ロック探偵のMY GENERATION

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ビーチボーイズとビートルズ

2019-02-26 17:06:11 | 音楽批評
今回は、音楽記事です。

前回の音楽記事では、ビーチボーイズの「素敵じゃないか」をとりあげました。
新しいロックの波に乗ろうとして乗り損ねたビーチボーイズ……そこでもちょっと触れましたが、今回は、その延長としてビーチボーイズとビートルズの関係について書いてみようと思います。

ビートルズとビーチボーイズ――関係がありそうにみえて、あまりないですね。

ビートルズのいわゆるホワイトアルバムに収録されている Back in the USSR という曲がビーチボーイズのパロディだとか……まあ、そんなところでしょうか。
あと、ビーチボーイズの Vegetables という曲があって曲中に野菜をかじる音が入っているんですが、ここで野菜をかじっているのがポール・マッカートニーだともいわれてます。

まあ、直接の関係は、たぶんその野菜をかじったぐらいのことしかないんじゃないでしょうか。

ただ、お互いにライバルという意識はあったでしょう。
以前の記事で書いたように、互いに触発しあったという部分もあるわけです。ビートルズの『ラバー・ソウル』がビーチボーイズに『ペットサウンズ』を作らせ、それがビートルズに『サージェント・ペパーズ』を作らせ、それがまたビーチボーイズ(というよりも、ブライアン・ウィルソン)を触発し……という。
しかしながら、その結果は正反対でした。

ビートルズは、その変化が世に認められ、またビートルズの変化自体がロック全体の変化をけん引していたとも思えます。
しかし、ビーチボーイズの場合は、それとは逆のことになってしまいました。変化したことが評価されず、そこから迷走し、凋落していきます。『サージェント・ペパーズ』に触発されたブライアン・ウィルソンは、さらに『ペットサウンズ』的傾向を深化させたアルバムを構想しますが、その作品『スマイル』はお蔵入りとなり、およそ半世紀にわたって封印されることになるのです。

ビーチボーイズがそういうふうになってしまったのは、これはもう不運としかいいようがないでしょう。

英米の違いが根底にあるにせよ、当時のアメリカでも、“第二世代”のロックが受け入れられる素地はなかったわけじゃありません。

たとえば、ビートルズがそういう方向性にむかうきっかけを与えたボブ・ディランがいました。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは時代に先駆けすぎたがゆえに失敗しましたが、ドアーズなんかが頑張ってもいました。決して、そういう音楽が受け入れられなかったわけではないんです。
ただ、ビーチボーイズは、もうそれまでのキャリアで能天気なサーフィン/ホットロッドのイメージがすっかり定着してしまっていました。山下達郎さんがいうところの「イメージという名の桎梏」が、ビーチボーイズの動きをがっちり封じ込んでいて、そういう新しい方向へ進むのを阻んでいたのです。

そう考えると、ほんの数年デビューの時期がずれていたら、また違った展開もあったんじゃないかとも思えます。
ビートルズとビーチボーイズの違いというのは、紙一重だと思うんですよね。
ほんのわずかなずれ。
周りの状況とか、わずか数年の違いが、分かれ道だったんじゃないでしょうか。

それから、もう一つ……これは誰かがいってたんですが、ビーチボーイズにはジョン・レノンのような存在がいなかった、という評もあります。
ビートルズには、ポール・マッカートニーという追求型の天才と、ジョン・レノンというノリと勢いの天才がいた。それに対して、ビーチボーイズにはブライアン・ウィルソンしかないかった……ジョン・レノンのような存在がいなかったために、ブライアン・ウィルソンが一人ですべてを背負い込むことになり、バランスをとることもできず、破たんしてしまったというわけです。
そこは、ひょっとすると決定的な違いかもしれません。
紙一重の差で、ビートルズが一歩前に出ていたところが、そこでしょうか。
また、ほかにも、ビーチボーイズの場合、詞や曲をすべて自分で書いているわけじゃないとか、レコーディングにはスタジオミュージシャンを多用したとかいうこともあり……そういった部分も踏まえると、やっぱり差は大きかったのかもしれません。
なんだか矛盾しているようですが……結局、ビーチボーイズの不運は、ブライアン・ウィルソンの才能を十分に発揮させる周囲の環境がなかったということで、そこがビートルズとの最大の違いなんじゃないでしょうか。