今日は新人とK君が休みでした。
30年近く詩吟を教えてきて、今更と思うことだが、教えることの楽しさを思い始めている。
教えることの難しさは嫌というほど知っている。そして楽しいこともたくさんあった。
それに今更ということなのだが、教えるということに必ずしも喜びを感じていなかったように思う。教えることはたくさんある。その人の経験の深さとか資質とかにも関係するが、それに応じて教えることは、教えるという時点では同じなのだ。
一人一人、みな私の大切なお弟子さんだ。一人一人に精一杯教えることをやっていたかと自問して、自信を持ってやってきたといいきれない。
審査の結果とか大会の出来栄えとか、いわば結果に一喜一憂することが多かった。そこを乗り越え教える楽しさに徹したい。
そのための準備が必要なのでしょう。短い時間で、壺を押さえた指導をしなければならないのです。
教室を立ち上げて30年もう初めのお弟子さんはいなくなっている。初めのころに教えた事も今のお弟子さんには通用しない。昔教えたことで中身の変わっていることも多い。
今、仕事の面でもかなり解放されている。詩吟にもっと集中してもいいのです。この集中そのものが楽しみのはずです。手をこまねいていて楽しくなるはずはない。また結果に楽しみを求めるのも、もう卒業してよいはずだ。
30年近く詩吟を教えてきて、今更と思うことだが、教えることの楽しさを思い始めている。
教えることの難しさは嫌というほど知っている。そして楽しいこともたくさんあった。
それに今更ということなのだが、教えるということに必ずしも喜びを感じていなかったように思う。教えることはたくさんある。その人の経験の深さとか資質とかにも関係するが、それに応じて教えることは、教えるという時点では同じなのだ。
一人一人、みな私の大切なお弟子さんだ。一人一人に精一杯教えることをやっていたかと自問して、自信を持ってやってきたといいきれない。
審査の結果とか大会の出来栄えとか、いわば結果に一喜一憂することが多かった。そこを乗り越え教える楽しさに徹したい。
そのための準備が必要なのでしょう。短い時間で、壺を押さえた指導をしなければならないのです。
教室を立ち上げて30年もう初めのお弟子さんはいなくなっている。初めのころに教えた事も今のお弟子さんには通用しない。昔教えたことで中身の変わっていることも多い。
今、仕事の面でもかなり解放されている。詩吟にもっと集中してもいいのです。この集中そのものが楽しみのはずです。手をこまねいていて楽しくなるはずはない。また結果に楽しみを求めるのも、もう卒業してよいはずだ。