ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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2022年を振り返る

2022-12-23 19:34:36 | 日記



いよいよ、2022年も残すところあとわずかとなりました。

今年もさまざまなことがありました。
これから大みそかにかけて、この一年のことをちょっと振り返ってみようと思います。

そう考えて過去のニュースを振り返ってみると……目に留まったのは、訃報でした。
著名な作家や歌手が世を去ったという……もちろん毎年そういうことはあるわけですが、私個人として、今年は特に衝撃を受けることが多かった気がしています。
それらの件について、エンターテイメント方面の人達を中心に書いてみようと思います。


3月3日、西村京太郎先生が亡くなりました。
ミステリー界における超大物。
とりわけトラベルミステリーというところに大きな業績を残しました。近年は防犯カメラが普及したこともあって、トラベルミステリーは成立しにくくなっているといいますが…ビッグであるがゆえに、そういう影響も受けてしまうということでしょうか。
小説の世界でいえば、石原慎太郎さんが亡くなったのも今年でした。まったく畑違いではありますが、ビッグネームという点ではいずれ劣らぬところでしょう。
また、今年は西村賢太さんが亡くなるということもありました。こちらの西村さんが芥川賞を受賞した際の選考委員の一人が、石原慎太郎氏。氏が選考委員をつとめていた時期の最後期にあたる授賞でした。


1月10日、水島新司先生が亡くなりました。
この方に関しては、現役引退を表明されたときに一度記事を書きました。多くの野球漫画を描いておられましたが、代表作はなんといっても『ドカベン』。スポーツ漫画史における不朽の名作です。その功績が色あせることはないでしょう。


4月7日、藤子不二雄Ⓐ先生が亡くなりました。
このときは、ウクライナ侵攻のことでもちきりになっていたので、ブログで記事を書くということはありませんでしたが、Ⓐ先生が亡くなったというのは、大きなショックでした。
Ⓐ先生については、このブログで何度か記事を書いてきました。
私が子供のころからもっとも作品に親しんできた漫画家の一人であり、リスペクとしてやまない偉大な漫画家です。


つい先日の訃報として、水木一郎さんが亡くなりました。
アニソン界のアニキ……
この訃報に私がまず思い起こしたのは、『キャプテン・ハーロック』。
ハーロックについては以前このブログで書きましたが、OP、EDとも、魂を震わせる名曲でした。
そのアニキが藤子不二雄Ⓐ先生とつながるのが、『プロゴルファー猿』。
ということで、その動画を。

プロゴルファー猿オープニングテーマ「夢を勝ちとろう/水木一郎」



音楽方面では、おおたか静流さんが亡くなったのも今年でした。

先日山本コウタローさんのことにもちょっと言及しましたが、あらためて振り返ってみると、今年は西郷輝彦さんや小坂忠さんの訃報もありました。

おおたか静流さんはいろんなアーティストの曲をカバーするアルバムを発表しておられますが、そのレパートリーが非常に幅広い。
そのなかには、もちろんフォーク方面の曲もあります。フォークルの「悲しくてやりきれない」や、寺山修司作詞の「戦争は知らない」など……フォークといえるかは微妙ですが西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」なんかもあって、こうした選曲をみていると、単に“フォークの名曲”をカバーしているだけではない、スピリッツのようなものが感じられました。

それらのカバー曲のなかに、「花・太陽・雨」があります。
PYGのカバー。こんな曲をカバーするセンスがすごいところです。

花・太陽・雨



 最後に、映画俳優の宝田明さん。
この方に関しては、亡くなった際にも記事を書きました。
またゴジラシリーズの新作が作られるということが最近発表されましたが、こうして70年近く経っても新作が作られるという壮大な物語……その出発点を支えたのが、宝田明さんでした。
幼少時に大陸から引き揚げ……その経歴からくる信念は、『ゴジラ』にも表現されていました。
これからもゴジラシリーズを作り続けていくとするなら、その魂を継承していけるかが問われるでしょう。



ワールドカップ終了

2022-12-19 23:05:24 | スポーツ


サッカーのワールドカップが、終了しました。
アルゼンチンが、PK戦のすえにフランスを破って優勝。
まあ、試合そのものは見てなかったんですが……なかなか壮絶な試合だったようで、見ておけばよかったなとちょっと後悔しています。

これでいよいよメッシも本懐を遂げたということです。
思い出すのは、2014年のワールドカップ。決勝でドイツに敗れ、立ち尽くしていた姿……それから8年、最後の挑戦としていたこのW杯で栄冠を手にしたのは、熱心なサッカーファンというわけでない私からみても感慨があります。

それにしても、あれだけその才を賞賛される選手にして、5度のトライでようやく到達しえた頂点……やはり、ワールドカップという舞台のレベルの高さということでしょう。
日本サッカーは2050年までにW杯優勝を目標としているそうですが、果たして達成できるでしょうか……


吉田拓郎の名曲を振り返る

2022-12-17 22:18:08 | 過去記事

吉田拓郎「土地に柵する馬鹿がいる」

今回は、音楽記事です。前回の音楽記事では、河島英五を取り上げました。そこでは書き損ねましたが……彼はデビュー当初、「吉田拓郎の再来」といわれたといいます。こうしてフォーク記事......


過去記事です。

音楽記事では日本のフォークからいったん離れるといいましたが……今年は吉田拓郎さんの引退という大きなできごとがあり、そこに触れておかないわけにもいくまいということで、過去に拓郎さんの書いた記事を。


拓郎さんといえば、ちょっと前にこんなアルバムを手に入れました。

 

拓郎さんのトリビュートアルバム。

中ノ森BANDのカバーした「結婚しようよ」について以前書きましたが、それも収録されてます。
先日加川良さんについての記事を書きましたが、「加川良の手紙」も。カバーしているのは、つじあやのさん。
m-flo のLISAさんは「ビートルズが教えてくれた」をカバー。

私的なハイライトは、真心ブラザーズによる「流星」でしょうか。
ほかにも、怒髪天、ホフディラン、ジェイク・シマブクロなど……大人気アーティストというわけではありませんが、本当に音楽を大事にしているんだなあということが伝わってくるミュージシャンたちが集まっています。そこはやはり、吉田拓郎さんゆえでしょう。


思えば今年は、山本コウタローさんが世を去るということもありました。
井上陽水、中島みゆきといった人たちにも引退がささやかれ……また、最近のニュースとして、高石ともやさんが、およそ半世紀にわたって続けてきた年末の「年忘れコンサート」を今年で最後にすると表明しています。80歳をひとつの節目として……ということです。音楽活動自体は継続していくということですが、やはり、フォーク界の大御所たちもだんだんと舞台を去りつつあるということでしょうか。



加川良「フォーク・シンガー」

2022-12-14 21:42:03 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリでは、日本フォーク関連の記事をずっと書いてきましたが、今年いっぱいでいったんそこを離れようかと思ってます。
もともとは洋楽中心にやってたブログなので、そろそろそっちに戻ろうかということで……

したがって、今回はいったん日本フォーク記事の最終回。
それにふさわしいアーティストとして……登場するのは、加川良さんです。


加川良といえば。

まず思い出すのは、「教訓Ⅰ」でしょう。
加川良の代表曲というだけでなく、70年ごろの反戦フォークを代表する曲でもあります。

しかし……これほどまでにそのイメージが歌い手の意図を離れて独り歩きしている歌もまたないのです。


「教訓Ⅰ」だけを聴けば、たしかにフォークゲリラなんかで好んで歌われていた反戦の歌のように聴こえます。
勇ましいことをいうのではなく、命を大切にしようという歌だと……
しかし、ほかの歌をいくつか聴いてから聴きなおすと、また違った聴こえ方もしてきます。
加川良という人は高田渡の付き人みたいなことをやっていたわけですが、彼の歌にはたしかに高田渡の影響が感じられるのです。
それは、フォークゲリラの方向性とは、実はその根底において相当な隔たりがあります。以前このブログで高田渡が新宿のフォークゲリラを批判した歌を紹介しましたが、まさにそこに表われていた溝です。

しかし、加川良というミュージシャンは、やはり「教訓Ⅰ」の印象が圧倒的に強く、それゆえに“反戦フォーク”の側の人とみなされているでしょう。
そのあたりは、リスナーの側に誤解があるようにも私には思われます。
実際には、加川良は高田渡と同様に生活者目線のフォークであり、その立場は反戦フォークの方向性とときに対立さえするものなのです。にもかかわらず、反戦フォークの文脈のなかに位置づけられてしまった……
そのイメージに縛られるというところが、加川良にはおそらくあったのでしょう。後年の活動は、そういう“フォークシンガー”という桎梏から逃れようとしているようにも見受けられます。
たとえば「ポケットの中の明日」では「ギターケースが重たいだろうな」と歌い、また、ロック色を前面に出した「かかしのブルース」では「ギターケースだって重たければ捨てられる」と歌います。
そのものずばり「フォーク・シンガー」という歌もあって、そこではこんなことを歌っていました。

