塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表のラガ・ブーリンを探して

2018-06-08 01:28:04 | 日記
 スコッチ・ウヰスキーに「ホワイト・ホース」という銘柄があります。

 ホワイト・ホースはシーバス・リーガルやバランタインと同様のブレンデット・ウヰスキーであり、映画監督の黒沢明が愛飲していたことでも知られています。

 ブレンデット・ウヰスキーはモルトと呼ばれる大麦と、グレーンと呼ばれる雑穀が原材料になりますが、ブレンデッド・ウヰスキーには

 「キーモルト」

 と呼ばれる、味わいのための大黒柱があり、そのキーモルトがラガ・ブーリンというシングル・モルトウイスキーであることを御存じの方も多いでしょう。

 この例からもわかるように

 1・調和を得るには中心軸となる存在が不可欠である
 2・個人事業主であるサッカー選手も、勝ち点3という目的のために団結する必要がある
 3・では日本代表の「ラガ・ブーリン」は誰なのか

 という点が透けて見えてきます。

 僕はウヰスキーはニッカを贔屓にしており、先日限定発売した「エクストラ・シェリー」も購入済みです。

 ニッカは2017年度から定期的にブレンデッド・ウヰスキーの限定発売を企画していますが、これは報道されているように、原酒不足もあるのでしょうが、同時に
 
 「余市蒸留所」と「「宮城蒸留所」に、味の決め手となる原酒がまだある、従って原酒をそのまま用いるシングル・モルトは厳しいが、キーモルトを用いてブレンデッド・ウヰスキーを企画する子は可能。

 つまり、新しいハーモニーを提供したい、というわけです。

 日本代表は過去2大会、本田と香川、吉田、そして岡崎が軸となり構成されましたが、やはり本田のパーソナリティが全面に出ていました。

 今回も彼の意見が特集されることが多いのですが、僕は案外武藤と大島がキーになる気がします。

 僕がウヰスキーを好むのは、人間同様「熟成」という言葉抜きに語ることが出来ず、その味わいを楽しめることは最高!と思うためです。

 ちなみに僕はホワイトホースを味わったことはありますが、ラガ・ブーリンの味わいをまだ知りませんが。
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書店におけるワールドカップ・コーナーを眺めながら

2018-06-08 01:07:23 | 日記
 ワールドカップが迫ってきたことで、書店では多くのワールドカップ・ガイドが並んでいます。

 でも一時期に比べると寂しいですよね。

 僕は2002年当時書店の従業員で、ワールドカップ・ガイドだけでなく様々なサッカー本を関連付けてコーナーを作りましたが、当時は

 映像配信、携帯でテレビの視聴と言う概念がない
 同様に電子書籍は存在せず、書籍と雑誌が情報伝達には最適

 という時代だったためです。
  
 ですから他の書店、大型書店に出かけてワールドカップ関連売り場に出かけては

 「へえ、こんな本があるのか」
 「面白そうだな」

 と様々な感想を抱きました。

 ワールドカップだけでなく、当時世界の最先端を走っていたフランスの育成力や、国家が分裂したユーゴスラビア、初出場となったエクアドルの賞すが綴られるなど、今振り返っても興味深い書籍は多かったはずです。

 逆に言えば、ワールドカップに固執しなくとも、選手の自伝、戦術指南書をはじめ多くのサッカー本が毎年出版されていることも事実です。

 選手個人でいえば写真集やカレンダーを発売する例もありますし、もう廃刊のはずですが「サッカー・アイ」のように人気選手に的を絞った雑誌もありましたね。

 ここまでクラブ・サッカーが主流となれば、ワールドカップが景気の起爆剤になることはもうないかもしれません。

 それでもパナマ代表のように初出場の国からすれば、ロシアという国名は生涯忘れることhないでしょう。

 またペルーのように、何年もの間出場を待ちわびた国もあるわけです。

 ワールドカップはワールドカップ。

 その性格はルール改定や出場国増加など、新しい試みを加えながら今後も議論の対象になるのでしょうね。
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辛口評論家のように、自分の意見を全面に押し出す際に

2018-06-08 00:52:01 | 日記
 僕は人に意見するとき、、批判するとき、要求するときこそ人間の本性や育ちが現れると思います。

 人間誰だって親しい人間、見ず知らずの人間限らず

 「何でできないの」
 「あれやってよ」

 と言われると、苛立ちを覚えますよね。

 僕は多くの場合「お手数ですが」「失礼ですが」と一言添えて話しかけますが、添乗員や航空会社の従業員から見ると、このように一歩引いて発言する日本人自体は非常に少ないと聞きました。

 サッカーの世界にも辛口評論家という、自分の意見をズバズバという人間が存在し、もてはやされますが僕はそんなことないと思うんです。

 日本国憲法は在留外国人にも適用され、同時に基本的人権の尊重と生存権が認められています。

 辛口評論家、だとか辛口コメンテーターは見解を言いたい放題言っている印象を僕は持ちますが、

 「そんなあなた方も幾度も誤りやミスをおかしてきましたよね」
 「でも、選手たちはあなたの失敗を批判し、罵声をあびせないものです」

 とつくづく思うわけです。

 もし選手たちが批評家の意見や批判で夜眠れない、神経的にまいってしまうのであれば、僕は先に記した基本的人権や生存権が尊重されていないと感じます。

 イビチャ・オシムが

 「私は侮辱されていると思わない、だから議論しましょう」

 と語りましたが、そんなに自分の意見が崇高だと思うならば

 「私の意見は真っ当だと思うが、選手たちからの声を聞いてみたい」
 「我々の取材方法に問題があれば、率直に意見してほしい」

 と彼らは言うべきでしょう。

 ブラジルはサッカー王国と人は言います。

 ではその「王」は誰を指しているのでしょうね。

 王が存在するのであれば、あれだけのスラム街を放っておくこともないでしょうし、玉座が鎮座するのであろうリオ・デジャネイロなのか、サントスなのかサンパウロなのかわかりませんが

 平日の昼間でも銃声や犯罪にあいやすい
 警察や政治家の汚職

 はない、ましてやサッカーで死者がでることはないはずです。

 王が統治を正確に行うのであれば、問題になっているインフラや大統領の汚職、ブラジルにはないと思いますし、辛口と呼ばれ国民すべてがサッカー評論家と呼ばれるブラジル市民も、もっと選手と指揮官を別角度から眺める。

 そんな形になるのではないでしょうか。
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