高橋知事が道知事初当選した時、その抱負として述べた中で、「残響」の主人公村橋久成を取り上げた。それが契機となって改めて「残響」が読まれ、鹿児島大学の中村晋也名誉教授が制作して自宅美術館に展示していた村橋久成の胸像を札幌へ移設する運動が起こった。その胸像の設置場所を知事公館の庭を認めてくれたのも高橋知事だった。
知事公館の西側通用門を入ってすぐ左手に今も「残響」というプレートを台座として立っている。
この胸像は毎年鹿児島と札幌の「久成会」の人たちが毎年9月に集まって掃除をしているのだそうです。
村橋久成の残した北海道開拓にかかわる業績は大きい。とりわけあの札幌ビールを完成させ、その四年後に職を辞し、宛のない行脚の旅に出て、神戸で行路病者としてその一生を終えたその壮絶な生き様に込められた想念、それは北海道開拓に託した村橋の一途な気持ちを打ち砕く公権力への抵抗であったように思う。
高橋知事が四選を果たした。知事して決して派手ではなかったが、誠実に頑張っていたように思う。
あの村橋の「残響」を胸に職責を追及してほしいものです。
知事公館の西側通用門を入ってすぐ左手に今も「残響」というプレートを台座として立っている。
この胸像は毎年鹿児島と札幌の「久成会」の人たちが毎年9月に集まって掃除をしているのだそうです。
村橋久成の残した北海道開拓にかかわる業績は大きい。とりわけあの札幌ビールを完成させ、その四年後に職を辞し、宛のない行脚の旅に出て、神戸で行路病者としてその一生を終えたその壮絶な生き様に込められた想念、それは北海道開拓に託した村橋の一途な気持ちを打ち砕く公権力への抵抗であったように思う。
高橋知事が四選を果たした。知事して決して派手ではなかったが、誠実に頑張っていたように思う。
あの村橋の「残響」を胸に職責を追及してほしいものです。