塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

オペラの資料でサッカーを考える

2021-12-02 00:01:53 | 日記
 加藤浩子著作、平凡社新書「オペラで楽しむヨーロッパ史」を再読しています。

 その45ページ第2章「ヴェルディとイタリア統一」の中のオペラ紹介「レニャーノの戦い」の解説文において、ドイツ皇帝バルバロッサが北イタリアに侵略した際、ヴェローナの指揮官アッリーゴが、ミラノ軍の司令官ロランドと再会する。

 とあります。

 サッカー好きならばオペラよりもカルチョ、コパ・デル・ムンド(ワールドカップ)を思い出しますよね。

 1970年ワールドカップ、今でも名勝負として名高いイタリア対西ドイツの一戦
 アッリーゴといえば、ACミランでゾーン・プレスを浸透させ、パルマ、レアル・マドリードでも辣腕を振るったアリーゴ・サッキ
 ヴェローナにもミラノにも、カルチョが存在する

 僕はオペラの観劇経験はもちろんありませんし、教本は3冊、そこについてきたダイジェストCDを1枚所有しているのもです。

 ただ、アイーダで用いられる「凱旋行進曲 エジプトに栄光あれ」のように、サッカーとオペラという存在は、僕らが思う以上に欧州では結びつきが強い、もしサッカーをより深く観察するならば。

 オペラやクラシック、文学や演劇など様々な観点から考察すべきではないでしょうか。

 日本サッカーがまだ独自性が薄いのは、茶道や合気道、歌舞伎という伝統芸能や護身術など、日本古来のものと密接にかかわる、相対的に学ぶ面が少ないためではないでしょうか。

 イタリア人はイタリア人と思わずに、ナポリ人、ミラノ人、ローマ人と、自分たちが何者であるかを強く意識すると言います。

 その発想は「日本人」という括りで生きる僕たちとは大きく異なる考えですが、だからこそ都市対都市で行われるカルチョでの敗北は許されない、恥さらしと捉えられる気がします。

 ナポリやパレルモがカルチョで勝つのは、うっぷん晴らしでもあり奴らのケツを蹴り飛ばした、という爽快さもあるためでしょうか。
コメント
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