ロック探偵のMY GENERATION

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日本とビートルズ

2021-02-07 16:31:30 | 音楽批評


昨日このブログで、スパイダースについての記事を書きました。

日本版ビートルズを目指したものの、歌謡曲化の圧力におしつぶされていったスパイダース……今回は、その続きということで、日本におけるビートルズについてちょっと書いてみようと思います。

ビートルズといえば、今月の4日が「ビートルズの日」ということで、そこで渋谷陽一さんの論評を紹介しましたが……そこで引用した『ロックミュージック進化論』のなかで、渋谷さんは日本におけるビートルズの扱いについても一章を割いています。そこでは、日本においてビートルズへの熱狂のようなものはなかったと彼はいっています。
以下、その一部を引用しましょう。

 以前、あるデパートがセールス・キャンペーンのテーマとして、“ビートルズによって育ちました”というコピーを使っていた。そういえばビートルズ・ジェネレーションといった表現もある。
 僕はこうした言葉に接する度に苦々しい思いにかられる。「嘘をつきやがって」と言いたくなるのだ。日本にはビートルズを聞きながら育った世代などどこにも存在しない。ビートルズを聞いていたのは極く限られた少数の人間でしかなく、いわゆるヒット・チャートにおいても彼等は常に苦戦をしていた。

こう書いたうえで、もしビートルズを聞いて育った世代というものが存在するのなら自分の周囲にビートルズのリスナーがたくさんいたはずだが、実際にはビートルズを聴いているのはクラスの中で自分一人だった……という背理法を展開。そして、クラスでたった一人のビートルズファンであることからくるのは「被害者意識と孤立感」だったと述懐しています。


日本においてビートルズ人気がさほどのものではなかったという点については、たとえば高嶋弘之さんの証言もあります。

著名なバイオリン奏者高嶋ちさ子さんの父親である高嶋弘之さんは、1960年代当時、東芝の音楽ディレクターとしてビートルズを手がけていました。
それで「日本におけるビートルズの仕掛け人」といわれているんですが、その販促活動において、現代であれば確実に問題となるような“やらせ”や“数字の不正操作”を行っていたことが知られています。
たとえばラジオ番組で、本当はストーンズへのリクエストなのに、それを書き換えてビートルズがリクエストされたことにした――などという話をご本人がテレビに出て普通に話していたりします。ほかにも、東芝の社員らをマッシュルームカットにさせて、週刊誌が「ビートルズヘアが若者のあいだで人気!」という記事を書くように仕向けたとか……
まあ、その当時はおおらかな時代だったということなんでしょう。私も別に今さらそのことを咎めようというつもりはありませんが……ただ、これらのエピソードによって、日本におけるビートルズ人気がある種の虚構であることが示されているとはいえるでしょう。

渋谷陽一さんと高嶋弘之さんの証言は、見事に符合します。
すなわち――実際には、日本においてビートルズの人気はそれほどのものではなかった。今なら“やらせ”とか“ステマ”と呼ばれるであろう、あまりほめられたものではない手段によって、業界関係者が“ビートルズ熱”を演出した。そしてそれが独り歩きし、日本においてもビートルズが一大ブームを巻き起こしていたかのような幻想が生じた……ということではないでしょうか。


だとするならば、そのことは、いわゆるロックンロールが日本のポピュラーミュージックに与えた影響はきわめて限定的だということを意味してもいるでしょう。

プレスリーやビートルズが、それぞれの国、それぞれの時代における大人の価値基準を覆した……ということは、このブログで何度か書いてきました。そしてそこから、ロックとは新陳代謝である、という命題が導き出されました。

しかし、日本ではその新陳代謝が起きない。

国産音楽の話でいえば、スパイダースの挫折が示しているのは、そういうことなんじゃないかと思えるのです。
価値基準を転換しようという動きが生じても、結局、“世間”のほうがそれをおしつぶしてしまう。そうして、古色蒼然、旧態依然たる価値観が温存されていく……それが、日本の“世間”がもつ絶対的保守性の源泉ではないか。

そして、それは音楽にとどまる話ではなく、社会全般にこの構図がみられるのではないか……ということが問題になってくるわけです。

新陳代謝が起きないと、体は老廃物がたまっていきます。つまりは、生きたまま腐っていくのです。

直近の例でいえば、某元総理の発言をめぐる騒動だとか……あのグダグダっぷりを見ていると、ああ、この国は生きたまま腐りつつあるのだなあと思わされます。


最後に、動画を。

ビートルズの The Fool on the Hill です。

The Fool On The Hill

ガリレオ・ガリレイをモチーフにしているといわれるこの歌は、ビートルズの曲の中でも、新陳代謝の意味をはっきりと示してくれるんじゃないかと思えます。

丘の上の愚か者は、みんなに蔑まれている。
しかし彼は、そんな周囲の者たちに耳を貸しはしない。彼らのほうこそが愚か者だということを知っているからだ。彼は、世界がまわるのを心の目で見ている……そういう歌です。

ガリレオは、自分の地動説のほうが正しいということを知っているわけです。
権威をもつ者たちがいかに天動説を主張し、地動説を圧殺しようとも……そして、やがてはみな、地動説の正しさに気づき、権威の側も認識の転換を迫られる。これが、新陳代謝なのです。
なんだか、日本だったら天動説がそのまま温存されてしまうような……そんな気がしてしまいます。

ちなみに、上の動画は映画『マジカル・ミステリー・ツアー』用のものということで曲の一部しか流れないので、フルのバージョンも。

The Fool On The Hill (Remastered 2009)