今日は12月8日……
ジョン・レノンの命日ですが、真珠湾攻撃によって太平洋戦争がはじまった日でもあります。
去年は、それについての記事を書きました。
それ以外でも、このブログでは、折に触れて太平洋戦争にいたる歴史について書いていますが……今回はその一環として、三月事件について書こうと思います。
以前、夢野久作『犬神博士』の記事でも名前が出てきた事件です。ほかにも何度かこのブログで言及していると思いますが、この事件は、後から振り返ってみれば、日本が軍事独裁国家化して無謀な戦争に突き進んでいくその第一歩といえるものでしょう。
三月事件は、桜会によるクーデター未遂事件です。
桜会というのは、陸軍中佐橋本欣五郎が創設した政治結社。
この頃の日本には、政党政治をやめて独裁国家にしたほうがいいという考え方をもった人が少なからずいて、桜会はそうした考え方を持つ人たちがつくった結社の一つでした。
この桜会が中心となってクーデターを起こそうという事件が起きたのは、昭和六年の三月。三月に起きたので、三月事件といっています。
その前年、首相の浜口雄幸が東京駅で狙撃され重傷を負っていました。
ひとまず一命をとりとめはしたものの、首相として国会に出続けるのは難しく、幣原喜重郎を首相代理として当面しのいでいるという状態でした。しかし、その幣原の失言によって国会が混乱。乱闘騒ぎにまで発展し、その状況を目の当たりにした国民の間では、政党政治に対する不信が深まっていました。
これを政党政治打倒の好機とみた桜会が、動き始めます。
右翼の大川周明なども加わり、クーデター計画はひそかに進行。その内容は、右翼団体のデモにあわせて軍が国会を包囲し、内閣を総辞職に追い込むというものでした。
結果としてこのクーデターは失敗に終わりますが、その後同種の事件が続発するきっかけとなったというのは、以前書いたとおりです。
そこでも指摘したように、この事件に対してきっちりとした処罰が下されなかったのが最大の問題でしょう。
処罰すれば、軍の上層部にまで累が及んでしまうために、うやむやにしてしまった。
公的な機関が組織ぐるみで不正を隠蔽するというこの恐ろしさ……これは、肝に銘じておくべきです。
そしてもう一つ知っておかなければならないのは、国家改造主義者たちのカルト宗教のような国家観。
近衛文麿は、自分が接触した右翼活動家を「独善」「幼稚」と評し、「彼らの行動は余りに無軌道激越であつて健全なる常識では容認できない」としています。近衛文麿はそういう勢力と接触していた人ですが、その近衛からみてもそうだったのです。
ところが、おそろしいことに、その人たちが実際に権力を握ってしまいます。
無謀な戦争に突き進んで焦土と化すという日本の悲劇は、この「独善」「幼稚」な人たちの行動によってはじまりました。
そのきっかけとなったのが三月事件であり、そういう意味で、この事件は大日本帝国崩壊の序曲ともいえるでしょう。
三月事件自体は失敗したクーデターにすぎませんが、先述したように、問題はそれに対してきっちりとした処断をしなかったことです。
蟻の穴から堤も崩れるといいますが、まさに最初の小さな穴が開いたときにそこをきっちりふさいでおかなかったことが致命的な不作為だったのです。
この歴史に教訓を学べば、「独善」「幼稚」「あまりに無軌道激越であつて健全なる常識では容認できない」ような人たちが権力を握りそうになったら、その最初の段階で全力で止めにかからなければならないということでしょう。