手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟の教え方の変化

2015-01-24 18:48:05 | 詩吟関係
  私が詩吟を始めたときは先生が先に範吟をして、それをまねて覚える教え方で、いわば口伝だった。その日聞いて稽古をして家に帰ったらもう忘れている。だから稽古もできない。詩吟の音程などについても全く指導されず、自分にあった音程があることすらわからなかった。ただ力いっぱい声を出すことだけに集中してした。当時はテーブレコーダーもありませんでしたから、先生の範吟を録音して後で聞くなどということもできなかったのです。

 30年ほど前からコンダクターという伴奏楽器が出てきて、教える人も習う人もとても楽になりました。ただ、簡単な楽器ですが使うには少し音楽的素養が必要のようです。私はかなり早い段階でコンダクターを手に入れ、私なりのやり方でこなしてきたのですが、だんだん普及するにつれて、使い方もとても上手な方が多くなってきました。

 このコンダクターの普及が詩吟の指導を大きく変えてきているように思います。私たちが詩吟を始めたときはアクセントなどについてそれほど重きを置かなかったのですが、コンダクターの伴奏は、特別の譜面があるわけでありませんから、詩文のアクセントが大きなめどとなるのです。

 このコンダクターの普及で私が教えられてきた吟は立ち遅れとなってきました。詩文の読み方が繊細になり、吟調も深くなりました。ただ一時アクセントを強調しすぎて日本語の美しさを損ねるような吟がはやったこともありました。今はそんな吟は影をひそめましたが、コンダクターを使い切れない先生方も多く、戸惑うことも多いのではないかと思います。

 またコンダクターに頼りすぎると詩吟本来の姿が失われる危険もあります。

 とにかく大変便利なものに違いありません。これを使いこなすには、詩吟を構造的に理解しなければなりません。これは指導者として当然身に着けなければならない内容です。

 最近迫力の感じない吟に出会うことが多くなっています。これはひょっとしてコンダクターのせいかもしれません。私の経験ではコンダクターの伴奏のある時は良い吟なのにコンダクターの前奏だけで吟じさせると、途端に吟の力が無くなる人が多い。上級者になればほとんど問題はないのですが、初心者の場合その折り合いをどのようにつけてゆくかむつかしいところがあります。特に指導時間が制限されている教室では手が回りかねることも多いのです。

 コンダクターの普及で詩吟の吟調が洗練されたものになりつつあるように思いますがその反面素朴な力強さが失われていっていないでしょうか。

 昔は気骨のある宗家が独特の吟風を誇ったりしていけれど、そういうものも姿を消し始めているように思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする