ロック探偵のMY GENERATION

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ベートーベンのために

2020-05-20 15:54:23 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

以前、チャック・ベリーの Roll Over Beethoven についての記事を書きました。

そこでは、ベートーベンをぶっ飛ばせということだったわけですが……ただぶっ飛ばされるだけでは気の毒なんで、今日はベートーベンをちょっと弁護しておきたいと思います。

ベートーベンといったら、その名前を知らない人はいないでしょう。

クラシックの大物で、音楽史に大きな足跡を残す巨人です。それが一つの権威のようになっているわけで……そういう権威をひっくり返そうというのが、チャック・ベリーのいわんとするところでした。

しかし実は、バッハやベートーベンといった人たちは、それぞれの時代においてロックだったんだと私は思ってます。

たとえばバッハはバロック音楽を代表する音楽家ですが、バロック音楽においては、それまで使用が避けられてきた不協和音的な音が使われるようになります。その最たるものは、減五度でしょう。いまでこそごく普通に使われますが、ルネサンス期ぐらいまでのヨーロッパでは、これは「悪魔の音程」と呼ばれ、使ってはならないとされていたのです。

そのあたりは、バッハがそれをやり始めたのかというのは私にはちょっとわからないんですが……ベートーベンに関していうと、音楽的になかなか革新的な人だったようです。

聞くところによると、ドラムで裏拍をとる、あの「ズン、タン、ズン、タン」というリズムを最初にやったのはベートーベンだといいます。

音楽には地層があります。

かつては、六つの音しか使わず、ハモリもコードもなく、移調も転調もなく、音符も二種類しかないというような時代がありました。そこから現代の複雑な音楽にいたるまで、何千年という時間をかけて表現の幅が広がってきたわけです。減五度の使用や、裏拍をとるリズムなと、いまの音楽では当たり前になっていることも、その長い歴史の中で誰かが新しくはじめたことであり、それをはじめた当初は、たぶん守旧派から批判されたにちがいないのです。あんなのは音楽じゃない、と。そして、そういわれることこそがロックなんだと私は思ってます。

そういう意味では、バッハもベートーベンもロックなんです。

しかしそれが、いつしか本人のあずかり知らないところで、一つの権威になっていく。そうすると、それをまた誰かが旧体制として打破する。そういう新陳代謝の繰り返しで表現の幅が広がっていく。それは、ドクサ、パラドクサ、メタドクサというやつかもしれません。権威化、硬直化してしまったドクサに対してパラドクサを提示することが、ロックなんです。
ロックとは新陳代謝である――その観点にたてば、ベートーベンもロックであり、そのベートーベンをぶっ飛ばせと歌ったチャック・ベリーも等しくロックといえます。

ベートーベンに関していえば、ナポレオンと「エロイカ」のエピソードなんかはなかなかロックなんじゃないかとも思います。

パンクとはスタイルではなくアティチュードだ、とジョー・ストラマーはいいました。
そういう言い方でいうと、ロックとは音楽形式ではなく生き様なんだともいえるんではないか。だとしたら、ベートーベンもまたロックなのです。