1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart28はGTRの”When The Heart Rules The Mind”。最高位は7月12日付と19日付の第14位。年間チャートは残念ながら圏外でした。
GTRですが、元ジェネシスのスティーヴ・ハケットと、元イエスでエイジアのスティーヴ・ハウ、この時点ですでにレジェンドギタリストと言ってもいいでしょう、二人のプログレッシブロック界の人気ギタリストが中心となって結成したロックバンド。フォリナーや、エイジア、パワーステーションなどの「スーパーグループ」の一つです。
その二人のギタリストに、若手のボーカリスト、ベーシスト、ドラマーが加わって、1985年に結成されました。
グループ名のGTRは、そのものずばり「GUITAR」。
曲を聞く前に、名前の由来を聞いただけでワクワクするグループですね。
”When The Heart Rules The Mind”の曲の作者は、そのスティーヴ・ハケットとスティーヴ・ハウの二人の共作。
プロデューサーは、なんとジェフ・ダウンズ。ジェフ・ダウンズは、もちろんご存じですね、バングルズからエイジアに加入したキーボードプレイヤーです。
”When The Heart Rules The Mind”ですが、さすがです、冒頭からカッコいいギターのイントロで始まります。が、全体的にはギターのテクニックをひけらかすような曲ではなく、メロディアスなロック、ボーカルのマックス・ベーコンの声も、澄んだ聞き心地の良いボーカルです。ジェフ・ダウンズのプロデュースということもあり、エイジアっぽいところもあるでしょうか。ただ、エイジアのようなキーボードはなく、ギターシンセサイザーを使っているようです。やっぱりギターにはこだわっていますね。
残念ながら最高位は14位。もっと大ヒットしてほしかった曲でした。
GTRですが、アルバムを出した後、ライブ・ツアーは行ったようですが、2年程度で活動を停止。残念ながらアルバムはこの一枚で解散してしまいます。シングルもTop40ヒットはこの曲のみ。アルバムからはもう1曲シングルが出ましたが、最高位は80位台でヒットには至りませんでした。
スティーヴ・ハケットとスティーヴ・ハウですが、その後も、ソロや様々なプロジェクトで演奏を続け、今でもツアーなどで活躍しているようです。
GTRですが、元ジェネシスのスティーヴ・ハケットと、元イエスでエイジアのスティーヴ・ハウ、この時点ですでにレジェンドギタリストと言ってもいいでしょう、二人のプログレッシブロック界の人気ギタリストが中心となって結成したロックバンド。フォリナーや、エイジア、パワーステーションなどの「スーパーグループ」の一つです。
その二人のギタリストに、若手のボーカリスト、ベーシスト、ドラマーが加わって、1985年に結成されました。
グループ名のGTRは、そのものずばり「GUITAR」。
曲を聞く前に、名前の由来を聞いただけでワクワクするグループですね。
”When The Heart Rules The Mind”の曲の作者は、そのスティーヴ・ハケットとスティーヴ・ハウの二人の共作。
プロデューサーは、なんとジェフ・ダウンズ。ジェフ・ダウンズは、もちろんご存じですね、バングルズからエイジアに加入したキーボードプレイヤーです。
”When The Heart Rules The Mind”ですが、さすがです、冒頭からカッコいいギターのイントロで始まります。が、全体的にはギターのテクニックをひけらかすような曲ではなく、メロディアスなロック、ボーカルのマックス・ベーコンの声も、澄んだ聞き心地の良いボーカルです。ジェフ・ダウンズのプロデュースということもあり、エイジアっぽいところもあるでしょうか。ただ、エイジアのようなキーボードはなく、ギターシンセサイザーを使っているようです。やっぱりギターにはこだわっていますね。
残念ながら最高位は14位。もっと大ヒットしてほしかった曲でした。
GTRですが、アルバムを出した後、ライブ・ツアーは行ったようですが、2年程度で活動を停止。残念ながらアルバムはこの一枚で解散してしまいます。シングルもTop40ヒットはこの曲のみ。アルバムからはもう1曲シングルが出ましたが、最高位は80位台でヒットには至りませんでした。
スティーヴ・ハケットとスティーヴ・ハウですが、その後も、ソロや様々なプロジェクトで演奏を続け、今でもツアーなどで活躍しているようです。
お、広陵高校といえば、最近も強いですね。4,5年前、優勝だったか、準優勝だったか、今でも強さ健在ですが、そうですか、予選敗退でしたか。甲子園に行くのも楽じゃあないですね。
そうか、広島出身ですと、木村和司と金田がいましたね。
静岡県出身はたくさんいますですよ。長谷部や内田篤人がそうでした。もちろん三浦知良も。
羽中田さん、正解であります、この人が一番人気でしたが保坂&大柴のお二人も確かに「うまいなあ」でありましたよね?
