昨日の文化祭で私は独吟に「赤間が関舟中」を吟じました。この詩を選んだのは、たまたまと言うことでないのです。その直接の理由は先日開催された全道大会で私の会が「壇ノ浦を過ぐ」を吟ずることになったことです。壇ノ浦が昔赤間が関と呼ばれていて、この沖で源平の戦があったのです。そのことを知っていて、改めて詩文を見ました。そこで周防灘が出ていることに改めて気づき、毛利元就が周防の大内氏を倒し中国を制覇することになったことを思い出しました。更に、「花燃ゆ」を見てきていますが、維新の偉業を成し遂げた長州は毛利なのです。
関門海峡は源平の戦のあったところでもありますが、長州が攘夷を実行した地でもあります。そんな豆知識のようなものがあり、周防灘から赤間が関を望む作者の気持ちの中にきっとこんな感慨がひそめられていたのではないかと思いつつ、あまり知られていない詩だけれど選んでみたのです。
「碧海遥かに回る赤間が関/三十六灘行く行く尽きんと欲す・・・・」海上遥かに赤間が関が望めるようになり、周防灘も間もなく越えるところまできたと言うのですが、私はこの三十六灘行く行く尽きんと欲すという転句の声調も好きだったのです。
関門海峡は源平の戦のあったところでもありますが、長州が攘夷を実行した地でもあります。そんな豆知識のようなものがあり、周防灘から赤間が関を望む作者の気持ちの中にきっとこんな感慨がひそめられていたのではないかと思いつつ、あまり知られていない詩だけれど選んでみたのです。
「碧海遥かに回る赤間が関/三十六灘行く行く尽きんと欲す・・・・」海上遥かに赤間が関が望めるようになり、周防灘も間もなく越えるところまできたと言うのですが、私はこの三十六灘行く行く尽きんと欲すという転句の声調も好きだったのです。