塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表、前評判を覆してほしいものです。

2018-06-17 22:29:30 | 日記
 日本代表、その低評価を何とか覆して欲しいものです。

 少し前にも書きましたが、ブラジルは「自他共に認めるサッカー王国」と言われている。

 その王と言うのは誰を指すのでしょうね。

 ペレなのか、ガリンシャなのか、ザガロなのか、バイシクルの創始者であるレオニダスなのか、それもニウトン・サントスやトスタンなどの名脇役なのか、果たして誰なのかさっぱりわからない。

 僕は多少の皮肉を込めてこうつぶやきたいものです。

 「ブラジルはいつから王政になったのですか」
 「かつては軍事独裁、今は腐敗した大統領制の下で暮らしているとばかり思っていましたよ」
 「王が統治しようが大統領が統治しようが、貧富の差は無くなる気配がないし、ブラジルは何か地球の命、救ったことありますかね?」
 「日本は医療でも教育でも最先端技術でも、世界を救ってきましたよ」
 「で、ブラジルの中心都市ではどうしてあんなに銃声や犯罪が頻繁に起こるのですか?」
 「東京は世界屈指の大都市だけど、銃声なんて響き渡らないよ、でもそれは普通の事でブラジルの都市が非常識なんだけど」
 「サッカーが強くでもスタジアムで人が死に、街なかで人々が犯罪に見舞われる件数が多い国、そんなに凄いかね」
 
 まあ、この辺にしておきますが、ここに偏見が含まれていることは重々承知していますよ。

 逆に日本がこの低評価を覆す事で

 やはり日本で五輪、パラリンピック、ラグビー・ワールドカップを開催するのは賢明だった
 日本はサッカーで貢献し、様々な分野でも同様の貢献をなしている
 
 と日本人の心意気を上昇させてくれると思います。

 西野監督に評論家が様々な批判をぶつけています。

 でも監督経験者の大半がチャンピオンズ・リーグはおろか、天皇杯、リーグ戦、リーグ・カップ、いずれも優勝したことのない、任期を全うできずにクビになっている方が多い事にも驚きます。

 少なくとも優勝経験を持つ監督に対しては、もっと丁重な言葉遣いがあっても良いのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野市内で確認できるパルセイロ・ポスターから

2018-06-17 22:16:41 | 日記
 漢字検定試験を終えて長野市内を散策すると、景色は昔とは異なりますよね。

 それは古い建物が取り壊された、新しい店が出来た、という建築の問題ではなく、僕が南長野運動公園に出かけるようになった2006年当時

 市内でそれなりに見かけるパルセイロ専用自販機
 店舗で張られている選手ポスター

 はありませんでしたから。

 例えば僕がしばしばでかける洋服屋さん「ラ・バルバ」のすぐそこにも、しっかりとパルセイロ自販機はあるのでよく利用します。

 逆に言えば、今回の浅野体制の終焉でクラブは

 ポスターをすり直して配布しなおすべきか
 後半戦に向けて、新しいポスター・デザインを考えていたのか

 という点は明らかにした方が良いと思います。

 ポスターの発注は納期もありますから、そんな簡単にキャンセルはできません。

 しかし、クラブ・スタッフが成績の低迷と監督交代、そしてに何より主力の高齢化や行き詰っているように見える運営に対して、スポンサーだけでなく商店街の皆さまを一堂に集めて、改まって説明したらどうでしょうか。

 僕は何も、大島や宇野沢のような最古参の選手を回顧しろ、とは思いません。

 日本代表の選手たちの中でも2010年大会を経験している選手たちは

 当時は無我夢中で自分の事で精一杯だった
 でも、今は日本代表のために尽くす覚悟がある

 と語るように、30代の選手には30代の良さがあります。

 ウヰスキーのシングル・モルトが好まれるのは、長期熟成でその風味が増すためですが、サッカーでも若手ばかりでは勢いがあっても、柔軟性やたしなめる存在がありません。

 ただ今季がパルセイロの岐路であることは間違いないとは思うのですが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しがらみを取っ払ってみたらどうだろうか

