今年の年賀状に書いた漢詩の転句と結句です。毎年、詩吟の仲間と知人の一部に漢詩一題を書いた年賀を送ることにして、もお10年以上になると思う。一度、始めるとやめるわけにいかないような気がしてやむなく作っているのです。
勿論、平仄なんて無視した、いわば自由詩です。漢詩を勉強されている方には、一笑に付されるのでしょうが、自己満足の代物なのです。
転句の「茫々たり歳月」という言葉は、実は、私のインターネットで最初に知り合いになった、名古屋の藤根さんの言葉をお借りしたのです。インターネットを始めた時、自分史という項目を検索しましたら、「歳月茫々」という、藤根さんの自分史に出会ったのです。読ませていただき、とても共感することが多く感銘を受けて、メールを差し上げて以来、お付き合いいただいているのです。
年賀状の漢詩を思案していて、今年は七十六歳と思ったとき、ふと歳月茫々が頭に浮かびました。それで、藤根さんにメールを送り、この言葉使わせていただきますとお許しを頂いたのです。
結句を「心寛るやかに杯を傾け洪恩を憶う」としたのですが、「心寛るやかに」=「心ゆるやかに」となかなか読んでいただけないかもしれません。また「洪恩を憶う」=「こうおんをおもう」が理解されないかな?と心配したりしているのです。「洪恩」の「洪」は、洪水を連想していただければ、大きな水「大きい」という意味がわかっていただけると思いました。また「憶う」として「思う」「想う」にしなかったのも理由があるのです。「憶う」は、過去のことをおもう、即ち「記憶」を思い出す意味ですし、「想う」は、想像とか空想とかという意味につながり、「思う」は、洪恩ということを思っている意味に成ります。 「もう、俗事に煩わされることもなく、ゆったりと、新しい年を祝い、杯を傾けながら、この年まで、このように人生を楽しませて頂いているのも、多くの人の溢れるばかりの暖かい心に支えられてのものなのだと、そんな恩義を頂いた人たちを思い起こしている」といった気持ちの表現をした心算だったのですが、どうでしょう。