ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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映画『カイジ ファイナルゲーム』

2023-04-14 19:16:40 | 映画

映画『カイジ ファイナルゲーム』を観ました。

カイジ実写映画のシリーズ最終作です。
たまたまアマプラで見つけたので、視聴してみました。

映画『カイジ ファイナルゲーム』予告

舞台は、財政危機が深刻化してハイパーインフレ状態の日本。
このあたり、漫画を実写化する映画がよくやる「攻めすぎてる特殊設定」のように思えますが、しかし、日本の未来をいくらか大げさにして暗示したものともいえるでしょう。

そこに、カイジが登場します。

例によっていくつかのゲームが出てきますが、メインとなるのは「最後の審判」でしょう。対ディーラー型ではない種目ですが、感覚としては「沼」に近いものがあります。それだけ、対戦相手が強力だということです。そこを、沼でやったように、あれこれ策を弄していくわけです。

対戦相手は、政界にも影響力を持つ派遣会社社長。このあたりも、現実の日本社会を意識している部分があるでしょう。圧倒的な力を持つ相手に、底辺でもがく根無し草たちが立ち向っていく……まさに、「沼」の構図です。
その他にもいくつかゲームが出てきますが、いずれもロジックとトリックが冴えます。カイジ役に藤原竜也さんというのは賛否を呼んだところでしょうが、あの“爆発する演技”も、クライマックスのカイジ感に合っていたのではないでしょうか。


ここで、ゲーム以外の要素にも触れておきましょう。

この映画では、国民の資産で国の借金を帳消しにしようという政策が描かれます。
最初に書いたように、この作品に描かれる日本では、財政危機が深刻化しています。そこで、預金封鎖を行ない、国民の資産と国の借金を相殺しようという話が出てきて、これが話の出発点になっています。

このやり方に関しては、議論がわかれるところでしょう。いわゆるMMT論者なら、猛反対するところです。
私の個人的見解としては、国の借金を野放図に拡大させていけば、やはりどこかでツケを払わされることにはなるだろうと思ってます。それがこの映画で描かれるようなかたちであるかどうかはともかくとして……
真の問題は、この映画でも示されているような、派遣業に代表される縮小・切り詰め経済でしょう。経済全体が縮小のスパイラルを作っている状態では、借金の負担は重くなっていくばかりなのです。作中で語られる福祉負担の問題なんかは、福祉の縮小、弱者切り捨てというのは、広い意味で縮小・切り詰めの一環であり、倫理を抜きにして純粋に経済問題としてみても根本的な解決にはならないと私は考えています。そこは問題の本質ではないし、それをやったところで一時しのぎにすぎず、長期的にはむしろ財政問題もより深刻になるのではないかと。先日、日本の人口が大幅減というニュースがありましたが、縮小のスパイラルはもうそういうところにまで波及してきているわけです。
背後にある構造、真の敵を見抜け、というのは、カイジ作品の重要な主題でしょう。
まさに、この国の民に必要とされているのは、そういうクレバーさではないでしょうか。細い鉄板の上で互いを蹴落としあったりしている場合ではないのです。



映画『GODZILLA』1998年版

2023-01-17 22:39:12 | 映画



今回は、映画記事です。

かなりひさびさに、ゴジラシリーズとなります。

先日、三石琴乃さんの「おやすみ、ゴジラ」という歌のことを書きましたが……実はあの歌、いずれゴジラ映画にからめて紹介しようと思っていたものでした。たまたまニュースで三石琴乃さんの名前が出てきたのでああいうかたちの記事になりましたが、まあことのついででもあるので、このあたりでゴジラ映画シリーズを再開しようかと。

しかしながら――ここで登場するのは日本のゴジラではなくアメリカ版のGODZILLA。しかも、最近のいわゆるモンスターバースのほうではなく、1998年版です。

先にいっておきますが、私の中では非常に評価が低い作品です。
まあ、一般的にもそうでしょう。
この映画を高く評価する意見はあまり聞いたことがありません。興行成績は決して悪くないものの、ゴジラファンの間では、あれをゴジラとは認めないという評が大勢じゃないでしょうか。
そういう作品であれば別にスルーしてもいいんですが……しかしこの作品は、日本ゴジラ第二期と第三期の間に公開された作品であり、この作品の存在自体が日本ゴジラのシリーズ展開にも影響を与えていたりして、ゴジラシリーズについて書くならスルーというわけにもいかないのです。


日本ゴジラシリーズの展開に与えた影響というのは、たとえば第二期シリーズの最後の二作。
以前ちょっと書いたと思いますが、第二期は本来『ゴジラVSメカゴジラ』で終結する予定だったといいます。ハリウッド版ゴジラの話というのはそのときからあって、ここで日本ゴジラをいったん終了してアメリカのゴジラにバトンタッチというような意図があったとか。しかし、そのハリウッド版の制作が遅延し、そのためにあと二作を作ることになったという話です。
結果、GODZILLAはゴジラの死を描いた『ゴジラVSデストロイア』のあとに公開。日本ゴジラのプロデューサーとして知られる田中友幸さんはその直前に亡くなっていて、スタッフロールに田中さんへの献辞が入るということになりました。


メガホンをとるのは、ローランド・エメリッヒ監督。

ハリウッドでは大物いっていいでしょう。『インディペンデンス・デイ』や、『デイ・アフター・トゥモロウ』などの作品で知られます。この二作からもわかるとおり、ディザスター系の巨匠というイメージです。

GODZILLAもまた、その系統といえるでしょう。
なにがしかの危機が襲来し、人間たちがあわてふためきながらそれに対処するという基本構造があります。

本作のゴジラは、ニューヨークを襲撃。
そして、米軍がそれを迎え撃つことになります。

この非常時にも、選挙のことしか考えていない市長。そして、現実をしっかり見据えて対処する現場の指揮官――このコントラストのつけ方が、良くも悪くも、いかにもローランド・エメリッヒらしい演出です。
そして、暴走するマスコミ……しかし、いくらなんでも個人的な話に終始しすぎではないか。自分のキャリアのことなんかいってる状態じゃないでしょうに。
こういうのも、エメリッヒ作品の特徴だと思いますね。すさまじいディザスターが展開しているにもかかわらず、主人公たちはどこか他人事という……エンターテイメント性を追求しすぎ、いろんなことを割り切りすぎた結果の罠にはまっているように見えます。
『インディペンデンス・デイ』やこの『GODZILLA』は広い意味でディザスターものといっていいと思いますが、主要な登場人物は死なないみたいなことが暗黙の前提になっていて、それが作品の空気を弛緩させているように思えるのです。
ディザスターが行きつくところまで行きついたエメリッヒ作品として『2012』がありますが、あれをみていて私はそれを実感させられました。追いつかないように追ってくる地割れ、当たらないように飛んでくる火山弾……そんな演出ばかり見せられていると、もうハラハラもドキドキもしないわけです。主人公とその仲間は基本的に死なないことになっていて、途中で死ぬキャラは最初から「死亡要員」としてそれ相応の扱いを受けているという……それは安心して観ていられるエンターテイメントということなんでしょうが、しかしよくよく考えてみれば、「安心して観ていられる」というのはディザスターパニックということと根本的に矛盾しているわけです。予定調和に従うのなら、それはディザスターとは呼べないでしょう。ディザスターが大規模になるほど、この矛盾が顕在化してくる……GODZILLAの段階で、それがもう無視できないレベルになっていると思われるのです。
そんなこともあって、最初に書いたように、この映画の評価はゴジラファンの間でも決して高くありません。

そして、この映画に対する評価が日本ゴジラを復活させることになります。

ハリウッド版ゴジラはその後シリーズ化も見据えていたようですが、ゴジラファンのリアクションが悪かったことでその構想はとん挫(ただし、後に続編としてテレビアニメが作られている)。ならば……ということで、日本で新たにゴジラシリーズが作られることになるのです。
そうしてはじまるのが、第三期、いわゆるミレニアムシリーズです。
ということはつまり、98年版GODZILLAは、多くのゴジラファンにとって駄作であると同時に、ミレニアムゴジラという新シリーズの生みの親でもあるという……そういう奇妙な存在なのです。
その点に対する複雑な感情もあってか、ミレニアムシリーズの作品のなかでエメリッヒのゴジラはちょくちょくネタにされています。
そのあたりについては、またいずれこのブログの記事で書いていくことにして……今回はこのへんで。



映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』

2023-01-04 21:20:54 | 映画


映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』を観ました。

ゴーストバスターズシリーズの続編。

去年暮れの記事で、かつての『ゴーストバスターズ』でメガホンをとったアイヴァン・ライトマン監督が亡くなったという話を書きました。そして、その息子であるジェイソン・ライトマンが監督して新たにできたのが、この『アフターライフ』……というのは、当該記事でも書いたとおり。
しかし、そう書いておいてなんですが、実は私この作品を観ておりませんで……まあ正月ということでもあるので、ゆっくり映画でも観ようかということでアマプラで観てみました。

映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』予告編

正直さほど期待はしてなかったんですが……これは、なかなか傑作でした。

ストーリーを簡単に紹介すると……
かつてゴーストバスターズたちが戦ったゴーザが現代に復活。
しかしすでにゴーストバスターズは解散しており、イゴン・スペングラー博士も死去。代わりに、そのスペングラーの孫たちが戦うという物語です。

終盤には、昔のゴーストバスターズたちも登場。シガニー・ウィーバーも、ちょっとだけ出てきます。あと、マシュマロマンも。でかいやつではありませんが……

旧ゴーストバスターズたちが救援に駆け付けるクライマックスシーンは、ぐっとくるものがあります。
まあ話の流れからしてそのあたりで出てくるだろうという予想はつくんですが、ちょっとしたサプライズも仕掛けられていて、胸熱でした。


全体的な印象として、観ていると、あの『ゴーストバスターズ』の頃の雰囲気が甦ってくるような気がしました。
これは監督も意識してやってるんだと思いますが、去年の記事でも触れた80年代SFX映画黄金時代の空気感というか……いかにもあの時代の映画に出てくるような軽食店が出てきたりします。
私の勝手な想像なんですが、CGや美術関係も、意図的にちょっとローファイにしてあるように感じられました。
これは結構重要な点だと思います。
特撮もSFXも、リアルに見えることをゴールにするべきではないというのが私の年来の主張です。なぜなら、現実はつまらないから。SFXをあまりにもリアルにして現実に溶け込むようにしてしまうと、現実のつまらなさに埋没してしまう……近年のSFXは、技術が発達しすぎてその領域に踏み込んでしまってるんじゃないかと私は常日頃感じています。
『ネバー・エンディング・ストーリー』や『ゴーストバスターズ』なんかをやってた頃は、そのバランスが絶妙だった。ジェイソン・ライトマン監督は、この作品でそういうところもちょっと再現しようとしてたんではないか……そんなことを感じました。

「昔ヒットした映画の続編を作る」ということにはいろいろな難しさがついてきます。
これまで、このブログではそういう例をいくつか紹介してきました。本作も、世間の評価は賛否あり、必ずしも高く評価されているわけではなさそうです。しかし、私個人としては――たぶんにノスタルジーを含めてかもしれませんが――非常に楽しめる映画でした。

最後に……この映画では、科学とは何かみたいなこともサブテーマとして描かれています。
その文脈で、私が平素から考えていることを言葉にしてくれたせりふがあったので、それを引用しておきたいと思います。

 “科学は、パンクロックだ!”




『死の十字路』

2022-10-21 22:42:57 | 映画

今日は、10月21日

江戸川乱歩降誕の日です。
ここ二年ほどは、この日付にあわせて乱歩関連の記事を書いてきました。今年もそれにならって、乱歩原作の映画について書こうと思います。

とりあげるのは、『死の十字路』。
三國連太郎主演で、1956年に公開された映画です。

 
原作は『十字路』。
『死の十字路』という作品もあるんですが、これは『十字路』をもとにして少年探偵団モノにリライトした作品で、映画は『十字路』をもとにしているということです。
ややこしいですが……そういう事情なので、小説の『死の十字路』には明智小五郎が出てくるものの、映画の『死の十字路』に明智探偵は登場しません。


映画を観た印象としては、なんだかあまり乱歩らしくないと感じられました。

話の筋としては、意図せず人を殺してしまった男がその殺人を隠蔽しようとして、思ってもいなかったトラブルに巻き込まれていくというもの。
その最初の殺人は、新興カルト宗教にはまってしまった妻に殺されかけて、もみあいの末に相手を殺してしまったというものです。やばいカルト宗教というのは、やはり昔もやばかったんだな、と……時節柄そんな感想も抱きます。

乱歩らしくないと感じるのは、あまり怪奇・猟奇要素がないところでしょうか。
その結末も含めて、どちらかといえば松本清張作品のような感じに思えました。
この作品が発表されたのは昭和30年頃で、清張が社会派推理作家として頭角をあらわしはじめるちょっと前のことですが、そこはさすがの大乱歩、時代の潮流を先取りしていたんでしょうか。

あるいは……社会そのものの変化の反映なのかもしれません。
『死の十字路』にかぎらず、戦後の乱歩作品にはあまり怪奇・猟奇要素がない――というようなレビューをネット上で見たんですが、いわれてみればたしかにそうも思えます。少年探偵団シリーズにはそういう要素が濃厚にありますが……もしかすると、戦前戦中のあれやこれやで乱歩の心境に変化があって、それが作品に反映されているのかとも思わされました。
思えば、乱歩にとって友でありライバルであった横溝正史も、晩年の作では怪奇趣味が後退している感があり……そうなってくると、乱歩や横溝の作品に描かれる闇は、実は、戦前の日本に潜んでいた闇そのものだったのではないでしょうか。


あと、私の個人的な注目点として、音楽を佐藤勝が手がけているということがあります。
佐藤勝という人の名前は、このブログで何度か出てきました。ゴジラ映画のいくつかで音楽を手がけ、ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」や美空ひばり「一本のえんぴつ」など、ポピュラー音楽においてもかなり大きな仕事を残している人です。こういうサスペンス映画もやっているのかとちょっと驚きました。



『疑惑』

2022-10-07 23:07:59 | 映画

今日10月7日は、ミステリーの日。
……ということで、ミステリー系映画について書こうと思います。

去年は横溝正史原作の映画を紹介しましたが、今年は松本清張で。

『疑惑』です。


あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション『疑惑』2015/5/8リリース!

松本清張の原作で、監督は野村芳太郎――ということで、あの『砂の器』と同じ組み合わせ。また、音楽は芥川也寸志が担当と、これも『砂の器』と共通しています。


内容は、実際にあった保険金殺人事件をモチーフにしたサスペンス。
会社社長の男と若い妻が、車で海に転落。多額の保険金がかかっている夫は死亡し、妻だけが助かる。誰がどうみても保険金殺人、有罪は間違いなし……という事件の裁判を描く法廷ものとなっています。

岩下志麻、柄本明、丹波哲郎……など、キャストも豪華。
しかしなんといっても、この映画で圧倒的な存在感を放っているのは桃井かおりさんでしょう。

桃井さんが演じるのは、殺人容疑をかけられた被告人の鬼塚球磨子。

冒頭の登場シーンからエンディングにいたるまで、この鬼塚球磨子という役が、実に見事にはまっています。

最終的にどうなるかということは、例によって伏せますが……終盤では意外な展開も用意されており、サスペンスとしても上出来です。

清張作品の一つの特色は、その“徒労”にあるというのが私の持論ですが、本作にもそれは表れているでしょう。
謎を解き明かしても、それが必ずしもハッピーエンディングとはならない。まあ、人が死んでいる以上ハッピーにはならないといもいえるかもしれませんが、それにしても救いがない場合が多いように思えます。

この『疑惑』も、後味はあまりよろしくありません。
しかしそこが、清張流のリアリズムということでしょう。そのビターな味わいこそが、清張作品の魅力なのです。