睦月(むつき) 旧暦1月の異称。大体、辞書にはこのように説明されているがどうして、1月が睦月なのかの説明がない。実は、私もそれだけしか知らない。
「睦」この字は「むつむ」「むつましい」と訓読される。しかし、この訓読からは、1月のイメージがわかない。一応、辞書を引いてみました。読みの「ボク」は「穆」ボクに通じて、「やわらぐ」の意を持つと出ています。すると、1月は春ですから、冬の気配が「やわらぐ」ことから付けられたのでしょうか。あるいは新年ですから、人々も新しいこころ、睦みあうこころを持って過ごそうとするようなことがあるとしてのものなのでしょうか。
日本語にはとても、趣のある言葉が多い。月の異称にしても、月齢にしても、色の名前、実に豊かな情感のある言葉、表現が多い。今、そのような日本語のよさが忘れ去られそうになっている。 今日は1月3日、正月3ケ日も今日で終わり、明日からは普通の日に変わる。でも松の内という言葉かある。又、20日正月という言葉もある。こんな言葉も死語に等しくなっている。
去年の運勢は、真っ黒だったのだけれど、結果として、ひどい思いをしたこともあるけれど、良い1年だったといえる。今年の運勢はまだ見たことが無いけれど、私の気持ちの中には、それなりの覚悟の必要な年なのだと期するところもある。