手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

天誅組を組織し、討幕の魁となった吉村寅太郎の「舟由良港に到る」を、年忘れ演芸会で吟じます

2015-10-27 17:40:22 | 詩吟関係
 土佐勤皇党に所属していて、脱藩して尊皇攘夷の運動に携わっていて、あの有名な寺田屋事件でとらえられ、土佐に送り返される途中由良の港で詠んだ詩を吟じてみることにしました。「首を回らせば蒼茫たり浪速の城/蓬窓又聴く杜鵑の声」この前半の句を見ると抒情的な感じ受けるのですが、後半「丹心一片人知るや否や/家郷を夢みず帝京を夢む」で強い尊王の意志が表現されている。

 寅太郎はこの後土佐藩に投獄されますが間もなく許されます。その後自費遊学の許しを得て上京します。そして孝明天皇の大和行幸の詔が出されるのに応じて大和で討幕の兵を挙げることを計画し、尊王の志士たちとともに大和行幸の先駆けとして大和に向かった。この時に天誅組が結成されたのでした。しかし、あの8月18日の政変があり、天皇の行幸は無く、更に宮中から長州藩が締め出され、尊王攘夷派の公家たちも追放される事態となり、孤立したまま兵を上げ、逆賊として討たれて行ったのです。

 この五年後に幕府は倒され維新となったのです。天誅組は、討幕の行動に出た最初の組なのです。その中心にいたのが寅太郎なのです。逆賊として討たれた寅太郎だったのですが、明治政府から叙勲され汚名をそそがれたのです。

 彼の辞世の歌は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我か打つ太刀の血煙とみよ」です。尚天誅組が最後を迎えた東吉野の村には天誅組の方たちの墓碑が今も残され地域の人に守られているということです。
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