今日は全員参加でした。びっくりしたことがありました。先週欠席していたKOさん、ご主人がお亡くなりになってまだ二週間なのだそうです。全く気が付かないでいました。 以前から介護でご苦労されていることは知っていましたが、お亡くなりになったのを全く気が付きませんでした。多分新聞に出たのでしょうが同じ町内会でないので見落としたのだと思います。
本当にご愁傷様とこの場で申しあげます。 今日「秋 思 許渾」をやりました。私の指導の一端を書いてみます。最初に私について素読をさせます。次に一人づつ素読をしてもらいました。次に詩文の内容について指導するのですが、こんな形で進めました。まず起句で「西風」という言葉が出てきます。これを指摘して、どんな風?と質問します。西から吹く風ということは判り切っています。そこで、西風の反対の風は?と聞きます。「ひがし風」と答えが返ってきます。そこで、東風は別になんて言います?と聞く。すると「こち」という言葉が帰ってきました。そこでその風は何時吹く風ですか?と聞く。するとさすが健康クラブの面々です。「春の風」と答えてくれました。そこで、戻って「西風」は何時吹く風かを確認させます。遠回りな説明ですが、面倒でもこのような手順で分かってもらう方が学ぶ楽しさを感じさせます。そこで、改めて起句の意味を理解してもらうのですが、むつかしい言葉があります。「樹」「枕は、熟語としては理解しがたいけれど、「樹」「枕」は判るわけです、そこに着目させて、西風、最後に出てくる秋という言葉をつなげて「木の枝や枕元を涼しい秋風が吹きぬける頃」と、それくらいに理解出来るでしょうと話してあげた。
承句の「楚雲」「湘水」では、洞庭湖という言葉を知っていますねといい、「楚」は国の名前で洞庭湖のあたりは「楚」といわれていたこと、さして「湘水」は「湘江」という洞庭湖に流れ込んている川ですと説明します。そのうえで、雲と水を対比させ、水が川ならも雲は山になるとはなし、要するに山や川で一緒に遊んだ友達のことを思いだしていることを理解させます。
そして転句の「高歌一曲」は、青春時代、友と共に歌った懐かしい歌を思い出し、大声で歌った、そして「明鏡」への続け方、歌い終わってふと鏡を見て思わずその鏡を覆ってしまったとなることを話す。そして結句を読み上げる。もうここまでくると結句の説明はいりません。「昨日は少年今は白頭」みんなどっと笑います。
私たちの時代に置き換えて想像すると、秋風を感じもう秋が来たのだという感慨の中で高等学校時代 寮歌を歌いストームで飛び跳ねたときのことなどを思いだし「ああ玉杯に花うけて・・・」などと歌って、ふと側に置かれていた鏡を見て、今更年の流れの速さをかみしめる姿がみえてくる。此処は私のこの詩から受ける思いなのだけれど、一見むつかしそうな漢詩が実はこんなにも身近なのだと感じてもらいたかった。
なんでもないことで皆様もこんな手法を使っていられると思いますが、指導法の参考になれば幸いです。
本当にご愁傷様とこの場で申しあげます。 今日「秋 思 許渾」をやりました。私の指導の一端を書いてみます。最初に私について素読をさせます。次に一人づつ素読をしてもらいました。次に詩文の内容について指導するのですが、こんな形で進めました。まず起句で「西風」という言葉が出てきます。これを指摘して、どんな風?と質問します。西から吹く風ということは判り切っています。そこで、西風の反対の風は?と聞きます。「ひがし風」と答えが返ってきます。そこで、東風は別になんて言います?と聞く。すると「こち」という言葉が帰ってきました。そこでその風は何時吹く風ですか?と聞く。するとさすが健康クラブの面々です。「春の風」と答えてくれました。そこで、戻って「西風」は何時吹く風かを確認させます。遠回りな説明ですが、面倒でもこのような手順で分かってもらう方が学ぶ楽しさを感じさせます。そこで、改めて起句の意味を理解してもらうのですが、むつかしい言葉があります。「樹」「枕は、熟語としては理解しがたいけれど、「樹」「枕」は判るわけです、そこに着目させて、西風、最後に出てくる秋という言葉をつなげて「木の枝や枕元を涼しい秋風が吹きぬける頃」と、それくらいに理解出来るでしょうと話してあげた。
承句の「楚雲」「湘水」では、洞庭湖という言葉を知っていますねといい、「楚」は国の名前で洞庭湖のあたりは「楚」といわれていたこと、さして「湘水」は「湘江」という洞庭湖に流れ込んている川ですと説明します。そのうえで、雲と水を対比させ、水が川ならも雲は山になるとはなし、要するに山や川で一緒に遊んだ友達のことを思いだしていることを理解させます。
そして転句の「高歌一曲」は、青春時代、友と共に歌った懐かしい歌を思い出し、大声で歌った、そして「明鏡」への続け方、歌い終わってふと鏡を見て思わずその鏡を覆ってしまったとなることを話す。そして結句を読み上げる。もうここまでくると結句の説明はいりません。「昨日は少年今は白頭」みんなどっと笑います。
私たちの時代に置き換えて想像すると、秋風を感じもう秋が来たのだという感慨の中で高等学校時代 寮歌を歌いストームで飛び跳ねたときのことなどを思いだし「ああ玉杯に花うけて・・・」などと歌って、ふと側に置かれていた鏡を見て、今更年の流れの速さをかみしめる姿がみえてくる。此処は私のこの詩から受ける思いなのだけれど、一見むつかしそうな漢詩が実はこんなにも身近なのだと感じてもらいたかった。
なんでもないことで皆様もこんな手法を使っていられると思いますが、指導法の参考になれば幸いです。