夕方、小野さんから電話。「安弘さん亡くなりました。連絡を受けて、自宅へ行ってきました」という。つい何日か前に「瀧口さん 逝く」と書いたばかりなのに、今度は安弘さんに成りました。
安弘さんとは、8年くらいのお付き合いだと思いますが、いい友達でした。一番初めにお会いしたのは、私がダンスのサークルに入って間もなく、お二人の新人が来ました。その一人が安弘さんだったのです。それから数日後、「いの平」に行きましたら、小上がりで盛り上がっている人の中にいて、それが2回目の出会いでした。ダンスの初心者は、体育館の3分の一位を使って、上級者と区別して教えられていて、とにかく難しくて困っていたのですが、安弘さんが一番いい仲間で、励ましあったり、口説きあったりしていたのです。そのうちに、安弘さんは「いの平」の常連というより、主のようになったのです。
私はいつの間にか、酒は「いの平」でしか飲まなくなり、たまに行くときも、きっと安弘さんがいるはずだと思いながら行くようになっていました。カラオケが好きなのですが、声がひどく低音で、今一のところが有り、すこしアドバイスしてあげたら、それに乗ってレパートリーをどんどん広げていくのです。
そんな中で、短歌のアカシヤ会の会主をしている俵先生と私の三人で、月に一回飲んで歌を歌いましょうということに成り、第三木曜日ときめ、「三木会」と称して「いの平」でやってきたのでした。 安弘さんは、もともと持病があり、特に足腰が弱く、ダンスも結局続けきれなかったのです。一昨年だったでしょうか、癌が発見され、その治療で入退院を繰り返していられたのですが、そんな中でも、退院中だと定例の日にはいらっしゃったりしていたのですが、とうとう還れぬ人となられました。明日がお通夜ということです。お別れに行ってきます。
先日のブログに、瀧口さんのお通夜での弔吟、失敗と書きました。確かに失敗だったのですが、今日、平和教場の稽古に行きましたら、いろいろの関係者から感動したとのお言葉を多数頂いた話が有りました。勿論、珍しいことだし、それなりのインバクトはあるのかもしれません。何か一寸、ほっとした気持ちに成りました。
安弘さんには演歌が似合いでしょうが、まさか演歌というわけにも行かないのだけれど、弔吟でもやってあげようか、之も思案のしどころです。