ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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The Byrds, Chimes of Freedom

2018-08-22 22:28:49 | 音楽批評
今回は、久々に音楽評論記事です。

紹介するのは、Chimes of Freedom という曲。

直訳すると、「自由の鐘」……

オリジナルはボブ・ディランですが、何人かのアーティストにカバーされていて、以前とりあげたブルース・スプリングスティーンもカバーしていました。
が、ここではバーズの曲として紹介しましょう。

歌詞は、ディランらしくなかなか難しい英語でつづられていますが、夜中にみた雷を、自由を告げる鐘として描いている歌といいます。


  鐘は鳴る
  強さとは戦わないことだという兵士たちのために
  武器をもたずにさすらう難民たちのために
  そして すべての敗北にうちひしがれた戦士たちのために
  僕らは自由の鐘がきらめくのを見つめていた

  
バーズといえば、「ジャングリー」とも表現されるきらきらした12弦ギターの音色が特徴ですが、この曲でもそれは存分にいかされています。
ロジャー・マッギンのあの歌声もそれに合ってます。

歌のテーマは、もちろん“自由”でしょう。
強さとは戦わないことだという兵士たち、というのは、良心的兵役拒否者のことでしょうか。
他の個所では「罪もなく投獄された優しい魂のために」という歌詞もありますが、そういった歌詞にはプロテストソング的なところも感じられます。

ほかにも、反逆者のために 放蕩者のために、見捨てられた者たちのために、癒えることのない傷に苦しむ者たちのために、鐘は輝きます。

抑圧されたさまざまな者たちの自由を謳う歌。
ブルース・スプリングスティーンがこの歌を歌った理由もわかる気がします。


バースというグループは、60年代半ばに登場しまし、“フォーク・ロック”を確立したバンドともいわれています。
フォークロックというのは、言葉のとおりフォークとロックの融合です。当時のフォーク・リバイバルの流れとロックの勃興が結びついたものといえるでしょうか。その旗手であるバーズは、デビューシングルがいきなりヒットして、一気にスターになりました。

しかし、フォークロックのブームは、わずか2、3年で終息したといいます。

その後のバーズは、サイケデリックの方向に行ったり、ルーツ系の方向に向かったりしていました。

“迷走”という感じですが、しかしこれが、それなりに後のロックに影響を与えているという見方もあるようです。ビーチボーイズやアニマルズの軌跡とちょっと重なるところがあるかもしれません。どちらも、方向転換の失敗例ということにはなると思いますが……


余談ながら、このバーズがギターに取り入れていたあるギミックが、拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』で謎解きに使われています。興味がありましたら、ぜひご一読を……と、ちゃっかりPRしておきます。

ブログも一周年

2018-08-20 22:45:38 | 過去記事
今日で、このブログも一周年を迎えました。

前に拙著刊行から一周年の記事でも書きましたが、時間が経つのは早いものです。

まあ、当初の頃に比べれば、多少は閲覧数も増えたかとは思いますが……まだまだというところです。

毎度とりとめのない話ばかりですが、今後ともよろしくお願いします。

『自由はこうして奪われた ~治安維持法 10万人の記録~』

2018-08-19 18:25:54 | 日記
昨夜、NHK教育で、治安維持法に関するドキュメント『自由はこうして奪われた ~治安維持法 10万人の記録~』を見ました。

私も、日本が太平洋戦争に進んでいく過程には興味があっていろいろ調べたりしてるんですが、この番組は、治安維持法というものの無茶苦茶さが克明に描かれていましたね。

共産党員を対象にしたものでありながら、検挙された中に共産党員はわずか3%ほど。あとは、共産党とまったく関係のない人たちが、すさまじい拡大解釈で検挙されたといいます。たとえば、日常のなにげない風景を絵に描いただけで、共産主義の考え方を啓もうしたと言いがかりをつけられて逮捕。そして、いったん逮捕されると、むりやり自白を強要されて有罪になる……もう、狂気としかいいようがありません。

