綱取りの場所として多くのフアンに期待されていた稀勢の里、早くも二敗。これではもう資格喪失だ。
稀勢の里、体格は横綱に似合いと言える。しかし、実力が伴わない。しばらく前まではもっぱら突き・押しだけで四つ相撲をしないできた。それでいて横綱戦になると四つに組んで立派な成績を上げたりしてきている。私は以前からもっと四つに組む相撲をすればよいのにと思っていた。それが、横綱の声がかかるようになってから四つに組む相撲が多くなってきていた。そしてそれなりに良い成績を上げてきていた。また、仕切りでまったをすることが多く、そんな時に限って負けていた。今日の相撲も待ったをして揚句もろくも敗れている。横綱になりたいなら、横綱相撲を実践するべきだ。横綱は受けて立つが基本だ。立ち合いで相手と伺いあうようじゃ横綱に値しない。相手を圧倒する気迫が感じられない。横綱になりたいのか疑いたくなる。相手はすべてすさまじい気迫で迫ってくるはずだ。それに気圧されるようじゃだめです。
これで横綱への道はまた遠くなるのだと思う。こんな精神では横綱の器でないといわれても仕方ないでしょう。日本人力士で横綱に一番近くにいる稀勢の里、何とも情けない。
今、遠藤関が人気を独占している。確かに人気を集める器だ。だが体か小柄で、今の大型力士が多くなっている中では苦しいと思う。何か入門間もないモンゴル出身の凄い力士がいるという。外国人力士が多くなって、体格が今までの日本人とは比較にならなくなっている。また、モンゴル人は小さい時からモンゴル相撲で足腰を鍛え、四つ相撲の技巧も身についている。それに対して日本は相撲人口が少なくなっていて、さらに多くが大学を出てから入門するという状況が続いている。やはり、大学での稽古はプロとは違い一定の力は出せても、伸びきれない弱さがある。過去に大学出の横綱は輪島一人だという。最近日本人も体格がよくなってきているのだから、外国人に見劣りしない力士が出てきてもよいと思うけれど、底辺がこの状態ではなかなかなのかもしれない。
ともあれ、稀勢の里の期待を裏切る姿にはやりきれないじれったさを感じる。
稀勢の里、体格は横綱に似合いと言える。しかし、実力が伴わない。しばらく前まではもっぱら突き・押しだけで四つ相撲をしないできた。それでいて横綱戦になると四つに組んで立派な成績を上げたりしてきている。私は以前からもっと四つに組む相撲をすればよいのにと思っていた。それが、横綱の声がかかるようになってから四つに組む相撲が多くなってきていた。そしてそれなりに良い成績を上げてきていた。また、仕切りでまったをすることが多く、そんな時に限って負けていた。今日の相撲も待ったをして揚句もろくも敗れている。横綱になりたいなら、横綱相撲を実践するべきだ。横綱は受けて立つが基本だ。立ち合いで相手と伺いあうようじゃ横綱に値しない。相手を圧倒する気迫が感じられない。横綱になりたいのか疑いたくなる。相手はすべてすさまじい気迫で迫ってくるはずだ。それに気圧されるようじゃだめです。
これで横綱への道はまた遠くなるのだと思う。こんな精神では横綱の器でないといわれても仕方ないでしょう。日本人力士で横綱に一番近くにいる稀勢の里、何とも情けない。
今、遠藤関が人気を独占している。確かに人気を集める器だ。だが体か小柄で、今の大型力士が多くなっている中では苦しいと思う。何か入門間もないモンゴル出身の凄い力士がいるという。外国人力士が多くなって、体格が今までの日本人とは比較にならなくなっている。また、モンゴル人は小さい時からモンゴル相撲で足腰を鍛え、四つ相撲の技巧も身についている。それに対して日本は相撲人口が少なくなっていて、さらに多くが大学を出てから入門するという状況が続いている。やはり、大学での稽古はプロとは違い一定の力は出せても、伸びきれない弱さがある。過去に大学出の横綱は輪島一人だという。最近日本人も体格がよくなってきているのだから、外国人に見劣りしない力士が出てきてもよいと思うけれど、底辺がこの状態ではなかなかなのかもしれない。
ともあれ、稀勢の里の期待を裏切る姿にはやりきれないじれったさを感じる。