さて広島の野球といえば88年までは広島商業、その後は広陵なんですが、広陵が3回戦で英数学館高校というノーマークに負けました。ちょとお知らせしておきますですヨーヨー。
さぁピーガブに向かいますかぁ😉
中田ヒデといえば、韮崎高校ですか。そういえば長谷川健太が優勝した時の決勝の相手が韮崎高校でしたっけ。その時の人たちでしょうか?
広島っていえば、そういえば、静岡高校が、夏の高校野球で、植松、水野、白鳥っていう強力打線で、優勝間違え無しなのに、決勝で広島商業負けましたか。野球で有名ですね。
ただ静岡、長谷川堀池大榎…そのままプロでも余裕の活躍、さらには沢登(個人的にはNo.1)だの向島だの珍名で覚えております。
一方で「けっ、」てのも思い出しました。
H2Oって知ってます?しっかり優勝しやがって。
んで、H2のひとりは公務員だとかでまた「けっ、」
ところがところが、H2Oの中でのその人の人生(事故)は強烈でありました。以降は陰ながら応援しております。
中田ヒデの母校だったかなあ。
中央防犯ブルックスに、PJMフューチャーズですか、なんと懐かしいー。
あの頃は、強かったのは、静岡、埼玉、広島、帝京くらいでしたか。今は全国どこでも強くなりましたので、なかなか静岡県だといっても全国で上位に入るのは難しくなりましたが。
ややや!それは82年の高校総体サッカー優勝の時ですか。長谷川、大榎、堀池を擁して、強かったですねぇー!
長谷川健太のシュートはゴールネットに突き刺さりましたよ。あれ?それは準決勝の時か?それにしても今思い出しても気持ちいいなぁ!良いこと思い出させていただいてありがとうございます!
アビスパの前身、中央防犯藤枝ブルックス!ですね~。またサガン鳥栖の前身は元々は浜松市に拠点があったPJMフューチャーズで、あのマラドーナの弟のウーゴ・マラドーナが在籍してました。そのウーゴ、兄に続いて昨年に亡くなってました(泣)…
高校サッカーだと決勝戦での長谷川健太のミドルレンジでの左足のシュートですな。
健太の左足はドーハのイラク戦、カズのごっつぁんヘディングを産み出した、やはりミドルレンジからのバー直撃シュートですな。
いまの奴らに伝授すべきシュートなのに……「あーらヨット!」の強いシュート、ドイチ戦で闇雲に売って欲しいなあ。
一方プロの静岡、こちら広島は清水が苦手、清水に五分になった頃には磐田にボゴボゴ…、いやこちら2チームではなく、3つめの藤枝ブルックスに興味がありました。
また強いのが出てくんのか、やれんのー。
ところが異動?での福岡ブルックス…からのアビスパ…んで、あんま強くないことが判明しました。あれ、静岡のまんまでやっていたら磐田や清水戦には燃えまくってイイ勝負もあったんじゃないかなあ?
うーん、なんで静岡はサッカーに特化していたのでしょ?ちなみに長谷川健太よりも武田修宏のほうが好きだったなあ。彼が一番ワールドカップで活躍しそうに思えたのになあ。
ごっつぁん出きるヤツが一番強いから…。
またも長文ごめんなさい😫
そうでしたね、この当時、60年代後半から70年代初めにかけて活躍していたハードロック・プログレのレジェンドたちが、入り乱れて、新しいロックバンドを作っていましたね。売れ筋のポップロックで、大ヒットを飛ばしたグループもありましたが、マニアックなロックを続けているグループもあり、面白かったです。
昔からのジェネシスファンには、このGTR、評判悪かったです。私の古くからの友人、プログレロックファンですが、彼にも大変受けが悪かったです。
私は、ジェネシスの難解なプログレ音楽にはなじめなかったので、逆にGTRは応援していましたです。
「サッカーと洋楽」全然知らないことばっかりでした。ありがとございました。
ワールドカップでは、やっぱり82年のブラジル、凄かったですねー!ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾの「黄金の中盤」。ソクラテスの印象が強いかな。イタリアとの点の取り合いは、今でも強烈に覚えています。
ワールドカップはですね、やっぱり盛り上がりますよ。特に静岡では、サッカーファンが多いですから。ワールドカップの時期の盛り場は、すごいことになりますです。
そうだったかもしれませんね。80年代前半は、こういったメロディアスロックの全盛期でしたが、この80年代半ばになると、そういった曲はあんまりヒットしなくなりました。ダンス系の曲が多くなりましたか。もっと早くに出せばよかったでしょうか。私はこういうメロディアスロックが大好きなので残念でした。
プログレ、ハードロック系といえば、メンバーの離合集散が茶飯事でしたね。
どちらにもあまり詳しくはないのですが、81年のKing Crimson再結成には驚いたものでした。
結成当時のメンバーはR.Frippだけでしたが。
例外的にPink Floydはメンバー4人の固定期間が長かったですね。
あと私は長年の無類のサッカーフリークであります。日本が初ワールドカップ出場を決めた時、それまでの色んな想いが去来して、嗚咽するほど号泣しました(これ本当!)