もちろん「共産党員だから」という理由で逮捕されることからして無茶苦茶なわけですが、ふたを開けてみれば検挙された人のほとんどは共産党とまったく関係なかったというんですから、いかにひどいかという話です。

このような拡大解釈、濫用の危険は、国会審議の段階で指摘されていたにもかかわらず、法案は成立。そして、懸念された通り――あるいは懸念されていた以上の濫用が起こります。

番組では、やはり共産党と関係がないにもかかわらず検挙された教師の話が出てきますが、その教師は獄中で“転向”したことにされ、教壇に復帰してからは、満蒙開拓に生徒らを勧誘する役割を強いられたそうです。後に日本が敗戦したときに、大変な混乱をもたらし、幾多の悲劇を生むことになるあの満蒙開拓です。

とにかく戦前の日本の残念な部分が凝縮されたような話で……しかもその残念な部分は、相当程度いまも残っているように思えます。

この番組、22日水曜日の深夜に再放送されるそうなんで、観ていない方はぜひ観ていただきたいと思います。

『キングコングvsゴジラ』

2018-08-18 21:52:04 | 映画
ひさびさに映画記事を書きます。

映画系記事では、vsモノを扱ってきましたが、その流れで、今回とりあげるのは『キングコングvsゴジラ』です。

日本代表のゴジラと、アメリカ代表のキングコング……怪獣界の二大スターが激突するドリームマッチです。

これが、それまで東宝が発表した怪獣映画に登場していたモスラやラドンらと戦うことになる、その第一歩ともなっているわけですね。

映画のポスターです。

公開当時の貴重なポスター……といいたいところですが、後に復刻されたものです。



この映画では、南方の島の守り神であるキングコングと、北極の氷山から復活したゴジラが日本にやってきて対決します。
どちらが勝つかは例によって伏せておきますが……この作品は、はっきりと勝ち負けがあります。
どうしてこの決着になったのかというのもいろいろ考えてしまいますが、まあ、そのほうが、この後どうするんだということが問題にならなくて丸く収まるからということなんでしょうかね。


いま見ると、着ぐるみなんかはだいぶチープですね。

レトロなチープ感は好きですが、ただ、現代ゴジラを見慣れていると、さすがにちゃちな感はいなめないところです。

風の噂では、『キングコングvsゴジラ』のリメイク版が制作されることになっているそうです。

現代の映像技術で、このドリームマッチがどうよみがえるのか……期待したいところです。




終戦の日 若槻礼次郎に学ぶ

2018-08-15 17:34:17 | 日記
今日は8月15日。

終戦の日です。
ということで、今回は、先の大戦について書こうと思います。


あの大戦について何かを語ろうと思うと、大変なことですが……

いまの時代にも通ずる、一般化できる問題として、意思決定の過程について考える必要があると思います。

開戦にいたる経緯を調べていると、対外強硬姿勢のエスカレートが重要な問題と思えます。

一部の為政者や軍人、論客らが対外強硬論をぶちあげる。
それを支持する人が現れる。為政者がそれを利用し、相互に増幅していく。ついには、扇動した側もその勢いを制御しきれなくなって、自分が煽った世論に逆に追い立てられるようになってしまった……という側面があるでしょう。
これは、たぶんイタリアなんかも同じだったと思いますね。米英仏を相手に戦争したって負けることは目に見えてる。だから、本当はやりたくない。でも、勇ましいことをいって国民をたきつけてしまったために、いまさら引けない……そうして、無謀な戦争に突っ込んでいくわけです。

