手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

戦争の記憶

2013-08-12 18:54:47 | 随想
 お盆、太平洋戦争終結の日だ。

 15の夏の日だった。教育の恐ろしさ、日本が降参すると思わなかった。最後の日になるまで戦うのだと信じていた。天皇陛下のため命は捧げると覚悟していた.

竹槍を持って戦うのだと思っていた。

 それが、天皇の詔勅放送で日本が降伏したと知ったとき、唖然として悲しくもうれしくもなかった。とても不思議な空虚さが胸の中に広がっていた。

 大人の人は、どんな気持ちで戦争をみていたのでしょうか。多くの方は、この戦争で勝てるとは思っていなかったでしょう。でも早く降参して戦争を終わらせてほしいとも思っていなかったように思う。

 戦争を批判したりするとたちまち非国民として相手にされなくなる状況でもあった。

 この戦争に批判的な方も多かったと思う。しかし、それを言葉にできない時代だった。竹槍で戦えると信じる人はいなかったと思う。でも何も持たないで戦うわけにゆかない、竹槍でも持って戦い死んでゆく。それが日本国民のあり方のように信じ込まされていた。

 戦争が終わって思ったことは、確かに開戦当時は航空機での近代化は進んでいたようだ。しかし、歩兵の軍備はまったく考えられていなかったみたいだ。38式鉄砲。明治の遺品みたいなものしかなかったのだ。そんな、軍備力で戦えると思った軍人の判断はまさに無謀だったのでしょう。

 結果敗戦。しかし、日本の復興はすごかったと思う。丁度朝鮮戦争が始まり、アメリカも大変だった。それが、日米の協力関係の引き金となり、復興を後押ししてもらうような繋がりになったったように感じる。

二度と戦争は起こしたくない。しかし、尖閣列島に対する中国の態度は、戦争を挑発しているとしか映らない。韓国の国内教育、対日感情を対立の方向へひたすら進めている。北朝鮮もいつ暴発するかわからない。そんな状況にどう対応するべきなのか。
コメント
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