この祭りが始まったころは毎年見学に出かけました。いつも三越のあたりで飽きることなく楽しんでいました。とても素朴でしたが、大音量の囃子・太鼓に乗って踊り歩く、それも団体ごとに趣向がこらされていて、見ていて飽きることがなかった。
大学生・企業・地域・市町村・各種団体の連合とか多種多様、稚内の中学生の団体まであった。今のような本格的な規模のものになるころから見に行かなくなった。大通りの観覧席などで楽しめば一番良いのだと思いますが、テレビで見せてもらうだけになっています。
私は上川の田舎育ちで、盆踊りを子供のころから大学時代まで、時には遠征までして楽しんだものでした。子供盆踊りなんてものはなくて、大人と一緒に、きわめて卑猥な歌を訳もわからず歌って、夜更けまで踊ったものでした。子供には教育上良くないということで、子供盆踊りが作られ、子供は夜8時を過ぎたら家に帰るという規制ができてから簿踊り熱は一気にしぼんだ。自分の経験ではあの盆踊りで子供が不良になったり、学業から離れるなんてことはなかったと思う。ただ、時代感覚というものが、今とは違っていたのでしょう。
「俺の昭和は遠くなる」歌の文句じゃないが、昭和の時代は素朴だったが暖かかったように思う。
大学生・企業・地域・市町村・各種団体の連合とか多種多様、稚内の中学生の団体まであった。今のような本格的な規模のものになるころから見に行かなくなった。大通りの観覧席などで楽しめば一番良いのだと思いますが、テレビで見せてもらうだけになっています。
私は上川の田舎育ちで、盆踊りを子供のころから大学時代まで、時には遠征までして楽しんだものでした。子供盆踊りなんてものはなくて、大人と一緒に、きわめて卑猥な歌を訳もわからず歌って、夜更けまで踊ったものでした。子供には教育上良くないということで、子供盆踊りが作られ、子供は夜8時を過ぎたら家に帰るという規制ができてから簿踊り熱は一気にしぼんだ。自分の経験ではあの盆踊りで子供が不良になったり、学業から離れるなんてことはなかったと思う。ただ、時代感覚というものが、今とは違っていたのでしょう。
「俺の昭和は遠くなる」歌の文句じゃないが、昭和の時代は素朴だったが暖かかったように思う。