ピエール瀧さんの逮捕が巷を騒がせています。
薬物使用での逮捕……
コカインを使用した容疑で、それについては本人も認めているということです。
今回は、この件について思うところを書こうと思います。
今更いうまでもなく、ドラッグとロックの関りは、根の深いものがあります。
ドラッグに手を出していたロッカーというのは、名を挙げていけばもうきりがありません。ドラッグのことを直接的、間接的に歌った歌なんかもありますが、その手のエピソードもまた、枚挙にいとまがありません。
一つだけ例を挙げると――たとえば、ある意味でこのブログの発端でもあるイーグルス。イーグルスの「駆け足の人生」という歌は、ドラッグの売人と一緒に車に乗ってるときに、その売人が口にした言葉からタイトルがとられているんだそうです。
イーグルスの時代からもうちょっとさかのぼった60年代の“サマー・オブ・ラブ”は、ヒッピー文化とのつながりで「ドラッグやってもいいじゃない」みたいな側面も持っていて、そのリバイバル的運動である80年代のセカンド・サマー・オブ・ラブも、それを引き継いでいました。当時のレイブシーンは、ドラッグと切っても切れない関係にあったのです。
電気グルーヴは、音楽的にそういうところともつながっています。石野卓球さんは、セカンド・サマー・オブ・ラブを代表するバンド、ストーンローゼズがずいぶん好きなんだそうです。
まあ、そういう意味でいうと、今回のニュースは別に驚きではないんですね。
ドラッグそのもののことは問題でしょうが、自分としては、それに対する世の中のリアクションのほうが気になります。
NHKの大河ドラマでは、土曜日に再放送する分の、瀧さんが出ているシーンをカットするそうです。
また、今後の放送分についても再編集で瀧さんの出ている場面がカットされる可能性が高いとのこと。さらに、BSでやっている「あまちゃん」の再放送など、瀧さんが出ているほかの番組についても放送を見合わせるといいます。
この数日ツイッターなんかでも話題になってますが……今回の件で彼が出演しているドラマや映画なんかが封印されるのはどうなんでしょうか。
私個人としては、そこまでする必要はないだろうと思います。
作品と、そこに関与している人の行状とは、あくまでも別でしょう。ツイッターでは、「薬物事件で被害者はいないのだから」というような擁護論もあるようですが、そういう問題でもないんじゃないかと思います。
最近このブログで何度か名前が出てきたフィル・スペクターは、殺人を犯して服役中ですが、フィル・スペクターが殺人を犯したからといって彼が関与した作品すべて封印するとしたら、ロック史にかなり大規模な焚書を引き起こすことになるでしょう。とりわけ有名なものを挙げれば、ビートルズの『レット・イット・ビー』なんかも引っかかってしまうのです。ポール・マッカートニーは喜ぶかもしれませんが……
ちょっと違う話になりますが、もう10年ほど前に島田紳助さんが引退した時のことを思い出します。
引退のきっかけとなった暴力団との関係が問題視され、紳助さんが出ているバラエティ番組なんかの扱いをどうするかという話になりました。
なかには、イベントとの兼ね合いで完全差し替えが難しく、編集で紳助さんが映っているところだけをカットして公開したものもあったといいます。
それはさすがにちょっと行き過ぎなんじゃないか……と、私は正直思いました。
もっといえば、そこに、ある種の無気味さすらおぼえました。いったん“悪人”認定したら、その存在すらはじめからなかったことにしてしまうという、この国の“正義”に。
それからもう一つ今回の件で思うのは、そこを糾弾するんだったら、ほかにもっと糾弾するべきものがいろいろあるんじゃないかというところですね。
一度倒れたものはよってたかって蹴りつける一方で、権勢をふるっているものにはたてつかない……そんなところにこの国の“正義”の薄っぺらさを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
ちょっとなにかあるとテレビ報道がそれ一色に染まってしまう状況は、本来取り上げるべきものを取り上げない、取り上げられないことの裏返しなのか……そんなことも考えてしまいます。
