塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーは阿片のような存在なのだろうか

2013-09-07 00:13:03 | 日記
 かつてカール・マルクスは

 「宗教は阿片なり」

 という言葉を発したと聞きました。

 では世界規模で親しまれているサッカーも阿片、阿片という言葉が適切でないとすれば中毒に近い形でファンを飽きさせない
のは何故でしょうか。

 それはやはり

 「市井の人々の潤いだから」

 と僕ならば答えます。

 例えばボカ・ジュニオルスとリーベル・プレートを比較した際、前者の方が労働者階級から支持を得ていると言われています
が、生誕当時はどちらも港湾中心に支持を集めていたのです。

 (イタリア人記者のクラウディオ・カルリ氏の言葉
  参考資料 ワールド・サッカーダイジェスト増刊号 レジェンド 伝説のライバル28ページ)

 うだつが上がらない、金持ちからは軽蔑されている彼らからすれば、週末に必ず訪れるサッカーのリーグ戦は、自分を解放で
きる最高の瞬間に違いないわけです。

 現在のバルセロナとレアル・マドリードもそうですね。

 例えばスペインはバスケットボールでも世界王者に輝いた過去があり、リッキー・ルビオ(ミネソタ)やパウ・ガッソル(レ
イカーズ)のように、本場アメリカでもその実力を評価される選手がいます。

 またF1のフェルナンド・アロンソやテニスのナダルのように、世界規模でスペインの名前を知らしめたアスリートも数多く
存在します。

 それでもなお

 「エル・クラシコ」

 が注目を集めるのは、F1やテニスは基本スペイン国外で行われ、サッカーのリーグ戦のように市井からは若干遠い位置にあ
ることも無関係ではないでしょう。

 勿論そこには

 「スペイン内戦とフランコ政権の発足」

 という歴史上の足跡が効いている事も間違いないでしょうが。

 多分虐げらてきた人間からすれば、サッカーで勝つことは肉体と精神を麻痺させる、まさに阿片のような効能があるとみて良
いと思います。
コメント
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