先日、中村哲さんが亡くなった件についての記事を書きました。
そこでは言及しませんでしたが、中村さんは日本の憲法がもつ平和主義の重要性をかねてから説いておられた方です。
この点に関して、いまツイッターなんかではいろいろいわれています。
事件の背景についてまだはっきりしない状況ではありますが……その部分について、私なりの考えを述べておきたいと思います。
まず結論からいうと、今回の件で「平和主義で安全は守れない」といったことをいうのは見当はずれな意見でしょう。
仮に“日本軍”というものが存在してアフガニスタンに駐留していたとして、広大なアフガニスタンのどこかで日本人が襲撃されるというときに、そこに駆けつけることができるわけではありません。
逆に、アフガンには米軍がいますが、だからといってアフガニスタンでアメリカ人が自由に行動できるかといったら、そんなことはないでしょう。
軍事力があったからといって、それで安全に活動できるわけではないんです。
そのことを示す事実として、2008年に『タイム』誌アジア版に掲載された記事を紹介しましょう。
A war that's still not won と題された記事です。
このタイトルは、和訳するなら「いまだ終わらない戦争」といったところでしょうか。しかしこの言い方には「軍事的には勝って当然なのに、勝利とはとうてい言えない状態が続いている」といった含意があるようにも感じられます。
この記事には、ダムのことが書かれています。
アフガニスタン南部ヘルマンド州のKajakiというところに大きなダムがあるんですが、その頃アメリカは、このダムを改修しようとしていました。
ところが、これがなかなかうまくいかない。
そのダムがタリバンの支配する地域の近くに位置していたためです。米軍の試算によると、その地域で安全を確保するには2万5千の兵員が必要だということで……アフガン全域の治安と動員できる兵士の数を考えれば、一地域にそれだけの兵を集めることはできない相談でした。
周辺住民も、タリバンの目が光っている中でうかつにアメリカに協力できないという状況があります。
ここで、アメリカは途方に暮れました。
住民の支援を得るためには、開発を行う必要がある。その開発を行うためには、安全が必要になる。そして、安全は周辺住民の支援にかかっている。その住民の支援を得るためには開発が必要で……という堂々巡りのジレンマに陥るのです。結局のところ、現在にいたるまでこのダムのグレードアップはできていないようです。
記事によると、当時その地域にはイギリス軍が8500人という規模で展開していましたが、それだけの兵力をもってしてもダムの改修は思うにまかせませんでした。
しかし――ここで、中村哲さんの話に戻ると、中村さんは丸腰で水路を造ったのです。
8500人の軍隊がいてもダムの改修はできず、丸腰の中村さんが水路を造ることができる――
これは、中村さんがおっしゃっていた「武力で安全は維持できない」ということの証だと思います。
米軍がいるからアメリカ人が安全に活動できるなんてことはないし、軍事力がないから危険で活動できないということもないわけです。
ちょっと話が変わりますが……以前観たドキュメントによると、イラクにはアメリカ人だけを狙うテロリストというのがいるそうです。おそらく、アフガンにもそういうテロリストはいるんじゃないかと思われます。こうなってくると、米軍がいることによって、むしろアメリカ人は他国人に比べ絵より危険でさえあることになります。
中村さんがおっしゃっていたのも、そういうことだと思うんです。
戦後の日本は、他国に武力行使をしてこなかった。だから、“敵”とみなされてない。だから安全に活動できる……ということです。
もちろん、そもそも治安が悪い国ですから、100%安全ということはありません。今回の件は、そういうことでしょう。
むしろ気になるのは、今回の件の背後に、日本に対する評価が変ってきたことがあるんじゃないかというところです。
イランの件などのタイミングを考えると、そんなふうにも思えてきます。そうではないことを祈りたいですが……
ちなみに……
今回の悲報には多くの方が反応を示しています。作家の澤地久枝さんや、平野啓一郎さん、あるいは音楽界ではアジカンの後藤正文さんも、中村哲さんへのリスペクトを表明しています。
そしてまた、U2のボノさんも。
ちょうどU2は来日していて昨夜さいたまスーパーアリーナで公演を行っていましたが、そのステージにおけるMCで中村さんを讃えています。
おそらく公式と思われるサイトにその動画があったので、貼り付けておきましょう。
U2 Bad, Tokyo 2019-12-05 - U2gigs.com
曲の途中、オーディエンスに灯りを灯すよう呼びかけ、「このスタジアムは大聖堂となる。キャンドルを灯そう。偉大な中村哲のために」と語り、そこからサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」を引用。
この曲については以前このブログでも紹介しましたが、いま一度その引用部分の歌詞を載せておきましょう。
冬物のコートを広げると 家に帰りたくなる
ここでは ニューヨークの冬に身を切られ
家に帰りたくなるんだ
開拓地に ボクサーは立つ
彼は闘う男
彼を打ち倒し 切り刻んだグローブの
記憶を抱え
怒りと恥辱にまみれ
何度も逃げ出しそうになる
しかし闘士は それでもまだ
とどまり続けている
なんと、中村哲さんにぴったりの歌詞でしょう。
そしてここから、曲は、Pride(In the Name of Love)となるのです。
この歌も、以前このブログで紹介しました。キング牧師のことを歌った歌であり、ボノは、公民権運動に生涯を捧げたキング牧師の姿に中村哲さんを重ね合わせているのです。
最後には、ボノが「ボクサー」が終わるところで口にした聖書の句も、ここに引用しておきましょう。『マタイによる福音書』第五章9節より。
Blessed are the peacemakers.
――平和のために尽力するものはさいわいである。
U2の「Bad」、この曲は自分が高校生の頃からずっと聴き続けている特別な曲です。
(個人的なベスト・ヴァージョンはEPの「 Wide Awake in America」で!)。
残念ながら来日公演には参加出来ませんでしたが、この曲の演奏中にボノが中村哲氏に
言及してくれた事を知る事が出来て感謝しています。日本にもこうやって世界に影響を
与える人物がいるという事を若い世代の人達にももっと知って欲しいですね。政府は
人気獲りの為に著名なスポーツ選手にはすぐ国民栄誉賞などのプライズを与えようと
しますが、本当に重要な人物(国連の緒方氏とか)にはなぜかおよび腰。彼の死は本当に
残念ですが、ボノが「テツ・ナカムラ!」と何度も唱えた事の重要性と素晴らしさを
日本の人達にもっと知って欲しいなと思っています。
ボノは、徹頭徹尾行動の人であり、また、行動する人の姿を見出し、称賛を惜しまない人でもありますね。
行動する人に対しては、有名無名、社会的地位の如何といったことに関係なく、その努力を讃える――そんなボノだからこそのことだったと思います。