陶淵明の文章、「帰去来辞」の冒頭、「帰去来兮」を「かえりなんいざ」と訓読する。この訓読をだれが読んだのか判らないけれど、これは素晴らしい読み方だと思い忘れることが出来ないでいた。
先日、白居易の「菊花」を吟じ「東籬の菊のみ有りて」に触れて、陶淵明(陶潜)の「飲酒」を思い出しながら、「かえりなんいざ でんえんまさにあれんとす なんぞかえらざる・・・」と、この文章を思い出していた。官吏としての勤めは「心を形の役となす」"心を肉体の下僕とする生活"だと悟り、職を辞して故郷に帰る時の心境が表現されているのです。
宮仕えという言葉が有ります。職業は決して軽いものではないし、そんな仕事に誇りと情熱を傾けることは素晴らしいことなのですが、しかし、自分を殺して努力しなければならないことも有り、辛いことでもあります。
現職を離れて、老後の生活にというか、余生を楽しむようになつて、時間がひどく早く感じられるのは、心を束縛されることも無く、生きることを楽しんでいるからかもしれない。「心遠ければ地自ずから偏なり」とまではいかないものの、苦労してまでという、煩わしさからはかなり解放されている。