そのころは、ファルカン(こちらも元日本代表監督)、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾとともに、「黄金の中盤」「黄金のカルテット」なんて呼ばれていました。
サッカーに詳しい方がおられれば、この4人をビートルズかZEPのメンバーにたとえて欲しいです。
さらにその大会は、マラドーナが初出場した大会で、1次リーグではそのブラジル代表と対戦。
マラドーナが相手選手に飛び蹴りをして、1発退場を食らった大会でもありました。
ちなみに、サッカーと洋楽関連で言うと、98年、日本が初めてワールド・カップに出場したフランス大会では、その日本代表の応援歌に『シェリーに口づけ』の替え歌を起用。
さらに、サッカー日本代表の応援歌としておなじみの『バモ日本』の元ネタは、メン・ウィザウト・ハッツの『ポップ・ゴーズ・ザ・ワールド』です。
他にもベガルタ仙台とツイステット・シスターズの関係や、レイド・バックの『サンシャイン・レゲエ』がサッカー・チームの応援歌になっていたりと、色々あるのですが、それまで書いちゃうと長くなってしまいそうなので(もう十分長い)ここらへんでやめときます。
いやー、ワールドカップ、見ていたようなそうでないような…。
78、ドイツフランスの延長の点の取り合い、スポーツニュースで見て驚いた。
82、ロッシしか覚えてないなあ。
86、ブトラゲーニョいいなと思ったら先輩に褒められた、マラドンナは知らなかったなあ。
90、全く、ホントに全くやっていたことすら知らなかった、スキラッチ???
94、韓国とサウジがボロボロ…予選堕ち日本残念、しかしようやく日本のレベルが分かったもんです。
98、名波はイイ男だったなあ。しかし予選で熱く会場リポーターやってたゴンが呼び戻されて笑ったのと嬉しかったのと。
02、ロシア、ありがとう😆💕✨
S.HoweにしてみればAsiaに続くヒットを狙ったのかも知れませんが、ちょっと難しかったですね。
時期的にこの種の楽曲があまり売れない時期だったのかも知れません。
80年代前半であれば上位にランクされていたかも。
昔ながらのギターを抱えて弾く弾き方は面影があります。
なーるほど、ボストンワールドカップ説ですか^^
そうですよね、ボストンの、特に『ドント・ルック・バック』と、3枚目の『サード・ステージ』の間は、ずいぶん待ったです。このブログにももうすぐ出てきますね。
洋楽4年周期、盛り上がってますね^^
メタル4年、84年ボンジョビデビュー→88年ガンズデビューですか、それはまた、ホント4年でした。
コージーパウエルは、有名グループを渡り歩きましたね。ジェフ・ベック・グループにもいたんじゃあないでしょうか。エマーソン・レイク・アンド・パウエルのあとはブラック・サバスでしたね。
もしそれが可能だったとしたなら、このユニット名も、エマーソン・レイク・ヘンドリックス&パーマー(ELH&P)になっていたかも。
>洋楽4年周期
この手の法則だったら、一番目につきやすいのが、ボストン8年周期説ってのがあります。
78年『ドント・ルック・バック』
86年『サード・ステージ』
94年『ウォーク・オン』
02年『コーポレイト・アメリカ』
これほど見事なまでに8年周期でアルバムを出してくれるもんだから、昔、某掲示板では「オリンピック×2バンド」なんて言っていた人もいました。
ただ、このリリース年数をよーく見てみると、これまた不思議な法則が見つかるわけです。
78年『ドント・ルック・バック』-アルゼンチン
86年『サード・ステージ』-メキシコ
94年『ウォーク・オン』-アメリカ
02年『コーポレイト・アメリカ』-日本&韓国
ここまで言えば、もうお分かりですよね。
まさか彼らも、ワールド・カップに合わせてアルバムを作っていた。
…なんてことはないとは思いますが。
洋楽4年周期は面白い考察だと思います。
エイジアが82年でジェネシスが86年と約4年間あります。メタルも84年ボンジョビがデビューから88年ガンズデビューも4年ですね。
マイケルも82年「スリラー」からジャネットの「 コントロール」が86年です。色々とありますね!
