今日は9月11日。
2001年に、アメリカ同時多発テロの起きた日です。
あれから17年……
去年は、イーグルスが9.11のテロに触発されて作った「ホール・イン・ザ・ワールド」という曲を紹介しましたが、今回は、同時多発テロ後のアメリカ社会の変化について、思うところを書いてみようと思います。
同時多発テロは、その後のアメリカ社会にも大きな変化を引き起こしました。
このブログでも折に触れて書いてきたように、セキュリティの意識が高まりすぎて、過剰防備の状態になってしまい、社会にある種の圧迫感や閉塞感をもたらしているということでしょう。
その点について、堤未果さんの『アメリカから〈自由〉が消える』(扶桑社新書)という本を参考にして、書いてみようと思います。
この本には、アメリカの一種異常ともみえる状況が描かれています。
たとえば、法で禁じられているにもかかわらず市民団体に「スパイ」を潜入させる、学校内で学生新聞を担当している教師の教室に監視カメラが密かにしかけられる……果ては、「デスノートごっこ」をしていたという理由で小学生が逮捕されるなんてことまであったそうです。
悪名高きナショナル・セキュリティ・レターというものもあって、これは令状なしに召喚を求めることができるというもので、17世紀の権利章典とかそういうところまでさかのぼる話になっています。
また、愛国心の名のもとに、メディアへの締め付けも強化されます。
問題なのは、それがどんどん拡大されていき、安全保障と呼べるのかという領域にまで広がっていくことです。
堤さんの前掲書では、ハリケーン「カトリーナ」の被災地で住民の健康被害を取材したBBCの記者がNSAに告訴されたという話が紹介されています。NSA(国土安全保障省)というのは、盗聴やら監視といったことをやっている怪しげな組織で、映画『エネミー・オブ・アメリカ』なんかでその恐ろしさが描かれていましたが、あの映画はあながち誇張でもないということでしょうか。災害対応という安全保障とも呼べないようなことで、そういうことをやるわけです。まあしかし当人たちは、いやこれは立派な安全保障だと言い張るんでしょうが。
メディアの締め付けという話では、アメリカ財務省がSWIFTというシステムから秘密裏に個人情報を盗み出していたことをNYタイムズとLAタイムズがスクープした話も出てきます。
これに当時のブッシュ大統領は「国の安全保障をおびやかした」と激怒したそうですが、それに対するNYタイムズの編集長ビル・ケラーの反論が紹介されています。
「私は、正確な報道は国にとっての利益になると信じている。/九・一一以降、イラクで行われている暴力について報道した記者たちはみな、敵側に有利な情報を与えたとして批判にさらされている。/この国の建国者たちは、大統領の言葉をうのみにしたり、報道内容に関する重要な決定を政府にゆだねることを、決して賢明とも愛国的だとも思わなかったはずだ……」
至極まっとうな意見だと思いますが、保守系のメディアはこれを徹底して叩いたそうです。
話は、マスメディアだけにとどまりません。
イラク反戦デモの映像をアップしたブロガーが、その資料を当局へ提供することを拒否したために収監されたという話もあります。
そしてきわめつけは、オバマ政権時にホワイトハウスのブログが発した「政府の政策に反対する者がいたら通報してください」というメッセージですね。「医療改革法案」をめぐって、「間違った情報がインターネットや日常会話を通して次々に広まり、人々に不安を与えることを避けるため」ということなんですが、もう無茶苦茶でしょう。
いつだか、テロ後のアメリカ社会を扱ったドキュメンタリーで、出演者がこんなことをいっていました。
安全のためにといって自由を手放すしていくと、最終的には両方とも失ってしまうことになる。
同時テロ後のアメリカは、まさにこういう方向に行ってしまってると思いますね。このことから日本が学ぶべき教訓は、決して少なくないでしょう。
2001年に、アメリカ同時多発テロの起きた日です。
あれから17年……
去年は、イーグルスが9.11のテロに触発されて作った「ホール・イン・ザ・ワールド」という曲を紹介しましたが、今回は、同時多発テロ後のアメリカ社会の変化について、思うところを書いてみようと思います。
同時多発テロは、その後のアメリカ社会にも大きな変化を引き起こしました。
このブログでも折に触れて書いてきたように、セキュリティの意識が高まりすぎて、過剰防備の状態になってしまい、社会にある種の圧迫感や閉塞感をもたらしているということでしょう。
その点について、堤未果さんの『アメリカから〈自由〉が消える』(扶桑社新書)という本を参考にして、書いてみようと思います。
この本には、アメリカの一種異常ともみえる状況が描かれています。
たとえば、法で禁じられているにもかかわらず市民団体に「スパイ」を潜入させる、学校内で学生新聞を担当している教師の教室に監視カメラが密かにしかけられる……果ては、「デスノートごっこ」をしていたという理由で小学生が逮捕されるなんてことまであったそうです。
悪名高きナショナル・セキュリティ・レターというものもあって、これは令状なしに召喚を求めることができるというもので、17世紀の権利章典とかそういうところまでさかのぼる話になっています。
また、愛国心の名のもとに、メディアへの締め付けも強化されます。
問題なのは、それがどんどん拡大されていき、安全保障と呼べるのかという領域にまで広がっていくことです。
堤さんの前掲書では、ハリケーン「カトリーナ」の被災地で住民の健康被害を取材したBBCの記者がNSAに告訴されたという話が紹介されています。NSA(国土安全保障省)というのは、盗聴やら監視といったことをやっている怪しげな組織で、映画『エネミー・オブ・アメリカ』なんかでその恐ろしさが描かれていましたが、あの映画はあながち誇張でもないということでしょうか。災害対応という安全保障とも呼べないようなことで、そういうことをやるわけです。まあしかし当人たちは、いやこれは立派な安全保障だと言い張るんでしょうが。
メディアの締め付けという話では、アメリカ財務省がSWIFTというシステムから秘密裏に個人情報を盗み出していたことをNYタイムズとLAタイムズがスクープした話も出てきます。
これに当時のブッシュ大統領は「国の安全保障をおびやかした」と激怒したそうですが、それに対するNYタイムズの編集長ビル・ケラーの反論が紹介されています。
「私は、正確な報道は国にとっての利益になると信じている。/九・一一以降、イラクで行われている暴力について報道した記者たちはみな、敵側に有利な情報を与えたとして批判にさらされている。/この国の建国者たちは、大統領の言葉をうのみにしたり、報道内容に関する重要な決定を政府にゆだねることを、決して賢明とも愛国的だとも思わなかったはずだ……」
至極まっとうな意見だと思いますが、保守系のメディアはこれを徹底して叩いたそうです。
話は、マスメディアだけにとどまりません。
イラク反戦デモの映像をアップしたブロガーが、その資料を当局へ提供することを拒否したために収監されたという話もあります。
そしてきわめつけは、オバマ政権時にホワイトハウスのブログが発した「政府の政策に反対する者がいたら通報してください」というメッセージですね。「医療改革法案」をめぐって、「間違った情報がインターネットや日常会話を通して次々に広まり、人々に不安を与えることを避けるため」ということなんですが、もう無茶苦茶でしょう。
いつだか、テロ後のアメリカ社会を扱ったドキュメンタリーで、出演者がこんなことをいっていました。
安全のためにといって自由を手放すしていくと、最終的には両方とも失ってしまうことになる。
同時テロ後のアメリカは、まさにこういう方向に行ってしまってると思いますね。このことから日本が学ぶべき教訓は、決して少なくないでしょう。