立春の今日の福祉センター詩吟19名の参加でした。前半に「廬山の瀑布を望む」をやり後半は「山中問答」をやりました。
李白の詩は我々の常識を打ち砕く表現があふれています。廬山の瀑布では「瀑布の長川を挂くるを」・・・滝の遠景だけど「川をぶら下げたようだ」というとらえ方、そして結句で「疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」・・・この滝の壮大さを銀河が天の果てから落ちてきたととらえるところなど、凄いとしか言いようがない。
山中問答は、隠者としての心境を述べている。なぜこんなところに住んでいるのかという問いに「笑って答えず心おのずから閑なり」とある。そんな質問には答える言葉もないのだ。いわば質問自体が愚問になるのだ。結句では「別に人間に非ざる有り」と結ぶ。この世に無いようなものがここにはあるのだというのです。言葉で説明することのできない李白にとっての真実なのだと思う。
でも李白はこんな隠者の生活も長続きはしなかった。李白の生き方の中の一場面として、自然とまさに一体になりきったときの詩なのでしょう。
こんな詩を楽しみ、吟じるには私の今書いてきたような理解(間違いといわれるかもしれないが)をしながら吟じる必要がある。結構難しいことだけど、演歌などとは比較にならない重さもあり私にはとても楽しいものとなっている。
李白の詩は我々の常識を打ち砕く表現があふれています。廬山の瀑布では「瀑布の長川を挂くるを」・・・滝の遠景だけど「川をぶら下げたようだ」というとらえ方、そして結句で「疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」・・・この滝の壮大さを銀河が天の果てから落ちてきたととらえるところなど、凄いとしか言いようがない。
山中問答は、隠者としての心境を述べている。なぜこんなところに住んでいるのかという問いに「笑って答えず心おのずから閑なり」とある。そんな質問には答える言葉もないのだ。いわば質問自体が愚問になるのだ。結句では「別に人間に非ざる有り」と結ぶ。この世に無いようなものがここにはあるのだというのです。言葉で説明することのできない李白にとっての真実なのだと思う。
でも李白はこんな隠者の生活も長続きはしなかった。李白の生き方の中の一場面として、自然とまさに一体になりきったときの詩なのでしょう。
こんな詩を楽しみ、吟じるには私の今書いてきたような理解(間違いといわれるかもしれないが)をしながら吟じる必要がある。結構難しいことだけど、演歌などとは比較にならない重さもあり私にはとても楽しいものとなっている。