キース・エマーソンとカール・パーマーのスリーは悪くはなかったですね。ロバートベリー(b)よりコージーパウエルのが役者が上ですのでヒットは難しかったです。
ほお、4年周期ですか。
『詠時感〜時へのロマン』、アルバムの邦題も良かったな。あのアルバムは最高でしたよ。さすが太ボンさんです。皆さんに回してあげて。
GTRは、Genesis+Yesですから、この当時、期待したのですよ。第2のAsiaは確実だと思っていましたよ。14位止まりで期待外れ、ホントーに残念でした。
キース・エマーソン、カール・パーマー、ロバート・ベリーで、3(スリー)ですか、いろいろあるのもですね。昔の仲間が集まて、楽しそうに仕事をするのも良いじゃあありませんか、。でも、私はそのグループについては全然知りませんでした。
ジェフリアとは、また懐かしい名前を。あのエンジェルのGregg Giuffriaが結成したバンドですね。1曲だけアメリカでスマッシュヒットしたところは、GTRを思い出しますが、それでも、おなじGでも、GTRさんはジェフリアとは比べられたくないでしょう。キャリア的にはGTRは、スーパーグループですから。
ジェフリアも、ジャーニーが大人気になる前に出せばよかったのでしょうけれども、84年のあの時期では、ジャーニーや、サバイバーなどと比べられて、可愛そうではありましたが。
なるほどプログレぽい、でもポップスといえばジャスト4年前のこのころ、ヒーロブザモーメンその曲を思い出せコラ、てことでしたか!
いや確かに日本先行発売だったか、先に充分モーメンを聴いていて、その後チャートイン、すぐに超急上昇!でしたよねー。その前に既にアルバムの詠時感(感=あ?)は買ってしまいボクのアルバムは仲間にマワされちゃいましたよー。
あれ、モーメンと時江のロマンの間に「プチ」とノイズがあるんですよね?ぇ、ない?ありゃー。
82年といえばヒューマンリーグの全英→ペットボーイズ。
なんとなく、ウイガットザビート→マニックマンデー
イヤらしい大物、ポールとワンダー→デオンヌとフレンズ
黒なギャル系、パトリースラッセン→ジャネット
やかましい、堕ちた天使→アマデウ
同じバンドですが、虎目→焼心
年末のわびしさゼロ、ミッキー→エジプチャン
なるほど、4年周期、ありますね、さすが⭐⛴️さん、私は詳細を説明するにとどまります、ありがとーございました。
Genesis、各メンバーのソロ活動だけでなく、P.GabrielそしてS.Hacketまで。
まさに新旧Genesisのチャートジャックみたいですね。
そしてGTRはGenesis+Yesですね。
第2のAsiaのような大ヒットにはならなかったですね。
そうそう、Emerson Lake & Powelありましたね。
けっこう話題になっていました。
「これだったら、イアン・ペイスでもよかったんじゃないか」なんてジョークを飛ばしていた人もいたとかいなかったとか。
ちなみに私だったら、「ニール・パートじゃなくてよかった」って感じです。
やっぱりファンとしては、彼があちらこちらに顔を出してしまうと、なんだかその存在が安っぽくなってしまうような…。
もちろん、「渡り鳥」と称されるコージー・パウエルの場合は、それはそれで良いわけですが。
そういえばその翌年には、キース・エマーソンとカール・パーマーが、ロバート・ベリーとともに3(スリー)という名前のユニットを結成していました。
ユニット名は「完全無欠」を意味することからその名前が付けられたとの説もあるようですが、内容はかなり酷評だったとか(私は聞いていないので、なんとも言えませんが)
ある評論家などは、「これでは完全無欠どころか、完全墓穴だ」なんて評していました。
ただし、このジェフリアの方はというと、「業界一の嫌われバンド」と言われていた(ローリー寺西談)エンジェルのメンバーが結成したということもあって、GTRほど温かく迎えられなかったそうです。
たしか、PSY・Sの松浦雅也さんも、あるラジオ番組で、ジェフリアのことを酷評していました。