今年亡くなった西部邁さんが言ってたんですが、あの状況で開戦を止めようと思ったら、政治家が五、六人ぐらい死ぬ必要があったかもしれません。

止めようと思ったら、政治生命だけでなく、リアルに生命を失うおそれがある。

だから、このままいくとやばいとわかっていても止めるためのアクションをとれない。そうしているうちに、事態はずるずると最悪の方向に転がり落ちていく……

巨大な船ほど、いちど一つの方向にむけて進みだしたら方向転換や停止が難しいといいますが、日本はまさにそれだと思うんです。


そんななかで、多少ともその流れにあらがおうとした人として、若槻礼次郎のことを書いておこうと思います。

若槻礼次郎……この人は首相も経験していますが、ロンドン海軍軍縮会議で全権をつとめてもいます。
そのロンドン海軍軍縮会議ですが……日本史に詳しい方ならご存じのとおり、日米間で艦船保有比率をめぐって紛糾し、会議自体がご破算となるおそれがあるところまで行きました。
日本側は、“対米7割”を最低限のラインとしていましたが、アメリカ側は6割に抑えようとして、なかなか話がまとまりません。
最終的には日本側が7割を割り込むことを容認して妥結するのですが、そのときの心情を若槻は後にこう語っています。

もし日本の主張を若干修正して、条約を締結するとしたならば、国民は非難を私一人に集中し、私の名誉も生命も、如何なる結果を見るか図り難いのである。もとより自分は、首席全権たることを承諾したとき、自分の生命と名誉を犠牲にして顧みないという覚悟をきめ、今日までこの会議に臨んでいたのである。もし自分の尽力によって、なんとか纏まりがつくならば、自分の生命と名誉の如きは、何とも思わない


もし、日本の軍関係者が「防衛上最低限」とする数字を割り込む内容で条約を締結したら、自分は相当な非難にさらされる。名誉を失うばかりでなく、命の危険さえあるかもしれない。しかし、それでこの話がまとまるなら、自分の生命や名誉などはどうでもいい……というわけです。

まあ、本人が後に語っていることですから多少の誇張はあるのかもしれませんが……この決意に心を打たれて、アメリカ側も一定の譲歩を呑んだといいます。
西部邁さんのいう「開戦を止めようと思ったら政治家が5、6人死ぬ必要がある」というのはこういうことですね。
自分が死んでも、という覚悟で行動する政治家がもっとたくさんいれば、日米開戦は防げたかもしれません。

で、その後どうなったというと……

実際のところ、若槻が暗殺されることはありませんでしたが、条約自体は激しい批判にさらされました。条約を批判した人たちは“艦隊派”と呼ばれ、彼らはロンドン海軍軍縮条約における妥協を激しく攻撃します。若槻暗殺はありませんでしたが、首相の浜口雄幸はテロに遭い、その傷がもとで死亡。その後に若槻が総理となったのは歴史の皮肉でしょうか。
また、“艦隊派”のなかには、5.15事件を主導した三上卓もいます。
ロンドン海軍軍縮条約は、結果としては、むしろ対外強硬派による国際協調派攻撃の口実を与え、過激派を直接行動に走らせ、日本がきな臭い状態になっていくきっかけとなりました。これも歴史の皮肉といえるかもしれません。
実際にはこの軍縮条約は、あちこちで妥協がはかられた結果、内容としてはそれほど厳しいものではなく、妥協の一環として有効期間が5年と短く設定されていたこともあって、軍縮としての実効性がどれほどあるのかというものでした。すなわち、艦隊派にとっても、そんなに攻撃するほどのものではなかったはずなんです。にもかかわらず、艦隊派は天皇の統帥権まで持ち出して条約を攻撃。そしてその5年の期限が切れる頃になって、後継の軍縮の枠組みも作られないという状態になると、日本はすさまじい勢いで軍拡を開始し、対米開戦にまで突き進んで焼け野原になるわけです。

なんだかなあ……と思いますね。

あらすじだけを読むと、もうアホらしいとしかいいようがありませんが、その過程でおびただしい死者が出ています。いかにアホらしくとも、笑い話ですませるわけにはいきません。
国がやばい方向に向かっていると思ったら、政治家や官僚といった人たちこそ、体を張ってそれを止める義務がある。太平洋戦争の教訓は、そういうことでしょう。