今回は、映画記事です。
順番通りに、シリーズ13作目の『ゴジラ対メガロ』になります。
当初、このゴジラシリーズ記事は、これまで見たことがなかったゴジラ映画について書こうと思っていました。
それで『怪獣大戦争』からはじまり『ゴジラの息子』は飛ばしたりしていました。そのルールでいくと、13作目『ゴジラ対メガロ』も、だいぶ前に見たことがあるのでスルーということになるんですが……結局のところ、過去に見たことがあるものも含めてアマゾンプライムでゴジラシリーズをほぼ全作視聴してしまったので……もうここまできたら、どうせなんで、ゴジラシリーズの全作品について書こうと思います。
というわけで、『ゴジラ対メガロ』。
【公式】「ゴジラ対メガロ」予告 人間型電子ロボットのジェットジャガーが登場するゴジラシリーズの第13作目。
公開は、1973年。
前作に引き続き、タッグマッチとなっています。
『ゴジラ対ガイガン』がタッグマッチ方式でそこそこの成功を収めたことで、そこに活路を見出したのでしょうか。
敵側は、昆虫怪獣メガロと、前作に続いて登場するガイガン。
迎え撃つ人類側は、ゴジラとジェットジャガー。
ジェットジャガーは、人間が作ったロボットです。
しかし、後の平成ゴジラで人間側が作る兵器のように大掛かりなものではなく、民間人が自宅で作っています。ここがまず、本作のツッコミポイントその1です。なぜ、一民間人がそんな高性能ロボットを自宅で作れるのかという……
そのことともからんできますが、この作品は、非常にこじんまりとしています。
登場人物が少なく、怪獣が暴れまわるシーンも限定的で、あまり空間的な広がりを感じさせないのです。これは費用の問題というよりは制作期間が短かったためらしいですが……そういう事情なので、ロボットを出すにも、大規模な研究所のような設定にできなかったのでしょう。
いっぽう、敵怪獣のメガロ。
形状がカブトムシ型ですが、これは、子供向けを意識して、子どもに人気のあるカブトムシをモチーフにしているといいます。怪獣としての見てくれは、決して悪くないといえるでしょう。
そのメガロは、「シートピア海底王国」の守護神という設定です。
この「シートピア海底王国」というのは、かつてレムリア大陸に住んでいた人たちの国。
彼らは地上で行われていた核実験によって被害を受けており、それを阻止するべく地上の人間たちに戦いを挑むのです。
そこは、“核の脅威”というゴジラの本来のテーマに戻っているようです。その点に呼応するかのように、前作と比べてコミカルな調子が抑制されているようにも感じられます。
しかし、そうはいっても、ゴジラが本来の立ち位置に戻るわけではありません。
前作に引き続き、本作では、ゴジラはもう完全に正義の味方となっています。
ジェットジャガーが呼びにいくと、きちんとそれに応じて怪獣島からはるばる来日。
そして、ジェットジャガーがピンチになれば助け出し、ガイガンがジェットジャガーを人質にとれば、いったん攻撃を躊躇。そして戦闘に勝利した後は、ジェットジャガーと握手を交わして(!)帰っていくのです。
端的にいって、『ゴジラ対メガロ』は、ゴジラの全作品においても評価が低い作品の一つでしょう。
イースター島のモアイについて「300万年前ぐらいに作られたもんらしいんですけどね」とトンデモ情報をさらりと出してきたり、意志の力でジェットジャガーが巨大化したりと、ツッコミどころが満載です。特にジェットジャガー巨大化の部分はよく突っ込まれるところで、あまりリアリティといったことにはこだわらないタイプの私でも、さすがにそれは説明が雑すぎだろうと思わずにいられません。
復調し始めていた観客動員数がこの作品で急落したのも、むべなるかなというところでしょう。
私も、特に擁護しようという気にはなれません。
評価するところがあるとしたら、ジェットジャガーのダサカッコいいデザインぐらいでしょうか。
あと、音楽が流用でなくなっています。
前作が興行としてそれなりにうまくいったことを受けて、音楽の予算ぐらいはつけてやってもいいということになったんでしょうか。『ゴジラ対ヘドラ』で音楽を担当した眞鍋理一郎さんが、再び音楽を担当しています。
しかし、この人選もなんだかちぐはぐに思えます。
眞鍋さんは前衛的な傾向を持っている人で、それが『ゴジラ対ヘドラ』の実験的傾向にフィットしていたといわれますが、『ゴジラ対メガロ』には、映画として実験的なところなんかほとんどないわけです。しかるに、そこに眞鍋さんがつけた音楽は、ギターが歪んでたらジェスロ・タルになるんじゃないかというような曲だったりして、そこはかとなく前衛性を漂わせています。
音楽に関しては、ジェットジャガーの唄にも触れておかなければならないでしょう。
前作『ゴジラ対ガイガン』に引き続き、この映画もエンディングテーマがあります。
タイトルは「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ!」。それをもとにした曲が作中でBGMとしてたびたび流れてもきます。
タイトルからわかるとおり、前作のエンディングテーマと同系統で、やはり、リアルタイムで観ていない世代には違和感しかありません。
子供向けということで、昔のヒーローものみたいな音楽になってるんですが……前にガメラ映画の記事で書いた、ゴジラが「子供向けになろうとしてなりきれない」というのは、この歌にも出ているように思えます。
最初から最後までメジャー調で子供合唱団だけで歌い上げられるガメラに対して、この歌は子門真人さんによって歌われます。「およげ! たいやきくん」の、あの子門真人さんです。この歌声で歌われれば、ところどころさしはさまれるマイナーコードを媒介にして、たいやきくんの哀愁がいやでも漂ってきます。子どもたちのコーラスが入ってきますが、これもたいやき臭を拭い去るにはいたりません。テンポもゆったりとしていて、ガメラのあのリズミカルな感じとはかなり隔たりがあります。
結局は、「子供向けになろうとしてなりきれない」というのが一番悪いかたちで出てしまったのが、この『ゴジラ対メガロ』なんじゃないでしょうか。
前々作『ゴジラ対ヘドラ』以降のゴジラ作品には原点回帰的な方向性があると思うんですが、それが子供向け映画にしようというベクトルと矛盾していて、そこからくる齟齬をアジャストしきれていないのではないか。
映画の核心となる部分についていえば、敵であるシートピア人は、人間が行っている核実験の被害者なわけです。地上人の身勝手で生存を脅かされ、戦わざるをえなくなったのです。であるなら、はたして彼らの挑戦を斥けたことで単純にハッピーエンドといえるのか。彼らの守護神を撃退するジェットジャガーは“正義の味方”といえるのか。この点においても、「メッセージ性」と「子供向け」が対立してしまっています。
重いテーマと子供向けであることとは、必ずしも矛盾しないはずで、そこはきちんと手当てができたと思います。しかし、この映画ではどうも、齟齬が齟齬のままで放置されてしまっているように見えるのです。
かててくわえて、福田純監督のユーモアほのぼのセンスも、そこではマイナスに働いてしまったのではないか……そんな気がします。
数字で見ても、この作品は、興行的に大失敗といっていい成績に終わりました。
観客動員数はそれまでのシリーズで最低。ゴジラシリーズ全体でみても、歴代ワースト2位の記録です。
ここで、ゴジラ映画はふたたび打ち切りの危機を迎えることになるのでした。