 やつは俺の前から何年も前にずらかりやがった
 残していったのはヤングギターっていう臭い本だけ
 責める気もいまさらないけど 頭にくることは
 俺をフォークシンガーなんて呼びやがったこと
 やつは冗談のつもりだったかもしれないが
 以来この俺はいろんな奴に笑われどおし
 この先いつまで笑われるのかと思うと
 気が狂うほどつらかったぜ


 あれから数年あの町この町探したぜ
 俺に恥をかかせたやつを殺すために
 俺は一生かかってもやつを探し出してやる
 俺をフォークシンガーなんて呼びやがったやつを

高田渡流の語法なので、こうした言葉をそのまま受け取っていいのかというのはありますが……しかし、いろいろ考え合わせると、やはり反戦の歌を歌うフォークシンガーというイメージに縛られることに対する違和感みたいなものがあったんじゃないかとは思えます。

その点に関しては、ボブ・ディランに近いところがあるでしょう。
もしかすると、「日本のボブ・ディラン」という呼称がもっともふさわしいのは、吉田拓郎でもなく、岡林信康でもなく、加川良なのかもしれません。
そしてそのことは、この国でフォークという音楽がたどってきた道筋をいびつなかたちで反映しているともいえるでしょう。
フォークシンガーであった頃の加川良はフォークのフォーマットにかなり忠実な音楽をやっていましたが、それがいつかロックの方向にいく。フォークを続けるでもなく、ニューミュージックの方向にむかうでもなく……この国のフォークの盛衰史からすれば、加川良というミュージシャンが進む道はそこにしかなかったとのだと私には思われます。そういう点では、ある種背理法的な意味合いにおいて、加川良は日本フォーク史を象徴するアーティストなのです。



今邑彩『卍の殺人』

2022-12-12 21:51:18 | 小説


今邑彩さんの『卍の殺人』を読みました。

これは、鮎川哲也賞のはじまりとなった作品です。
本格ミステリの牙城ともいえる鮎川賞は、もともとは東京創元社が主催したミステリーの公募企画でした。鮎川哲也御大が推理小説シリーズ「鮎川哲也と十三の謎」を刊行する際に、その最終巻を公募したもの……そこでこの作品が「十三番目の椅子」を獲得。これがきっかけとなって、鮎川哲也賞という賞が誕生したのでした。

内容は、鮎川賞前夜にふさわしい本格ミステリとなっています。

卍型の屋敷で起こる殺人……いわゆる“館モノ”の範疇に含めてよいでしょう。特殊な構造を持った屋敷で次々と奇怪な事件が起こるという、ミステリーとしては古式ゆかしい舞台設定です。
ネタバレになるので詳細は書けませんが、ちょっとだけ内容を書くと、二重の解決になっています。
いったん謎が解けたかにみえた後、さらにどんでん返しがあるという趣向……
それ自体は珍しいものではありませんが、この作品ではその仕掛け方がすごい。
ミステリを読みなれていれば、残りのページ数でそういう展開が待っているんだろうなという予想はつくものですが、しかし、ここからどうやってどんでん返しするのか、できるのか……と思っているところへ、鮮やかにどんでんを返してきます。どうしたってそれ以外の解決はありえないだろうというぐらいに固めておいてから、それを覆す……その志の高さと、高く設定したハードルを超える実力。たしかに鮎川の系譜につらなる職人肌のミステリーという感じです。


しかしながら、刊行当初はずいぶん辛口の評価も受けたようです。
私が読んだ中公文庫版のあとがきでは「褒めているのは、お義理で出版社から頼まれた評論家だけ。ミステリーファンの間では酷評に近かったんじゃないかな」と本人が回顧しています。
この点について、その当時のいわゆる「新本格ブーム」に便乗するようなかたちに見られたためではないかと本人は分析しています。まあ、その新本格ブームの本流に位置する作家たちにしても、デビュー当初酷評を受けたという点は変わらないわけなんですが……ただ、そういう事情があったので、今邑彩さんはその後ちょっと作品の傾向を変えていきました。ただ、“職人肌のミステリー”という点は、変わっていません。今邑彩という人は、たしかに鮎川哲也が用意した十三番目の椅子にふさわしい作家だったといえるでしょう。