今日は8月9日。
長崎に原爆が投下された日です。
8月6日と同様、毎年この日には原爆に関連する記事を書いてきました。
今年もそれにならって、「長崎の鐘」という歌を紹介しようと思います。
この曲は、タイトルからも察せられるとおり、永井隆の『長崎の鐘』をモチーフとしています。
詞を読んだだけではなかなかわかりづらいですが、長崎の原爆について歌った歌なのです。
詞を書いたのは、サトウハチロー。そして作曲は――かの古関裕而です。
古関裕而といえば、今年の朝ドラのモデルとなった人物。
古賀政男などと並んで、昭和を代表する作曲家の一人であり、「君の名は」や「栄冠は君に輝く」など有名な曲をいくつも作っています。まあそのあたりは、朝ドラで詳しく語られているのでしょう。私は観てないのでわかりませんが、おそらくこの「長崎の鐘」に関するエピソードも朝ドラに出てくるんだと思います。
先述したとおり、歌の中では原爆を直接想起させるようなことは書かれていません。「妻は召されて 天国へ/別れてひとり 旅立ちぬ」というところで、かすかに示されているぐらいです。あとは、古関裕而の哀調を帯びた曲が、原爆の悲惨を思わせるというところでしょうか。それがサビでメジャーに転じ、讃美歌ふうのコーラスと相まって、復興にむけた“祈り”の歌となっているのです。
最初に歌を発表したのは、藤山一郎。
この人はこの人で、昭和初期を代表する男性歌手といってもいいでしょう。本来は女性歌手に歌ってもらう想定だったそうですが、出発点が永井隆の著書なので、男声のほうがいいということで藤山一郎に白羽の矢が立ったといいます。
しかし、私の個人的な感想としては、どちらかというと女声のほうがしっくりくるんじゃないかと思えました。YouTubeで検索すると女声のカバーがいくつか出てきますが、それらのカバーのほうがいい気もします。
そして、声のこととは別に、藤山一郎のボーカルというのが引っかかる部分もあります。
というのは、藤山一郎という人は、戦時中には戦意高揚の歌をいくつも歌っているのです。
まあ、それを言い出したらキリがないという部分はあります。古関裕而だって、戦時中には軍歌を多く作ってます。音楽にかぎらず、戦時中のアーティストはたいていみんなそうだったわけで……それらは必ずしも本人の望むところではなかったのかもしれません。
しかしながら、そういう背景を踏まえて考えると、戦後日本の戦争観がもつある種の偏りが浮かび上がってくるようでもあります。
戦争の惨禍を強調するあまりに、オフェンス側としての側面が、抜け落ちているという……そしてその傾向は、戦後が長くなるにつれて顕著になってきているようにも思われるのです。
もちろん核兵器の使用は許されることではなく、その悲惨さは語り伝えていくべきですが、そのことが、戦争というものが必ずもつ二つの側面の片方を捨象させることになってもよくない。そのへんのねじれを解消しなければ、核廃絶の訴えも届かないのではないか――そんなことを考えずにいられない、75年目の8月9日でした。