薬物使用での逮捕……
コカインを使用した容疑で、それについては本人も認めているということです。
今回は、この件について思うところを書こうと思います。
今更いうまでもなく、ドラッグとロックの関りは、根の深いものがあります。
ドラッグに手を出していたロッカーというのは、名を挙げていけばもうきりがありません。ドラッグのことを直接的、間接的に歌った歌なんかもありますが、その手のエピソードもまた、枚挙にいとまがありません。
一つだけ例を挙げると――たとえば、ある意味でこのブログの発端でもあるイーグルス。イーグルスの「駆け足の人生」という歌は、ドラッグの売人と一緒に車に乗ってるときに、その売人が口にした言葉からタイトルがとられているんだそうです。
イーグルスの時代からもうちょっとさかのぼった60年代の“サマー・オブ・ラブ”は、ヒッピー文化とのつながりで「ドラッグやってもいいじゃない」みたいな側面も持っていて、そのリバイバル的運動である80年代のセカンド・サマー・オブ・ラブも、それを引き継いでいました。当時のレイブシーンは、ドラッグと切っても切れない関係にあったのです。
電気グルーヴは、音楽的にそういうところともつながっています。石野卓球さんは、セカンド・サマー・オブ・ラブを代表するバンド、ストーンローゼズがずいぶん好きなんだそうです。
まあ、そういう意味でいうと、今回のニュースは別に驚きではないんですね。
ドラッグそのもののことは問題でしょうが、自分としては、それに対する世の中のリアクションのほうが気になります。
NHKの大河ドラマでは、土曜日に再放送する分の、瀧さんが出ているシーンをカットするそうです。
また、今後の放送分についても再編集で瀧さんの出ている場面がカットされる可能性が高いとのこと。さらに、BSでやっている「あまちゃん」の再放送など、瀧さんが出ているほかの番組についても放送を見合わせるといいます。
この数日ツイッターなんかでも話題になってますが……今回の件で彼が出演しているドラマや映画なんかが封印されるのはどうなんでしょうか。
私個人としては、そこまでする必要はないだろうと思います。
作品と、そこに関与している人の行状とは、あくまでも別でしょう。ツイッターでは、「薬物事件で被害者はいないのだから」というような擁護論もあるようですが、そういう問題でもないんじゃないかと思います。
最近このブログで何度か名前が出てきたフィル・スペクターは、殺人を犯して服役中ですが、フィル・スペクターが殺人を犯したからといって彼が関与した作品すべて封印するとしたら、ロック史にかなり大規模な焚書を引き起こすことになるでしょう。とりわけ有名なものを挙げれば、ビートルズの『レット・イット・ビー』なんかも引っかかってしまうのです。ポール・マッカートニーは喜ぶかもしれませんが……
ちょっと違う話になりますが、もう10年ほど前に島田紳助さんが引退した時のことを思い出します。
引退のきっかけとなった暴力団との関係が問題視され、紳助さんが出ているバラエティ番組なんかの扱いをどうするかという話になりました。
なかには、イベントとの兼ね合いで完全差し替えが難しく、編集で紳助さんが映っているところだけをカットして公開したものもあったといいます。
それはさすがにちょっと行き過ぎなんじゃないか……と、私は正直思いました。
もっといえば、そこに、ある種の無気味さすらおぼえました。いったん“悪人”認定したら、その存在すらはじめからなかったことにしてしまうという、この国の“正義”に。
それからもう一つ今回の件で思うのは、そこを糾弾するんだったら、ほかにもっと糾弾するべきものがいろいろあるんじゃないかというところですね。
一度倒れたものはよってたかって蹴りつける一方で、権勢をふるっているものにはたてつかない……そんなところにこの国の“正義”の薄っぺらさを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
ちょっとなにかあるとテレビ報道がそれ一色に染まってしまう状況は、本来取り上げるべきものを取り上げない、取り上げられないことの裏返しなのか……そんなことも考えてしまいます。