ロック探偵のMY GENERATION

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本田美奈子. 「アメイジング・グレイス」

2019-11-06 22:11:08 | 音楽批評
今日は11月6日――

これは何の日かというと、本田美奈子.の命日です。

そこで今回は、音楽評論記事として、本田美奈子.について書こうと思います。

(本田美奈子の名前表記は、死去した時点で正式には「本田美奈子.」。ドットがついているのは、「モーニング娘。」とか、「藤岡弘、」みたいなことでしょう。ファンとしてはこだわりたいところですが、文章としてわかりづらくなるので、以下「本田美奈子」と表記します)

この機会にカミングアウトしますが、実は私、隠れ本田美奈子ファンなのです。
小説を書くときにBGMを流すんですが、彼女の曲はよく聴きます。あのイノセンスというか、ピュアな感じをなんとかとりいれたいと思うんですね。
拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』では、ホテルの館内で流される7つの曲が登場しますが、そのうち3つ(「ジュピター」「ソルヴェイグの歌」「アメイジング・グレイス」)は、本田美奈子がとりあげているものです。ついでにいうと、彼女はツェッペリンの「天国への階段」もカバーしていたりして、そういう意味ではトミーゆかりのアーティスト(?)なのです。

本田美奈子のVEVOチャンネルから、Oneway Generation の動画を貼り付けておきましょう。
まだアイドル感が前面に出ていますが、十分に非凡さを感じさせます。

本田美奈子. - Oneway Generation

もう少しロック方面のことでいうと、彼女は、このブログでたびたび名前が出てくる忌野清志郎の作った曲を歌ってもいます。
また、クイーンのブライアン・メイにその歌唱力を認められ、曲を作ってもらったりということも。ブライアン・メイは、彼女がこの世を去った後に、その早すぎる死を惜しんで追悼アルバムに参加してもいます。

そのブライアン・メイがギターで参加したのが、アメイジング・グレイス。
本田美奈子のキャリア全体をとおしても、代表曲といえるでしょう。

 

数年前に映画になったので結構知られていると思いますが、この歌は、もと奴隷商人であったジョン・ニュートンの手になるもの。かつては盲目だったが、いまでははっきりと見えている――という歌です。自分はかつては奴隷の売買という誤ったことをしていたけれど、その過ちに気づいた、と。そして、実際にニュートンは奴隷貿易廃止のための運動にたずさわり、その成就を見届けてこの世を去りました。

ここに、本田美奈子がみずからの半生を重ね合わせている部分もあるのだと思います。
といっても、別に若いころに悪事を働いていたというわけではありませんが……

若いころの本田美奈子は、結構アーティスト気質というか、とがったところや負けん気の強さがあったそうです。アイドル時代に結構きわどい衣装でステージに出ていたりするのも、そういうことのようで……たぶんに、「私はただのアイドルじゃない!」みないなところがあったんでしょう。アイドルとしてそこまで大ヒットしなかったのは、そのあたりが理由かもしれません(これは別に非難してるわけではなく、私にとってはむしろプラス評価になる部分)。
あるときからクラシック的な方向に進出していくんですが、『ミス・サイゴン』のときには、共演者たちが自分を陰で馬鹿にしている(と、少なくとも本人は感じていた)ということがあって、あるとき舞台装置の事故で足の小指がつぶれた状態でそれでも演じ続け、共演者たちを愕然とさせたという壮絶な逸話も残っています。
しかし、クラシック路線に本格的に進むようになってからの彼女は、そういう肩に力の入ったような感じも抜けて、自然体で歌えるようになったみたいです。
そういうところに、「アメイジング・グレイス」を重ね合わせているのかと思います。

  優しい愛の手のひらで
  今日も私は歌おう
  なにも知らずに生きてきた
  私はもう迷わない

というところですね。

こうして彼女は、“アイドル”の領域を飛び越えて、「誰も寝てはならぬ」「ジュピター」など、クラシックの名曲に日本語詞をつけて歌うというスタイルになります。

しかし、そんな彼女を、病魔が襲います。

はじまりは、2005年の1月。
神戸での震災チャリティ・コンサートを控えるなか、本田美奈子は謎の高熱に襲われていました。それでも、震災で被害を受けた人たちが待っているからあくまでも休みはしないという姿勢でしたが……しかし、そのなかで白血病があきらかになるのです。