2018-06-17 01:26:55 | 日記
 スーパーでしばしば、社会福祉協議会の方が中心となって、パンや焙煎珈琲、木工品が売られている場面に遭遇します。

 僕はこのとき、できるだけパンを買って、作った皆さん、付き添っている職員の方に喜んで欲しいと思うのです。

 これこそ、本当の意味で「価値あるお金の使い方」だと思うのですが、自分自身そこに体が不自由な方を助ける、と言う同情心があるのかと聞かれると、不思議と無いんですね。

 これは単純に僕が勝手に

 「僕は他人から認められているとも思わないけれども、そんな僕でも認めたらよいではないか」

 という気構えにすぎません。

 パンやコメが今、グルテンフリーだとか、マーガリンや砂糖が加えられた小麦粉で作られており、体に良くないなど様々な意見の渦中にあります。

 それはその通りでしょうし、街中のパン屋さんはともかく大手は

 一定数の量を作らねば、店に卸すことが出来ない
 従って量産体制は維持することが必要

 という側面も間違いなくあると思います。

 街中の福祉事業にそこまでの栄養価を求めるよりも

 「ああ、美味しいパンだね」
 「作ってくれて嬉しいですよ」

 と、炭水化物の摂取しすぎという呪縛を、一度外してみても良いのではないでしょうか。

 現在の日本代表にも呪縛はありますよね。

 テレビ視聴率の低迷やグッズ販売の低下
 新しい代表の顔が不足している
 ワールドカップでは16強を目指す

 というこれらから、僕らも選手もがんじがらめになっていると思います。

 呪縛はしがらみと同意義だと感じますが、これらを頭から解放して全身でサッカーの喜びを表現する。

 子供のころ、夢中でボールを蹴ったころの気持ち、思い出したいものですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エクトル・クーペル。歴史は再度繰り返すのか

2018-06-17 01:04:40 | 日記
 エジプト代表監督であるエクトル・クーペルからすれば、モハメド・サラー野負傷欠場は痛かったに違いありません。

 そして主力選手の欠場でクーペルが頭を悩ませたことも、これが初めてではありません。

 2000年、彼が率いるバレンシアはチャンピオンズ・リーグ決勝に進出するも、レアル・マドリードの前に0-3で完敗します。

 当時のバレンシアは往年にミランを彷彿とさせる4-4-2の浅いラインが特徴でしたが、軸となる最終ラインにアメデオ・カルボーネの欠場という事態が重くのしかかります。

 それでもクーペルは自身のアイディンティティである4-4-2と浅いラインでマドリーと対戦したわけですが、この試合をみたアリゴ・サッキは記者から

 「過去のミランとバレンシアは類似していると思います」

 と問われます。

 彼の答えは「確かにバレンシアは浅かった。しかし私のミランはもっと浅かったよ」と言う代物でしたが、バレンシアの戦いにひどくご満悦だったようです。

 その後、クーペルは2002年から2004年の前半までインテルで指揮を執ります。

 「さすがにクーペルでもインテルの混乱は奇異に思うだろう」
 「いや、彼こそがエレニオ・エレーラと同様の存在価値がある」

 と様々な声がもたらされます。

 結果はその半分、半分というものでしたが。

 実はクーペルは初年度、リハビリに喘ぐロナウドの復帰を慎重に捉えており、この方法論がロナウドのレアル移籍を後押しした、とも囁かれました。

 それ以上にクーペルにとって不満だったのは、オーナーのモラッティに自身の4-4-2を具現化する両翼の補強を訴えるも聞き入れてもらえず、初年度は最終節にラツイオに2-4で敗れ、スクデットは奪還できませんした。

 それでもインテルに戦術を植え付け、3位で終えたことは画期的ともいえる事柄でした。

 クーペルが希望した両翼のひとりはアルゼンチン代表のキリ・ゴンザレスでしたが、彼がインテルに加入したのは2004年、しかもクーペルが解任されザッケローニが後任監督になった時でした。

 2002年の左翼は同じアルゼンチン代表のグリーでしたが、もしここに本職のキリ・ゴンザレスがいれば。

 クーペルとインテルの運命は違っていたのではなかろうか。

 と今でも思う時があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする