ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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『銀河鉄道999』

2022-10-01 18:09:22 | 映画



今回は映画記事です。

ちょっと前に、賢治忌ということで宮沢賢治についての記事を書きました。

そこでは「烏の北斗七星」という作品を取り上げましたが、宮沢賢治の小説における代表作といえば、やはり『銀河鉄道の夜』……というところから、『銀河鉄道999』です。

以下は、その予告映像。

銀河鉄道999

ストーリーは、原作の骨格を残しつつ、登場人物やエピソードを再構成したもの。
作品のテーマとしても、案外宮沢賢治の記事で書いたことに通ずる部分があるかもしれません。まあ、そのへんを詳しく書くとネタバレになってしまうのでやめておきますが……
このストーリー構成には、原作者である松本零士先生ご自身が携わっています。さらに、映画化にあたって市川崑監督(若いころにアニメ関係の仕事をしていた経験があるとか)が監修と、なかなか豪華な顔ぶれです。


本作には、ハーロックとエメラルダスも登場。
また、トチローも登場し、アルカディア号誕生の瞬間も描かれます。まあ、松本零士作品においてこれらの設定はかなり柔軟なので、あくまでもこの映画のなかでの話ということではありますが……


この劇場版999といえば、ゴダイゴによるテーマソングも有名です。

銀河鉄道999

ついでに、EXILEのカバーしたバージョンも。

EXILE / 銀河鉄道 999



以前書いたように、今年この作品を新たなリマスター版で上映するという企画があり、私は北九州までそれを観にいきました。
その際、上演終了後に観客から拍手が起こるというようなことがあり……やはり愛されている映画なんだなあと感じさせられました。

下は、劇場で入手したパンフレット。



これに載っている制作秘話で、ラストシーンのアフレコの際に鉄郎役の野沢雅子さんとメーテル役の池田昌子さんが感極まって泣き出してしまい、録音が中断されるというアクシデントがあったそうです。あの野沢雅子さんがそんなNGを出してしまう……それだけのインパクトが、この作品にあったということでしょう。


最後に……
銀河鉄道とコラボしたアルコール飲料シリーズです。
前に『さよならアンドロメダ』の記事を書いたときにも紹介しましたが、その後新たなバージョンが出ています。




車掌さんと、クレア。クレアは、原作では一エピソードに登場するだけのキャラですが、劇場版では重要な役割を果たします。
この流れで行くと、鉄郎とメーテルは満を持して最後に登場する感じでしょうか……



『X-ファイル 真実を求めて』

2022-08-02 22:12:13 | 映画


映画『X-ファイル 真実を求めて』を観ました。

なんでそんなものを観たのというと、近所のゲオでレンタル落ちDVDを5枚1000円で売ってまして……それでDVD、ブルーレイを5作買ってきたので、最近映画記事を立て続けに書いていたわけです。

で、Xファイルもその一つ。

知らない人のために一応説明しておくと、Xファイルは超常現象的な事件をFBIの捜査官たちが捜査するという作品です。もともとはテレビドラマで、私が中学生ぐらいの頃に日本でも放映していました。

モルダーとスカリー、そしてスキナー長官……おなじみの面々がそろっていて、懐かしさをおぼえました。ただまあ、せっかくの劇場版なんで、もっと宇宙人とか古代文明とかそういう話にしてほしかったというのはありますが……

ブルーレイ版では特典映像として制作裏話みたいなものがついていて、それを見ると、制作中は秘密保持にかなり気をつかったらしいです。
脚本は貸出制にして、時間を区切って読ませるなど……結局、脚本はスタッフの誰にも丸ごと一冊配布されることはなかったとか。そうすることによって、事前に内容が流出するのを防いだというわけです。


先述したとおり、中学生ぐらいの頃、私はこのテレビシリーズをよく観てました。
『真実を求めて』の前に制作された劇場版第一作(1998年)も観てます。

それは、もちろんオカルト的な興味で見ていたわけですが……この手の作品を、劇場版とかメイキングといった関連作を追っていると、だんだん裏事情とかも見えてきます。そうすると、ああこれは結局エンターテイメントとして作られたフィクションなんだな、ということがそのうちわかってくるわけです。若い頃に、そういう、オカルトの裏側を見るというような経験をしておいたほうが、大人になってからカルト宗教とか陰謀論とかにはまったりせずに済むんじゃないか――ひさびさに観たXファイルから、そんなことも思いました。

ついでに、今回Youtubeで関連動画を探していて知ったんですが、Xファイルは2018年にテレビドラマシリーズとしても復活しているということで……

あの伝説の海外ドラマが再び帰ってくる!『X-ファイル 2018』予告映像解禁!

やはりこれが、Xファイルの世界ですね。
機会があれば、過去シリーズで未試聴のものも含めて、コンプリートを目指したいと思います。結構な量にはなってしまいますが……




『猿の惑星:新世紀(ライジング)』

2022-07-28 22:17:27 | 映画


映画『猿の惑星 新世紀』を観ました。

昨日はキングコングについて書きましたが、まあそこからの霊長類つながりということで……

『猿の惑星』も、シリーズ作が多数あります。
私はそこそこ観てるつもりではありますが、それでもまあ半分ぐらいでしょうか。この作品も、買った後になって前作にあたる作品を見ていないということに気づきました。
まあしかし、前作を見ていなくても十分に楽しめると思います。
下は、その予告動画です。

映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』予告編

一応、前作を観ていない人のために、映画の冒頭部分でここまでのあらすじが紹介されています。
サルインフルエンザの蔓延によって文明が崩壊した世界……このあたり、タイムリーなんじゃないでしょうか。


『キングコング』とは、単に霊長類つながりというだけではありません。
この映画もまた、戦争というものについて考えさせられる内容となっています。
観ていると、ああ戦争というのはこうやって起こるんだなあと感じ入ってしまうのです。これはもう誰にも止めることはできないんだな、という絶望感とともに……

ことの発端は、ダム。

わずかに生き延びた人間たちはコロニーを形成しており、電力供給のために近くにあるダムを復旧させようとします。しかし、そのダムがある山は、猿たちの縄張りになっているのでした。

相手に対する不信感を持った者がそれぞれのグループ内にいて、その一部は不信感を超えて憎悪を持っている……
平和共存主義者は、なんとか相互不信を克服しようと努力を積み重ねていきます。
そうして、苦心のすえにようやく信頼関係ができ、共存の基盤を作る。しかし、好戦主義者がそれを一瞬で台無しにしてしまう……
問題は、この両者が圧倒的に非対称であるということです。
共存のための努力はまるでカードの家を建てるような営みですが、それを崩すのはいたって簡単。
好戦主義者は、共存主義者の努力を一発の銃弾で台無しにしてしまえる。好戦主義といわないまでも、銃を背中に隠しての交渉は、不信感を醸成し、結局のところ成就しない……そういうことでしょう。


ここで、音楽について。

この手の映画はやはり、歌の使い方というのも重要になってきます。
昨日の『キングコング』でも音楽に着目しました。島に爆弾を落とすシーンで流れるブラックサバスの Paranoid。あるいは、ジャングルのなかで流れるCCRの Run through the Jungle …こういうところで、にやりとさせられるわけです。ちょっと前に紹介した『エイリアン:コヴェナント』では、なんと「カントリー・ロード」が使われたりしていましたが、これも、意外な選曲のようでありながら、さりげなく映画のテーマに絡んでいて、巧妙といえるでしょう。
そして……今回の『猿の惑星 新世紀』では、ザ・バンドの The Weight が劇中で使われています。
この曲をザ・バンドがエリック・クラプトンと共にやっている動画がYoutubeにあったので、リンクさせておきましょう。

The Band with Eric Clapton Perform "The Weight"

この曲が流れるのは、ダムの復旧作業が完了し、電力供給が再開される場面。
復旧した電力でレコードがかけられ、そこでThe Weight が流れてくるのです。うまい演出といえるでしょう。

その後、人間たちのコミュニティはお祭り騒ぎになり、猿たちもそれを祝福し、共存の道が開けたかと思われました。
しかし……実は、このときすでに破局ははじまっているのです。

最終的に戦いが避けられないだろうというのは、映画的な原則からしても、このシリーズの宿命としてもあきらかなんですが……しかしそれでも、何とかこのまま終わってくれないものかなあと思ってしまいます。そして戦いがはじまると、やっぱり穏やかなままでは終わってくれないんだなあという一抹の寂寥を感じずにはいられません。『猿の惑星』はいつでもそうであるように、『新世紀』もまた、深く考えさせられる映画なのです。まあ、昔の『猿の惑星』だったらもっと救いのない結末になってたと思いますが……


 

『キングコング:髑髏島の巨神』

2022-07-27 21:31:29 | 映画


映画『キングコング 髑髏島の巨神』を観ました。

先日『ゴジラVSコング』の過去記事をアップしましたが、あの映画にいたる一つの伏線といえる作品です。
この映画を観ずに『ゴジラVSコング』を観てもさほど問題はありません(実際私もそうです)が、地球空洞説、スカルクローラーといった要素がここで出てきており、そういった予備知識をもっておいたほうが、『ゴジラVSコング』、さらに再来年公開されるという新作もより楽しめるかもしれません。

映画『キングコング:髑髏島の巨神』IMAX版特別映像【HD】2017年3月25日公開

時代設定は、ベトナム戦争末期の1973年。
米軍がベトナムからの撤退を決め、ベトナムに駐留していたヘリ部隊の兵士たちが髑髏島の調査を警護……というようなことで、戦争というものについて考えさせられる内容にもなっています。

パッカード大佐率いるヘリ部隊が髑髏島のジャングルに爆弾を落とす映像は、まさにベトナム戦争をほうふつとさせます。
そして、髑髏島の守護神であるコングがそれに怒って反撃してきて、仲間が殺される。それで仲間が殺されたからといって遮二無二戦い続けようとする……髑髏島でパッカード大佐がやっていることは、まさにベトナム戦争の続きなのです。
兵士たちは、ただそれに従って犬死するだけなのか……終盤は、そういう展開にもなってきます。
そのあたりの細かいところは、例によって詳しく書きませんが……この作品が戦争というものを一つの重要なテーマに据えていることは、マーロウ中尉という人物でも表されています。
マーロウは、第二次大戦中に日本兵の軍平(MIYAVI)とともに島に不時着し、当初は敵として戦っていたものの、やがて島でともに生きていくことになったという人です。戦闘か、それとも共存か……そういうテーマが、ここでも描かれているのです。

 米兵の一人コールは、ベトナムの農民が持っていた銃を装備しています。

 「俺たちがくるまで銃なんて見たことがなかった」とそいつはいっていた。

 コールはいいます。

 敵なんて本当はいないのかもな。こっちが探さないかぎり……

しかし、パッカード大佐はあえて敵を探してしまいます。
彼は、髑髏島に戦争を持ち込んでしまうのです。

 だれも戦争からは戻れない……元のままでは

傭兵のコンラッドはいいます。
ベトナムの戦場が、大佐に戦争の狂気を植え付けた……そういうことでしょう。


と、ここまで戦争というテーマについて書いてきましたが……
もちろん、怪獣エンターテイメントとしての魅力も不足はありません。

序盤のストーリーをちょっと紹介すると、島に乗り込んだヘリ部隊は、コングの襲撃を受けて全滅。乗員たちは、島内に散り散りになって不時着します。米兵、科学者たち、反戦カメラマン、傭兵……それぞれに思惑を持った登場人物たちが、小集団に分かれて島内を移動していく多視点構成で物語が進みます。アドベンチャーの定石といえる手法で、これが髑髏島という舞台でしっかり機能しているといえるでしょう。
定石ということでいえば、女性にやさしいコングというのもそうでしょう。あるいは、未知の島にやってきた探検隊が次々に巨大生物に遭遇するという構図も……そういうふうに、過去のコング映画に対するオマージュを散りばめているところも楽しめます。


最後に、音楽について。

時代設定が1970年代初頭ということで、その頃の歌が作中にいくつか登場します。

ジェファソン・エアプレイン、ホリーズ、CCR、ブラック・サバス……そして終盤では「また会いましょう」(We'll Meet Again)なんかも。『博士の異常な愛情』でもエンディングに使われた歌ですが、あの映画で使われたような毒のあるアイロニーとしてではなく、本作ではこの歌が本来もっている意味にそって使われます。そこから導かれるエンディングも、このエンターテインメント大作にふさわしいといえるでしょう。



『エイリアン:コヴェナント』

2022-07-21 23:05:52 | 映画


映画『エイリアン:コヴェナント』を観ました。

2017年公開。
エイリアンを創出した本家リドリー・スコットの監督作であり、『プロメテウス』の続編となっています。
下は、そのトレーラー動画。

Alien: Covenant | Official Trailer [HD] | 20th Century FOX


『プロメテウス』では、人類の起源を探る旅が描かれましたが、『コヴェナント』ではあの作品で生き残った人たちのその後も明らかにされます。
詳しいことはネタバレになるので書きませんが……ああ、そういうことになったのか、という感想です。エイリアンシリーズでいえば、2から3への流れといった感じでしょうか。



『プロメテウス』からはじまる物語の出発点にあるのは、“創造主”を探り出すこと。

探検を企画したウェインランドは、「生命が存在するのが偶然であるはずはない」と考えています。
それを創り出したものがどこかにいるはずだ。
アンドロイドを人間が作ったのなら、その人間は誰が作ったのか? そのもとをたどっていけば、“創造主”にたどりつけるはず……というのです。

壮大なテーマですが……しかしこれは、カントが自然論的証明とか世界論的証明と呼んだものであり、理性の誤用にほかなりません。結局その探求は、どこにも行きつくことができないのです。問いの立て方自体が間違っている―と、カントならいうでしょう。

しかし『プロメテウス』とそれに続く本作『コヴェナント』は、果敢にそこに切り込んでいきます。
そして……当然の結果として、その出発点から約束されている一つの難問に直面しているように思われるのです。
それはすなわち、問いの立て方自体が誤っているその問いの答えをどんなふうにもっともらしく描けるのか、ということです。
いま一度カントに登場してもらうと、彼は「崇高なものは語り得ないのではなく、語り得ないものが崇高なのだ」といっています。
つまりは、創造主という至高の存在であるべきものが、形をもったものとして描いた時点で、ある種の嘘臭さをもってしまう。それは、どんな形であれ、映像として描いた時点でそうなってしまうのです。

この作品はエイリアンというものの誕生をめぐる物語でもあるわけですが、エイリアンという存在にもこの問題は波及してきます。
ほかならぬR.スコット監督自身が語っているように、起源が謎に包まれているからこそエイリアンは恐怖の存在なのであり……その起源を描くということは、いわば手品の種明かしをするようなもので、エイリアンというもののもつ神秘性をはぎとってしまうおそれがあるのです。
そのあたりの感想は人それぞれでしょうが、私としては、手品の種にちょっとがっかりした感も否めません。エイリアンというのはこんなふうにして生まれたのか、と……


しかしながら、本作にはエイリアン映画としての魅力も十分に詰まっています。

閉鎖空間での、終わらない悪夢としてのエイリアン……スプラッター描写も満載(R15指定)で、ギーガー美術あり、格闘アクションあり、そして結末も、いろんな意味で期待を裏切りません。宇宙を舞台にしたSFパニックホラー映画という部分では見ごたえがあるでしょう。本家による純正エイリアン映画として、SF映画史に残る重要な一作になったと思います。