ロック探偵のMY GENERATION

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2022年を振り返る ~統一協会騒動~

2022-12-28 22:25:09 | 時事


今回も、2022年を振り返る記事です。

今年日本で大きなニュースといえば……安倍元総理銃撃事件と、そこに端を発する統一協会騒動があります。

選挙期間中に元総理が銃撃を受けて死亡するという衝撃の事件から、統一協会というものの存在が大きくクローズアップされました。法外なカネを集める宗教と、政界とのつながり……以前から指摘されていたことではありますが、ここまでのものだったとは、と衝撃を受けたものです。


この一連の統一協会騒動をみていて、私は「裸のキリストには裸でしたがえ」という聖フランチェスコの言葉を思い出しました。
イエス・キリストは着の身着のままで救済のために活動したのだから、その後継者たちが蓄財して裕福に暮らしているのはおかしい……という清貧の思想です。

宗教の名のもとに百万単位の金を信者に要求してそのためには借金もさせるというのは、そりゃどう考えたっておかしいでしょう。

この件で信仰の自由の観点でどうなのかという声もありますが……まともな宗教とカルト宗教との区別はつけられるしつけなきゃいかんと私は思います。


かつて、キリスト教にワルド派という異端の宗派が存在しました。
ワルド派の教えは、清貧。
教会が財産を持っているのはおかしい、という思想です。つまりは、聖フランチェスコといっていることは同じなのです。
それが、なぜ一方は異端で片方は聖人になっているのかというと、それはカトリック教会側の態度が変わったからです。
教会としてみれば、一般信徒からむしりとった金でぜいらくな暮らしをしていたい。そのためには、ワルドの主張を認めるわけにはいかない。だから、異端というレッテルを貼って弾圧しました。しかし、やはりそれはどう考えっておかしいわけです。ゆえに、批判の声はやまず、フランチェスコの時代にいたって教会側も態度をあらためざるえをえなくなったのです。清貧を全面的に受け入れたわけではないにせよ、少なくとも、聖職者があまりに豪奢な暮らしをしているのはいかがなものかというぐらいにはなったでしょう。

ここが、まともな宗教とカルト宗教の違いだと私は思うのです。

つまり、キリスト教というのはもう二千年もやってきているので、長い時間のあいだに“やったらまずいこと”がある程度わかっていて、そうならない仕組みを持っているということです。

日本の仏教の例でいうと――これは金銭の話ではありませんが――たとえば禅寺で座禅なんかをやっていると、ときに見えないはずのものが見えたり、聴こえないはずの音が聴こえたりすることがあるんだそうです。しかし、修行者がその話をすると、指導僧は「それはただの錯覚だ」と切って捨てるといいます。これがカルト宗教だったら、「それはお前が覚醒しつつある証拠だ」みたいなことをいってカルトの方向にもっていくんじゃないでしょうか。まともな宗教なら、そういうことはしない。信者がやばい方向に向かわないようにする仕組みをもっているわけです。

老舗の宗教は、いうなれば、長い時間をかけて世の中と折り合いをつける術をもっているということです。
かけた時間の問題なのかと思われるかもしれませんが、それはたしかにあると私は思います。
千年単位の時間をかけて熟成されてきた教えには、それなりの真実が宿っているんではないかと。
「裸のキリストには裸でしたがえ」という思想と「借金してでも100万円の壺を買わないと地獄に落ちる」という思想が対等であるわけがないのです。

……と、やはりこの手の話題について書いていると気分が荒涼としてくるので……ここで一曲。
All My Trials です。

All My Trials (Norman Luboff) Virtual Choir production by Julie Gaulke (re-uploaded)

トラディショナルソングで、多くのアーティストに歌われています。
歌詞にはいくつかのパターンが存在するようですが、このオンライン合唱バージョンの冒頭部分では「信仰が金で買えるものだとしたら、富めるものは生き、貧しきものは死ぬことになる」と歌われます。

もう一曲、ブルーハーツの「青空」。
SeanNorthというグループのカバーで。

青空 / THE BLUE HEARTS Cover by SeanNorth

ここでは「神様にワイロを贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか」と歌われます。これは世界史のいわゆる贖宥状というものを踏まえた歌詞だと思われますが、やっぱり魂の救済にカネが関係しているというのはおかしいんです。