入院生活を余儀なくされた本田美奈子――ある日その病棟に、本田美奈子の歌に詞を提供していた作詞家の岩谷時子が骨折で入院してきました。
無菌室から出られない本田美奈子ですが、岩谷時子を励ますために、音声メッセージのやりとりをはじめるのです。

このやりとりが、だいぶ前にNHKのドキュメンタリーとして放送されました。
ここで、その内容を、かいつまんで紹介したいと思います。

岩谷時子は、戦後日本歌謡曲を代表する作詞家。
ピーナッツの「恋のバカンス」や、岸洋子「夜明けの歌」、加山雄三「夜空の星」など、実に様々な歌に詞を提供しています。このブログでずっと書いているゴジラシリーズでも、『地球最大の決戦』に出てくる「しあわせをよぼう」という歌は岩谷時子の作詞。特に怪獣映画に興味があったわけでもないでしょうが、活動領域が広すぎて、もうそういうところにまで名前が出てきてしまうわけなんです。

その岩谷さんは、本田美奈子とは深い縁がありました。

本田美奈子の歌声に、惚れ込んでいたのです。越路吹雪のために、エディット・ピアフの「愛の賛歌」に訳詞をつけたということがあるんですが、越路吹雪の死後封印していたその日本語詞で歌うことを、本田美奈子にだけ許したといいます。
そうしたこともあって、本田美奈子がクラシック路線にむかっていったときに岩谷時子は多くの詞を提供しています。本田美奈子のほうもまたその詞に深い感銘を受けていたようで、本田美奈子自身の書いた詞からも、その影響はみてとれます。互いにリスペクトし、信頼しあう間柄だったのです。

そのため、本田美奈子はボイスレターを送ったのでした。

メッセージには、歌もつけられました。
最初は、「アメイジング・グレイス」。
そして、ルイ・アームストロングのWhat a Wonderful Worldに岩谷時子が詞をつけた「この素晴らしき世界」。

  素敵だわ みんなで祝えるこの夜
  生きているわ 世界は
  夜空には星降り しあわせな昼と夜
  私は思う 素晴らしいと
  この世界は素晴らしいと

サッチモの名曲を日本語詞で歌う本田美奈子。
そのメッセージを受けた岩谷時子は、その返事のなかでこう言います。

「あたしたちは自分の不幸せは考えないで人の幸せだけ考えて元気で生きていきましょうね」

こういうことをいえてしまうというのがすごいことです。
まさに、歌詞の内容そのままに生きている、そんな二人です。

グレゴリオ聖歌に詞をつけた「祈り」に添えたメッセージで、本田美奈子は「心にいっぱい傷を負ってしまって自分が生きているのもつらくなっちゃうような子供たちが最近増えていると思う」として、そんな子供たちに岩谷時子の詞になる歌を聴かせたい、といいます。

このメッセージに対して岩谷時子は、「あなたも私も、宿命を持って生まれてきたと思う。力をあわせて、なんとか幸せに、周囲も幸せに、なるように頑張りましょう」と返しました。

影の部分さえ光にしてしまう、底抜けなまでのポジティブです。
そこにおいては、病苦さえも一つの“試練”となります。
自身の白血病について、「幸せになるため、人の苦しみがわかるようになるための痛みだ」と本田美奈子はいうのです。

文字にして書くと、なんだかあまりにきれいごとすぎるようにも感じるかもしれませんが、実際の音声を聴くと、そんな感じはしません。それは一つには、本田美奈子という人はまさにこういう人であり、こういう歌を歌ってきたということもこちらの頭にあるからでしょう。

たとえば「ジュピター」に岩谷時子がつけた詞はこんな感じです。

  やがて明るい朝がおとずれ
  地球の上の夜が明けるわ
  あなたはほほえみ浮かべ
  あしたから新しい人生よ

  かなしみ知らない人はいない
  嘆き乗りこえてゆく平和な世界を
  みんな手をつないで生きていこう

あまりのストレートさに聞いているほうが気恥ずかしくなってくるような歌詞ですが、本田美奈子の歌声で歌われると、不思議に説得力があるのです。

38歳の若さでこの世を去った本田美奈子――
ブライアン・メイが見送ったフレディ・マーキュリーといい、神さまは、素晴らしい才能を手元に置いておきたくなって、天に召してしまうのか。そんなことを、考えさせられるのです。


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