今日は12月8日。
ジョン・レノンの命日です。
この日付に合わせて、一昨年はジョン作の曲である Strawberry Fields Forever について書きました。
今年は、ジョンの友人でありライバルでもあったポール・マッカートニーがジョン・レノンを追悼するために作った歌 Here Todayについて書こうと思います。
音楽記事として、前回スティーヴィー・ワンダーとポール・マッカートニーの Ebony and Ivory を取り上げたところからのつながりでもあります。
ポール・マッカートニーとジョン・レノン……
音楽史において、これほど有名で、複雑な関係のコンビもほかにないでしょう。
ビートルズファンにはよく知られているとおり、ビートルズの曲でジョンとポールだけが関わっている作品は、すべて Lennon & McCartney とクレジットされています。この二人しか曲作りに加わっていない場合は、たとえどちらか一人の手によるものであっても、Lennon & McCartney の曲ということになっているわけです。
これは、いずれ主導権争いが起きることを見越していたためかもしれません。
実際に、後期ビートルズはその主導権争いを一つの原因としてメンバー間の関係が悪化するようになりました。初期のビートルズはジョンのバンドでしたが、次第にポールの存在感が増していき、後期ビートルズはポールのバンドとみる方が妥当です。
そもそも、ビートルズのメンバーの中で、もっとも音楽的な素養を持っていたのは、父親もミュージシャンであるポールでした。彼は、ギター、ベース、ドラム、ピアノを演奏できます。そんなポールだからこそ、ほかのパートがすべて埋まって、空いているベースというポジションに入り、そしてベーシストとして「前に出るベース」の境地を開拓した……というのが、私のロック史観です。
そんなポールのミュージシャンとしての資質は、誰よりもジョンが一番わかっていたでしょう。
そこにはある種、モーツァルトとサリエリのような関係があったのではないか。その才能への嫉妬が、反感につながっていたようにも思えます。
ギターとピアノぐらいはジョン・レノンも演奏できますが、さらにはボーカルという領域もあります。音域をとってみても、ポールはジョンに出せない高音域の声を出すことができるのです。はっきり確かめたわけではないんですが、ジョンはおそらくA4ぐらいまでが限界なのに対して、ポールはC5ぐらいまで出せ、裏声っぽい部分も含めればじつにF5まで出しています(「ヘイ・ジュード」歌部分の最後の絶叫)。A4とC5は楽譜の上ではほんのわずかな差にすぎませんが、バンドのボーカルなんかをやったことがある人なら誰でもわかるとおり、この短三度は、おそろしく大きく、そして超えがたい壁なのです。
さらに、曲作りの才能。
ビートルズの曲でポール作のものを聴いていると、はっきりと“ポール節”のようなものがあることに誰しも気づきます。たとえばジョンをして「完璧な曲」といわしめた Fool on the Hill の、複雑で精緻なコード進行。ジョン・レノンには、ああいう曲はどうやっても書けないんです。ジョンは、勢いで破格のコード進行を書くことはできても、曲を緻密に練り上げていくことはできないのです。
こうしたことがあって、ジョンはおそらくポールに対してコンプレックスを持っていたんだと思われます。
ジョンのポールに対する態度は、そのコンプレックスの裏返しのように見えます。
ポールとジョンは、ビートルズ後期には決定的に関係が悪化し、ビートルズ解散後も完全に関係を修復できたわけではなかったようです。解散後も、この二人の因縁にまつわるエピソードはいろいろあります。
たとえば、ベジタリアンになったポールを揶揄したカードを作ってアルバムに同封する。あるいは、How Do You Sleep? という曲では、ポールを皮肉って「お前のやったことは Yesterday だけ」と歌います。お前の作った曲で、いいのはせいぜい Yesterday ぐらいのもの、というのと、お前の栄光は過去のものだというのをかけているわけです。で、それに対してポールは Tomorrow という曲を作って応じるという……
二人は、そんな関係でした。
感情的な部分に加えて、ビートルズの関連で多くの訴訟沙汰を抱えていたこともあって、二人の仲は冷え込んでいました。
たまに顔をあわせても、喧嘩になってしまうことがたびたびあったそうです。
ただ、時間の経過によって修復された部分もあったようです。
彼らが設立した会社アップルのことが確執の背後にあり、アップルの話さえしなければ喧嘩にならないということに気づいてからは、それなりに仲良くやっていたともいいます。
しかし、二人に残された時間は多くはありませんでした。
1980年の12月8日。
銃弾が、ジョンの命を奪います。
ビートルズにまつわるさまざまな訴訟の終結、そして和解を見届けることなく、ジョン・レノンはこの世を去りました。
この事件は、ポールにも大きなショックを与えました。そのショックのために、数か月の間ポールは音楽活動を休止することになったといいます。
そしてその二年後――Ebony and Ivory を発表したのと同じ年、ポールは Tug of War というアルバムを発表。
ここに収録されている、ジョン・レノンへの追悼の意を込めてポールの作った曲が、Here Today です。
とても美しく、切ない曲です。その歌詞の拙訳を載せておきましょう。
きみのことをよくわかっていたともし僕がいったなら
きみはなんて答えるかな
もし君がいまここにいてくれたら
きみはきっと
笑ってこういうだろう
僕らはすっかり離れ離れだって
だけど僕は
まだあの頃のことを覚えてる
そしてこれ以上涙をこらえはしない
君を愛している
僕らがはじめてであった時のことはどうだい
きみはきっというだろう
僕らは無理をしすぎたんだって
物事を理解せずに
だけど僕らはいつだって歌うことができた
僕らが泣いた夜のことはどうだい
理由なんてなかったから
すべてを心のうちに秘めて
なにもわからずに
でも きみはいつも笑顔でそこにいた
もし僕がきみを心から愛していたといったら
そして 君に会えてよかったと
そして きみは今日ここにいたと
だって きみはぼくの歌の中にいた
今日ここに
あらためて訳してみると、この詞は心に深くしみいってきます。
昨日までいた人が、今日はいない――その喪失が詩の源泉である、とリルケはいったそうです。その喪失が、人に詩を歌わせる。Here Today は、まさにそんな歌ではないでしょうか。