いてみてやはりエア・サプライのと同様に、サビまでが長すぎでしょうし、文字も詰めこみすぎなのでは?
しっかりとした歌手のクドい曲…、これちょっと…だからこの曲が売れなかったのはホッとしましたよ。
もうすぐあるバンドの期待された曲がエントリーされる頃と思いますがアレもくどかったかなー。マニロウと同じ、受け付けない印象を受けました。
すみません、今回も好き放題てした。
(* >ω<) オールイヒーリズレデオガガレデオググレデオガ~ガ
僕が洋楽を聴き始めた中学卒業の頃、1976年春頃ですが、ちょうど♪I Write The Songs♪がヒットしていて、特にエンディングのドラマチックな展開が気に入りました。それ以来、B.Manilowは注目していました。
日本で一番有名な曲はアップテンポな♪Copacabana♪だと思いますが、やっぱり彼は♪Looks Like~♪とか♪I Made It~♪のような歌唱力を生かした聴かせる曲がいいです。
やっぱりバリー・マニロウの歌唱力は凄いです。ジム・スタインマンの曲には負けない歌唱力、この壮大な曲にぴったりでしたね。もっとヒットしても良かったと思いますが、でも記憶に残る素晴らしい曲でした。
80年代に入っても良い曲をたくさん残してくれました。
ホントですよね、バリー版の方がオリジナルのミート・ローフ版よりもこの曲にぴったり、そのためでしょうバリー版の方がヒットしました。バリーの歌唱力がこの壮大な曲にはぴったりだと思います。この曲大好きでした。バリーの曲がTop40に入ってくるのはこの曲が最後になってしまいました。残念でしたね。
何となくこの曲を取り上げてくれそうな気がしていましたが、ありがとうございます。
星船さん仰るように、この年にヒットした他の2曲と同様にJ.Steinmanらしい大げさな曲作りです。
ただそれに負けないぐらいの彼の歌唱力です。
アイドル性がないため日本での知名度はイマイチだったかもですが、やはり彼は稀代のヴォーカリスト、エンタテイナーだと思います。
80年代になって派手なチャートアクションではなかったですが、そのヴォーカルは衰えていませんでした。
「これを読んで泣くがいい」ということから邦題は「涙のラスト・レター」なんですね。シングルとしてはバリーのキャリアからすると記録は平凡かもしれませんが、曲としてはオペラのようでストーリーテラーの名曲になったと思ってます。バリーの歌唱力でこの曲の魅力もオリジナルを上回ったと思ってます!