ところでこの2つのユニット、頭文字が同じ「G」以外にも、それこそ、その仰々しさもそっくりそのままって感じです。
スティーブ・ハウにスティーブ・ハケット、どうせそこまでやるんだったら、ボーカルにはスティーブ・ペリーを…、と思ったら、このころはジャーニーが再始動していた時期でした。
そうでしたね、この頃、70年代初めのプログレの大御所のメンバーが、様々な形でヒットチャートに登場して、我々を楽しませてくれました。
へぇー、エマーソン,レイク&パウエルっていうグループがあったのですか。違うELPですね。
そうでしたよね。エイジアっぽくもあり、ポップスでもあり、でも、プログレの部分も残っている、やっぱり特にギターがかっこいい曲でした。スティーヴ・ハウのギターの音色は、カッコイイだけでなく、とっても心地よいです。
歌詞もとっても良かったです。曲のイメージにはぴったりでした。
それにしても、この曲、イントロからワクワクする曲でした。ギターは控えめではありますが、さすが、キモの部分には、ギターが出てきて、カッコいい仕上がりですね。
そうだったですか、太ボンさんの86年Top10への堂々の入賞ですか。それは良かった^^後半のアコースティックなところもすっごく良いですよね。
"The Hunter"はねぇ、なんであの曲をシングルにするか、と思います。レコード会社は全然分かったいないです。"The Hunter"はGTRじゃなくてもできる曲ですよ。
この頃のプログレは複雑です。プログレはほとんどはイエスのマネージャーが絡んでおりました。
◎まずイエスのクリススクワイヤ(b)とアランホワイト(ds)がジミーペイジとバンド結成のため、バンドを脱退(結局上手くいかず)。
◎そのため残されたスティーヴハウはマネージャーの紹介でクリムゾンのジョンウエットン(b)らとエイジアを結成し大ヒットします。
◎この頃イエスに戻ったクリスとアランとトレヴァーラビン(g)がジョンアンダーソンを戻し「ロンリーハート」で大ヒット。これが功を奏したのか業界でプログレバンドの再編成が起こります。
◎その後エイジアはウエットンとハウが上手くいかず、脱退し元ジェネシスのハケットとGTRを結成し大ヒット。
そしてジェネシスがヒットとプログレ勢がチャートを賑わしておりましたね。
◎その後、エマーソン,レイク&パウエル(パーマーはエイジアにいたためコージーパウエルが加入)やアンダーソン&ブルーフォード&ウェイクマン&ハウ(70年代のイエスの再編成)などもアルバムがそれなりヒットしておりました。
◎結局ホワイトスネイクみたいにアレやコレとメンバーチェンジをマネージャーにされていた時代でした。
いや~、懐かしいの来ましたね~。
GTRは大好きでした。でも曲を聴くのは超久しぶりです。改めて聴くと、やっぱりエイジアっぽい(笑)。でもこのシンセっぽい音、ギターシンセだったんですね。さすがスティーヴ・ハウ先生!
曲もどことなくプログレ要素もあったりして、今聴いても新鮮です。
「理性(mind)だけに縛られてると、夢を見ることもできないし、チャンスも逃しちゃうぞ。感情(heart)の命ずるがままに前に進むんだ…!"ってことなんでしょうかね。
You must move on
Follow your dream!
ですね(^▽^)/
なんだその仰々しいイントロは、
なんだその未熟ぽいAメロは、
はぁ、Bメロでもうハモってんの?
おいおい恥ずかしいタイトルコールでサビかよ?
ったくどーしたいんだよ~♪
と当時は序盤にはケチつけておりましたの。
しかし変調部ではないですが、アクースティクになるところからの連続がもう耳に残ってしょーがなかったんスよー。
結局ずっとブチかまされるそのあとのメインリフまで嬉々として聴いてしまったものでした。
ショボい週のハイエストデビューだったし、ザ・ハンターなんて忘れたけど、なぜか86年のやたら思い出す私個人のトップ10、には堂々インしておりますな。
ん?ザ・ハンターを録っていた…石田豊さんもなかなか強引に選曲してますねー?